5 ソレイユの秘める価値
大陸暦717年5月9日
ソレイユ隊は亡くなった兵を悼み、その英霊たちへ黙祷を捧げた。雪解けの水が育んだ若葉の香りが、目を瞑るソレイユの頬を撫でていく。
レンはソレイユの祈る横顔を静かに見ていた。
オロール王国のアルカディア解放軍司令官アルノーが指揮を執り、城塞都市アルカディアを包囲するアードラー帝国軍の残兵を撃破し、アルカディアの住民と兵士を開放した。
ソレイユ・ビアージュはソレイユ隊を指揮し、アードラー帝国北部方面司令官バーバラを討ち取るなどの顕著な戦功を上げた。
アルカディアフィールドを収める領主ロビンソン・フォン・マロム伯爵は、平素から領民を労り、領民から信頼の厚い名領主であった。マロム伯爵は、城塞都市アルカディア内にその居城を構えていた。
今回のアードラー帝国軍によるアルカディア包囲戦では、領主マロム伯爵は最前線において防御の指揮を執っていたが、早々に肩へ銃弾を受けて戦線を離脱していた。
城塞都市アルカディア会議室
会議の冒頭、領主マロム伯爵が負傷した肩を三角巾で吊るしながら、席から立ち上がって深く感謝の言葉を述べた。
会議の議題は、今後の対アードラー帝国軍についてであった。
参謀ニコラ子爵が会議机を叩きながら力説する。
「何度も述べていますが、リヤン王子の勅命は、『アードラー帝国軍からアルカディアを解放し、アルカディアフィールドの脅威を取り除け』であり、既に達成しています。これ以上の進軍は戦線を悪戯に拡大するだけで、何の利益ももたらしません」
しかし、ソレイユは譲らない。
「リヤン王子の勅命の目的は、まだ達成していません。リヤン王子の真意は、アルカディアフィールドの脅威を取り除くことにあります。
アルカディアフィールドに隣接する都市ロッシュには、こうしている間にもアードラー帝国軍が終結中とのことです。都市ロッシュはここからは北西12㎞と目と鼻の先です。
現在もアルカディアフィールドは、大きな脅威に晒され続けています」
解放軍司令アルノーが両者に割って入る。
「ニコラ参謀、ソレイユ、そう熱くなるな。ここはアルカディアフィールドの領主マロム伯爵のお考えもお聞きしたい」
「城塞都市アルカディア陥落の危機はとりあえず去った。しかし、我が領アルカディアフィールドへの危機は日々深刻度を増している。
近隣都市ロッシュにアードラー帝国軍が駐留すると言う事は、我が領土侵略への意志とその戦略が存在していると判断すべきだろう」
ソレイユは解放軍司令アルノーの眼を真っすぐに見て、丁寧に願い出る。
「マロム伯爵のおっしゃる通り、領民の不安を考えれば一刻の猶予もありません。全ての敵がまだ集結していない今が好機となります。
明日にでも全軍による出陣を進言します」
解放軍司令アルノーが腕を組んで唸り声を上げる。
「うーーん・・・マロム伯爵のお気持ちは理解できます。しかし、都市ロッシュの攻略となると、我が軍だけでは兵力が足りません。
それに、アードラー帝国の4大軍神の1人と恐れられるヘルムフリート・オーベルシュトルツ将軍が、都市ロッシュへ向けて行軍中との情報もある。
今の戦力で、騎神と二つ名を持つオーベルシュトルツ将軍との戦闘は避けたい。
ここは、都市ロッシュ攻略について、改めてリヤン王子にそのご意向をお伺い奉ってからでもよいだろう」
「それでは、勝機を逸します!」
ソレイユが立ち上がった。
解放軍司令アルノーと参謀ニコラが鋭い視線をソレイユに投げつけた。
後ろに控えていたレンが、
「ソレイユ様・・・」
と、静かに声をかけた。
ソレイユは短く息を吐くと、自席に腰かけた。解放軍司令アルノーと参謀ニコラが、会議室を闊歩して退室して行った。
「レン、なぜ止めたのだ」
ソレイユが振り向き、後ろで直立しているレンを問い質した。
レンは冷静にソレイユへ語りかける。
「不服そうですね」
「当たり前だ」
ソレイユは怒気のある声で、レンに言葉を投げつけた。
「リヤン王子の勅命は、『アードラー帝国軍からアルカディアを解放し、アルカディアフィールドの脅威を取り除け』です」
「その勅命の解釈の仕方で、アルノー解放軍司令に保留されたのだ」
「ソレイユ様、勅命にはまだ続きがあります。『直ちにビアージュ家嫡男のソレイユ・フォン・ビアージュは配下の兵を従えて参戦せよ』です」
「だからここへ参戦した。それがどうした」
「復唱します。『配下の兵を従えて参戦せよ』です」
「・・・なるほど、そういうことか」
ソレイユは、悪巧みでも思いついたかのように、レンの瞳を見て左の口角をキュッと上げた。
