第2章 虚実 3 二人の初陣
大陸暦717年5月3日
「リュミエール姉さん、すまない」
「ソレイユ、父上と母上の事は頼みましたよ」
リュミエールはソレイユの寝室に飾った赤い薔薇が、ソレイユの心を穏やかなものへと導いてほしいと切に願った。
「ソレイユに武名はいらない。リュミエール姉さんは、必ず生きて帰って来てください」
「ソレイユの名も、リュミエールの体も、私が無事に連れ帰って来ます」
リュミエールはソレイユに微笑んだ。
「レスポワー、セ ラ リュミエー キ ブリ オ フォン ドゥ トン クー。
ご武運を」
ソレイユも微笑み返した。
ソレイユの部屋を退出する前に、リュミエールは、右側がアゲハチョウの羽の意匠をした白のベネチアンマスクをつけた。
「行って来る」
「・・・姉さんの姿は、本当に僕そっくりだ」
フォルトの街、ビアージュ子爵邸庭
フランク・フォン・ビアージュ子爵が軍服姿でソレイユ(リュミエール)率いる隊を眺めている。
ソレイユはビアージュ子爵に敬礼をして、
「父上、オロール王国リヤン・オロール王子の勅命により、アードラー帝国軍からアルカディアを解放し、アルカディアフィールドの脅威を取り除くために、このソレイユは出陣致します」
と、小気味よく述べた。
「ソレイユ、初陣だな。壮健なれ」
「はっ」
ソレイユは、素早く敬礼をすると、体を反転させて愛馬雪風に跨り、凛々しい目つきで前を見る。
「乗馬」
黒のベネチアンマスクをつけたレンが、号令をかける。
青のベネチアンマスクをつけた白蝶騎兵隊が一斉に馬に跨る。ブロロロッと馬が嘶いた。
「ソレイユ隊、敬礼!」
白蝶騎兵隊20騎と銃士100名がビアージュ子爵に敬礼をする。ビアージュ子爵も敬礼を返す。
「前進!」
ソレイユを先頭に白地に金獅子と剣の意匠の軍旗を持った騎兵、その後ろには、白蝶騎兵隊、銃士兵、馬車が続いた。
子爵邸の2階の窓からはフローネ妃が、ソレイユ隊を一人見送っている。
「・・・リュミエール。
・・・どうかリュミエールをお守りください・・・」
フローネ妃は、床に両膝をついて祈りを捧げた。
ビアージュ子爵邸の城門を出ると、フォルトの住民が手を振って隊を見送っている。
「あなたー、生きて帰って来てね」
「父ちゃん、いってらっしゃい」
「無事に帰って来るんだよー」
「先頭はソレイユ様よ。いつ見ても神々しいお姿だわ。こっちを見たわ、ご武運をー!」
「ソレイユ様、この国を頼みましたよ」
などと、出陣する隊に手を振る住民たちの声援が包む。
先頭のソレイユは、領民に手を振りながら、隣にいるレンに話しかけた。
「レン、城塞都市アルカディア包囲の動きをどう見る?」
「城塞都市アルカディア領主マロム伯爵は、リヤン・オロール王子支持派です。
アードラー帝国から派遣されてきたジェルム皇子の摂政ノア・ガラメルは、オロール王国の完全支配を目論み、その障害となるリヤン王子に忠誠を誓う城塞都市や地域を武力支配していくつもりなのだと考えます。
この城塞都市アルカディアが落とされたら、リヤン王子に忠誠を誓う都市が次々と狙われオロール王国の東部すべてが征服されるだろう」
「むう、城塞都市アルカディアは必ず解放する。
そうすれば、日和見の貴族や民たちが、リヤン王子の旗の下に参集して来る。
アードラー帝国との戦に勝っている限り、味方の兵は雪だるま式に増えるだろう」
「ソレイユ様、その日が必ず参ります」
「レン、あの最新型銃改Ⅱを生かす戦術が要となるな」
ソレイユは振り向き、後方の馬車4台に目をやった。
大陸暦717年5月7日
城塞都市アルカディアから4km地点
ソレイユ隊が、城塞都市アルカディア解放軍に合流した。ソレイユとその従者レンは本陣の簡易幕舎に通された。
「ソレイユ・フォン・ビアージュ、リヤン・オロール王子の勅命により、アードラー帝国軍からアルカディアを解放し、アルカディアフィールドの脅威を取り除くために参戦致しました」
