第20話 お茶の時間と惨劇と
家の中は簡素だが清潔で、少々年期は入っているものの、うらぶれたところのないこざっぱりとしたものだった。壁には教会でもらったのか、小さな聖人像が描かれた絵をかけている。
「ミルク茶ぐらいしかないけど、いいかい?」
台所に直接つながる居間のテーブルに腰を落ち着けた2人に、かまどで沸かしたミルクに茶葉を入れたミルク茶がふるまわれる。素朴な温かみと甘さが体に沁みる。
「おいしいですね、このお茶」
エリサが一口飲んで、ハンナに笑顔を見せた。
「そうかいそうかい、それはよかった」
ハンナも自分のミルク茶をコップに入れ、2人と同じテーブルに座った。
「ところで、本当にあなたたち、あのゴブリンを追い払いに来たの?」
「ええ。正しくいうと、ゴブリンの巣がこのあたりにあるはずなんです。それを見つけて、村の冒険者ギルドに報告すると、討伐隊が派遣されます。アタシたちは、その集落探しをしています」
「はぁ、ゴブリンたちも村を作るのかい。驚いたね」
「このあたりも羊が盗まれたりしていると、ここに来る途中、ヨーゼフさんから伺いました。実は今、ここから南にある街道で、ゴブリンたちが多数出没していて、旅人や荷馬車が襲われているんです」
「それは大変ねえ。ここいらでも、羊がとられたり、畑を荒らされたり、貯蔵庫のハムが盗まれたりして大変なんだよ。この辺は、ウチを入れて3軒、農家がいるけど、みんな助け合って自衛をしているところなのさ」
「ゴブリン、頻繁に来るんですか?」
ミーシャが問うと、「そうねえ……」といって、ハンナが思い出そうとした。
「月に2,3回ぐらいはくるかねえ。たいていは追い払うことができるけど。来るのはいつも夜よ」
「この前来たのはいつ頃なんですか?」
「10日ぐらい前かなあ。そろそろ来てもおかしくはないかねえ」
ハンナがそういうと、にわかに表が騒がしくなった。カロンカロン、と鐘の軽い音が鳴り、べえべえと羊たちの鳴き声が聞こえる。
「息子たちが帰ってきたみたいね」
ハンナはそういうと、鍋にミルクを足して、沸かし始めた。
「羊っこ帰ってきましたね。ちょっと見てきていいですか?」
エリサはそういうと席を立って表に出た。ミーシャもその後を追っていった。
外に出ると、十数匹の羊たちが、牧羊犬に追われて中庭まで入ってきていた。
「まあ、かわいい」
エリサはもこもこした羊の群れに近づくと、その中の一頭のおでこをくすぐる。羊はしばらくいいようにくすぐられた後、ぶるぶると頭を振って向こうへ行ってしまった。
「おや、お客さんかい。珍しい、女の子じゃないか」
ややあって、短い顎ひげを蓄えた中年男と、作業着に身を包んだ年頃の男の子が2人、やってきた。
「お邪魔してます」
「どうも、いらっしゃい」
中年の男は老夫婦の息子で、後の2人は、老爺が言っていた孫だろうか。
孫2人は、突然の来訪者に少し驚き、逃げるように羊を家畜小屋に追っていった。
「礼儀がなってなくてすみません。あまり女の子に慣れていないもので……」
「いいえ。アタシたちが勝手にお邪魔してるんですから、どうぞおかまいなく」
「おかえり、ヨハン。こちらはね、ゴブリン退治に村から来てくださった方たちだよ」
「えっ?じゃあ代官様がようやく聞き入れてくださったのかい?」
「いいえ。アタシたちは、冒険者ギルドの依頼で、最近急に増えたゴブリンの被害を食い止めるため、ラブレーの森を探索しているんです」
「ああ、そうですか。いやぁ、てっきり勘違いしましたよ」
ヨハンはそういうと、腰に下げていたロングソードを外す。
「いやはや、今はおちおち、羊たちを犬に任せて自由にできなくなってしまいましたよ。ゴブリンの連中、放牧中でも森からやってきて、私たちの目を盗んで羊を乗り逃げする。牧羊犬も、コボルトにケガをさせられた子もいたりして、大変です」
「まぁ、かわいそう」エリサはそういって、牧羊犬の首回りをもしゃもしゃと撫でまわした。牧羊犬はしばらくエリサのなすがままにしていたが、少しすると、今度はミーシャの方へ寄っていき、くんくんとミーシャのお尻の匂いを嗅ぎだした。
「うわっ!何するんだよ!」
「こら、アベル。やめないか。ごめんなさい、こいつ、好みの女性が来るといつもこうだ」
ヨハンはそう言って苦笑した。
◇
一方その頃、街道筋では、恐るべき事件が起こっていた。
道端に、何人もの男たちの死体が転がっている。いずれも粗雑に引き裂かれ、四肢がもげ、はらわたがこぼれ出て、血と排泄物の猛烈な臭気がおびただしい。
「な、なんでこんなところにトロルがいるんだよ……しかも3匹!」
男たちは、ゴブリン集落の探索に当たっていた冒険者たちだ。
彼らはそれぞれに森の中を探索していたが、急に現れた高レベルの魔物に追い立てられ、なぜかひとまとまりになるよう追い込まれたのだ。
「ちくしょう……みんなやられた! 俺も死ぬのか?」
生き残りの者たちは、それぞれ絶望的な表情を浮かべていた。
彼らが対峙しているのは、トロルという、一般的な成人男性よりも少し大きい約7尺(210センチ)ほどの人型の魔物だ。
ゴブリンと同じような灰緑色の肌をしており、見てくれだけでいえばほぼゴブリンと同じである。しかし、その大きさが圧倒的に違う。知能の程度はゴブリンと変わらないが、巨躯とそれに伴う重厚な筋力を有し、重武装した歩兵一分隊(5名程度)で何とか1体倒せるかどうか、といった存在だ。
今、生き残っている冒険者は8名。しかも、その半数は駆け出しだった。腕に覚えがあるといっても村のわんぱく小僧程度、戦力差は絶望的である。
「ブッ、ブッ、ブフ。ボ、ボキは生き残るぞ!」
そんな生き残りの1人に、長髪小太りの魔法使いがいた。ガマガエルのモリスである。
(考えろ考えろ。ボキは知性縦横の天才なんだ。どうすればこの状況を脱出できる?)
トロルたちは、生き残りの冒険者を大きく取り巻きながら、その長い腕で冒険者の亡骸を拾い上げ、食べた。
あー……
あー……
あー……
顔中を血まみれにして、トロルたちは独特の乾いた甲高い声を発し、嗤っていた。その目は、次の獲物である生き残りたちに向けられている。
(トロルに勝つ必要はないゾ。生きて、逃げ延びられればそれでいいんだゾ!)
死んでしまった者には悪いが、とにかくまずは自分たち、最悪でも自分だけは生き延びたい。
だが、強がりを言っていた他の連中は、足がすくんで、今じゃ物の役には立たない。
どうする? モリスは思考する。
己の得意属性である水魔法と土魔法、それを使っていかに切り抜けるか。【石弾】や【水撃】では、トロル相手には威力不足。下手に刺激すれば、こちらが標的にされてしまう。
自分が標的にされず、しかもこの状況下で効果的な魔法は……モリスは、ある奇策をひらめいた。
(……一か八か、やってみるんだゾ!)
モリスは、ぶつぶつと魔法の詠唱をはじめるのだった。
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