「ソレイユ殿、待ちなされ」
「マロム伯爵、どうか今の会話はご内密に」
「おほほ・・・我は何も知らぬ。それよりソレイユ殿を見こんで、1つお願いがある」
「どのような事でしょうか」
「我は御覧の通り、この戦傷のため兵の指揮をとるには、城塞都市アルカディア兵1000名ではちと荷が重い。ソレイユ殿に500名ほど預かっていただけないかのぉ」
「・・・マロム伯爵、そのお心遣いには感謝の言葉もありません。
しかし、その兵たちは死地に赴きますが、よろしいのですか」
「兵士は己が家族のために命を賭ける。それに、戦の女神に祝福されたソレイユ殿は、城塞都市アルカディア解放の英雄。兵士たちは、喜んでその務めを果たす事だろう」
「ありがとうございます」
ソレイユは、襟を正して敬礼した。
ソレイユに割り当てられた部屋
レンは左腕に白い布巾をかけて、リュミエールの後ろに立っている。
リュミエールは素顔のまま深い椅子に腰かけ、白地にピンクのバラの意匠のついたカップに注がれた紅茶の香りを楽しんでいる。
「うーん、オレンジのような深い赤色、花のような芳醇な香りとこの渋み、これはウバですね」
「はい、セイロン産のウバです」
「口に含めば、鼻に抜けるこの香り。うーん、素晴らしい逸品です」
「リュミエール様、出発は午前0時と兵に伝えておきました。
ソレイユ隊は、先の戦闘での負傷者を除くと、1000名となります」
「ご苦労様。城塞都市アルカディアから、外に繋がる隠し通路は確認しましたか」
「はい、マロム伯爵からお伝えいただいた通り、アルカディア郊外の西に繋がっておりました」
「ソレイユ隊が単独でロッシュへ向かうことに、兵たちに動揺はありませんでしたか」
「ありません。戦の女神に祝福されているというソレイユ・ビアージュ様の威光と、此度の戦功は絶大です」
「レン、ウバをもう1杯いただけるかしら」
「かしこまりました」
ピンクのバラの意匠のティーポットからカップに紅茶を注ごうとした時である。
「!!」「!」
ソレイユは飛び起きて壁に掛けたサーベルを抜く。レンは剣を握ると窓へと走った。
ソレイユは、白いベネチアンマスクを顔に素早くかける。
「何奴だ」
ソレイユが誰何した。
レンはソレイユと窓の間に割って立ち、窓に向かって冷たい殺気を放ちながら、ゆっくりと剣を鞘から抜いた。
すると、ベランダの手すりに手をかけ、一気にベランダに飛び乗って来た男がいた。
「感づくとは、さすがだな」
窓を静かに開けて、部屋に侵入した男が低い声で言葉を発した。
開いた窓から吹き込む風が、血の匂いを運んで来た。
「お前はあの時のデュランか」
レンの構える剣の切先が、デュランの喉元を牽制する。
「おおっと、慌てるなレン、俺は丸腰だ」
デュランは両掌を開き見せ、右手の人差し指を曲げて、レンをツンツンと指さすようにして笑った。
「おいデュラン、その背の銃と腰の剣は何だ」
「あっ、これね・・・ついうっかりしていた、ほんと、うっかりだ」
デュランは、ゆっくりと背負った銃と腰の剣を外し、小指を立てながら2本の指で銃と剣を摘まみ床に落とした。
レンはデュランの胸とブーツに鋭い視線を投げ、呆れたように息を吐いた。
「ん? ・・・おっと、これもだ・・・」
デュランは上着の右胸裏と右のブーツからも短剣を抜いて、床にそっと置いた。
「レン、言った通りだろう。俺は・・・丸腰だ」
デュランは掌を見せ、腰を振ってお道化て見せた。
「何をしに来た」
「ソレイユの命を捕りに来た」
その瞬間に、レンはデュランの喉元を突いた。
「待て!」
ソレイユの叫びで、両手を上げたデュランの喉寸前で、レンの切先が止まる。
レンは、デュランを激しい殺意のこもった視線で射抜きながら、ソレイユに言う。
「ソレイユ様、この男は危険です。ここで殺しておくべきです」
「レン、待て。
デュランと言ったな。我を殺すつもりで来たと言ったが、諦めたのか?」
「ふぅ~、危なかった・・・死ぬかと思った。ほんと、危険。
ソレイユが、ソレイユの偽物を止めなければ、ソレイユを殺しに来た俺は、ソレイユの目の前で、ソレイユの偽物に殺されていた・・・ん? ややこしいな。
あんた・・・偽物のレン? まぁ、どっちでもいいか。
そのぉ、こっちのソレイユの偽物に1つ言いたい。話は最後まで聞くことをお勧めする。
ついでにもう1つ言っておく・・・ソレイユの偽物、あんたね・・・金髪は似合わんよ。
そうそう、話を戻そう。俺がソレイユを・・・こっちの方のソレイユね。殺しに来たのは、昨日だったかな?