「ご苦労。アルカディア解放軍総指令ルーレン・フォン・アルノーだ」
「参謀のフォック・フォン・ニコラだ」
初老で屈強な体躯をした強面の将軍のアルノーと長身細身のニコラは地図を見たまま、ソレイユに名乗った。
「ソレイルとやら、手勢は何名率いて来た」
「120名です」
地図を見ていたアルノーは振り返り、ソレイユを見下したような笑みを浮かべた。
参謀ニコラが、
「オロール王国屈指の軍学者であり、戦では常勝と名高いビアージュ子爵家が120名の兵しか出さぬとは・・・」
と驚いた口調で言った。
「ニコラ、まあ、それは良い。それよりもご子息のソレイユ殿も、ビアージュ子爵と同じく、これまでの戦において常勝なのかな」
「私は初陣です」
「なんと、これが初陣!」
参謀ニコラは額に手を当てたまま天井を見て、あぁーと呻くような声を出して目を瞑った。
「・・・ニコラ子爵、ソレイユ殿に戦況と作戦の説明をしてやれ」
「はっ」
ニコラ子爵はため息を吐いてから話し出した。
「・・・以上の通り、城塞都市アルカディアには、住民2万と兵1000が包囲されたままだ。また、我が城塞都市アルカディア解放軍は、兵2000。
一方、包囲するアードラー帝国軍は、兵4000」
ソレイユが参謀のニコラを見て意見を述べる。
「城塞都市アルカディアの兵とこちらの解放軍の兵を合わせれば3000。アードラー帝国軍4000と勝負にならない兵力差ではない」
参謀ニコラがキッと目じりを上げ、ソレイユを睨んで答える。
「我が軍は、アードラー帝国軍に攻撃すること3回。その全てを敵の北部方面司令官アレクサンドラ・フォン・バーバラ辺境伯が指揮する精鋭部隊に撃退されている。
バーバラ辺境伯は、アードラー帝国軍においても屈指の武勇を誇る猛将。
しかし、今、最も懸念すべきことは、アルカディアの食糧と兵の士気の低さ、敵増援軍のことだ」
「アルカディアの食糧はどのくらい持ちますか?」
「切り詰めて2週間。我らがリヤン王子より託された食料を、アルカディア城内に運び込むこともできない状況だ」
「アードラー帝国軍の増援についての情報はいかがかな?」
「ここマロム伯爵領のアルカディアフィールドに隣接する都市ロッシュに、アードラー帝国軍が終結中との情報がある。ここからは北西12㎞のところだ」
「このままでは、アルカディア包囲軍、そして背後からの敵増援軍による挟撃を受ける可能性が高いということか。
食料不足と士気低下、背後に敵増援軍か・・・作戦は限定されるな」
ソレイユと参謀ニコラのやり取りを黙って見ていたアルノー解放軍総指令が、口を開いた。
「3日以内に、敵の北部方面司令官バーバラ辺境伯を討ち取るしかない。
アルカディアを解放するには、その策しか残されていない」
参謀ニコラが頷き作戦を説明する。
「第1段階として、まず、城塞都市アルカディア内にいる兵の士気を高める。
その任をソレイユ隊に任せる」
「城内の兵士の士気高揚が目標だな。承知した。
・・・包囲するアードラー帝国軍の配備している銃の数は?」
「確認できたもので30挺だ。
アードラー帝国軍は、今なお最新兵器とも言える銃をこの戦線に30挺も集めている」
アルノー解放軍総指令がソレイユの顔を見て、
「そう言えば、ビアージュ家は、あの高価な銃を戦場で活用してきたと聞いたことがある。今回も銃を持参して来たのか」
と尋ねた。
「・・・少々」
「少々か、ないよりはましか・・・包囲するアードラー帝国軍を、逆に我らと城内兵によって挟撃するためには、アルカディア城内兵の士気が大事となる。
それは、アルカディア城内兵の目前で、アードラー帝国軍に痛撃を浴びせなくては難しいだろう。よって、重要かつ危険な任務となる。