今朝? いつ? あ、さっきだ・・・そうそう、さっきだ」
そう言いながら、デュランは小指を立て、親指と人差し指の2本でレンの剣先を摘まみ、首元からそろりと移動させた。
レンは、素早く剣先を首元に戻す。デュランは仰け反り顔を引きつらせる。
「うぐぐっ、ところが、思いついたんだ。そう、こう、ひらめいちゃったんだ。ビビビーンとね。
そして、ソレイユに、殺す以上の新しい価値を見つけた。ふーっ、ふーっ」
デュランは口をとがらせて、首元の剣先を動かそうとして、ふーっ、ふーっと息を吹きかけた。
「我に新しい価値を見つけた? それはどういうことだ」
「俺の村を救える力を秘めているという価値だ」
「村を救うとは、何のことだ」
「俺の村はオロール王国ザンリューグ伯爵領マレ村。
領主ザンリューグ伯爵は、保身のためにアードラー帝国に3年前寝返った。あ、因みに寝返り1番はシューツ公爵ね・・・。
その領主ザンリューグ伯爵の寝返りの結果、都市ロッシュ近郊の俺の故郷マレ村の民は、アードラー帝国の奴らに奴隷のように扱われ、生き地獄となった。
・・・ホントひどい話だ・・・もちろん今も。
都市ロッシュには、奴隷兵として多くの民が徴兵され、送られた」
「それで?」
「俺には銃の腕があったから、アードラー帝国兵として、このアルカディア攻略に従軍して来た。戦果次第では、俺の出生も思いのままだった。それは、マレ村を救う唯一の希望だった。
ところが、ソレイユは、こっちと、あ、そっちのソレイユもね。2人で北部方面司令官バーバラを討ち取り、アードラー帝国軍を壊滅させちまった。
これで俺の出世も叶わぬ夢となった・・・そう、希望もおさらばだ」
デュランは天を仰ぎ、瞼を掌で覆った。
「だがそこから、俺は1つの可能性を発見した。ソレイユと俺が共に戦い、マレ村を救う事ができるかもしれないという可能性だ。
それが、ソレイユに見出した新しい価値だ」
「何とも都合のよい話だな」
ソレイユは、呆れかえるような視線を向けた。
「ソレイユ様、デュランは信に足りない者です。
別の価値をアードラー帝国に見出せば、我々を裏切り、また敵に寝返ります」
「レン、俺とは今日会ったばかりなのに、俺の事が良く分かっているじゃないか。
ご名答、その通りだ。俺は、相手の利用価値が高ければ、迷わずそちら側につく」
「ふはははは、信に足りぬが、正直な男だ」
ソレイユは、デュランの血の滲む喉元を見て言った。
「デュランは、なぜマレ村を救いたいのだ」
「・・・うぅーん・・・俺が? なぜだろう・・・分かるのか? 教えてくれ・・・家族や友のため? どうもピンとこないな。恋人?
うぅーん、俺の全てがそこにあるからかもしれない」
ソレイユはふっと笑いを浮かべる。
「レン、もう剣を納めよ」
レンは、デュランを睨んだまま剣を鞘に納めた。
「デュラン、我らがマレ村を助けに向かうかどうかは約束できん。
それで良いなら、付いて来い」
「・・・とりあえず、今はそれで十分」
デュランはソレイユに向かい、右手を胸につけ深々とお辞儀した。
デュランが退室しようとすると、ソレイユが止める。
「デュラン、待て。アードラー帝国軍にいたお前の顔を、こちらの兵が覚えているかもしれん。
レン、橙と黄のマスクを用意しろ」
レンが荷物の中から、橙と黄の2枚のベネチアンマスクを持って来た。
「デュラン、これを重ねて両手で持って突き出せ」
デュランが2色のベネチアンマスクを重ねて、ソレイユに突き出した。ソレイユはサーベルを居合抜きのように一閃した。
「その半分となった橙と黄のベネチアンマスクを縫い合わせて、お前のマスクとするがよい」
「・・・右半分が橙、左半分が黄のマスク? 俺のマスク? んー、俺らしい」
レンが、デュランに冷たい口調で伝える。
「今夜午前0時、我がソレイユ隊は、このアルカディアから抜け出す」
「了解。
そうそう、俺の名は、マレ村のテオ・デュラン、年は25だ」
デュランは、ソレイユとレンの眼を見てから、武器を拾い上げ、窓から出て行った。
「ソレイユ様、よろしいのですか」
「デュランは、アードラー帝国軍でそれなりの扱いを受けていたはずだ。
それよりもマレ村を選んだ。その1点だけは信じるに値する。
それに、我がマレ村の民を救う可能性があるとデュランが判断しているうちは、裏切らないだろう」
「ソレイユ様、デュランをどのように使われますか」
「デュランは、レンの報告にあったあの凄腕の剣士のことだろう。彼奴はレンに任せる。
・・・レンは、デュランがその能力を発揮できる役割を、既に考え始めているだろう」
「当然です。リュミエール様の至高の執事、至強の従者であることが私の務め」
大陸暦717年5月10日 0:00
日付が変わると、城塞都市アルカディアの隠し通路を通って城外に出たソレイユ率いる総勢1000は、そのまま夜陰に紛れ消えて行った。