城内兵士気高揚の具体的な戦術はソレイユに任せる。初陣となるソレイユには、荷が勝ち過ぎるとも言える任務だ。
我が軍からは、出兵の折にリヤン王子から授かった500の兵を授けよう」
ソレイユの幕舎に戻ると、レンと作戦会議に入った。
「アルカディア兵の士気を高めるためとはいえ、ソレイユ様考案の作戦『白アゲハの円舞』は、危険過ぎます」
レンが冷静だが厳しい口調でソレイユに具申した。
「我らの目標は、アルカディア兵の士気を高めることだ。この策は最も有効な方法だと思う。それに、敵の銃は前装式の命中精度が悪く、連射速度が極端に遅い旧式。それもたかが30挺だ。
もし、この策が成功すれば、その後の策においても、敵を誘導できる」
「ソレイユ様が危険過ぎます」
「ならば、レン、お前も共に来い」
「勿論、ソレイユ様をお守りします。執事として、従者としての務めを果たします」
「レンは私を守らなくてよい。一緒にいてくれればよい。それだけだ」
大陸暦717年5月8日 8:30
総勢620名となったソレイユ隊は、森の端から城塞都市アルカディアを一望した。
「アードラー帝国軍が攻城戦を開始しています」
レンが指さす城塞都市アルカディアの城壁には、アードラー帝国兵が高い梯子をかけ、兵がへばりつくように群がっている。
アルカディアの城壁からは、矢が唸りを上げて雨のようにアードラー帝国兵に降り注ぐ。
森の中に潜んでいるソレイユ隊に向かって、ソレイユが命じる。
「ソレイユ隊、横陣」
ソレイユ隊の兵士たちは、森の端で横陣を組んだ。
兵士たちにもアルカディアの戦況が目に映った。城壁を攻略しようとしているアードラー帝国兵の数を目の当たりにして、唾を呑み込み、手の汗をズボンで拭った。
「俺たちはあそこに突撃するのか」
「死ぬときは一緒だ」
「ソレイユ様は、きっと先頭を駆けてくださるに違いない」
兵士たちは震える声で囁いていた。
「これより作戦『白アゲハの円舞』を実行する。ソレイユ隊は、このまま待機」
ソレイユはそう命じると、愛馬雪風の首を優しく撫でた。
「え?」
兵士たちはキョトンとしていた。
白地に直立する金獅子と剣が交差するビアージュ家の紋章の付いた軍旗を、レンはソレイユに渡した。
「ソレイユ様、初陣です。鮮やかに」
「ああ、我とレン、二人の初陣だ。慎ましやかに」
次の瞬間、ソレイユは単騎で城塞都市アルカディアに向かい駆け出した。騎上のソレイユの背を追うようにレンも馬を走らせる。
アードラー帝国兵の中で、アルカディアの城門に向かって駆ける2騎に気づく者は、まだいなかった。
ソレイユの持つビアージュ家の軍旗が風に靡く。
攻城戦中のアードラー帝国兵の背まで、あと200m。
「ソレイユ様、銃弾が届く距離となります。これ以上は、危険です」
「まだだ、これでは城内の兵には声が届かぬ」
アードラー帝国兵の背まで150m。
「ソレイユ様、近づき過ぎです」
「あと少しだ」
アードラー帝国兵も気づき出す。
「おい、後ろに遊軍か・・・金の獅子と剣、あの紋章は敵だ」
「あれは、常勝で名高いビアージュ家の旗だ」
次々に振り返る敵兵が、ソレイユの掲げる軍旗を指さした。
城壁を守るアルカディアの兵も異変に気付き、ビアージュ家の軍旗を指さし叫び始めた。
「見ろ、ビアージュ子爵家の金獅子の軍旗だ」
「常勝ビアージュ家が援軍に来たぞ」
「・・・だが、たった2人だぞ・・・」
初老の勇将であるアードラー帝国北部方面司令官アレクサンドラ・フォン・バーバラ辺境伯も、軍旗を持つソレイユとそれに付き従うレンの2人に気づいた。
城壁にへばり付くアードラー帝国兵の背まで40m。
ソレイユは手綱を引き絞ると、雪風は棹立ちになった。
「どう、どう、どう」 ブロロロロッ
ソレイユはそう言って雪風をなだめてから、右手に握るビアージュ家の軍旗を高々と掲げた。
白地に金獅子と剣の意匠の軍旗が、バタバタと音を立てて風に靡く。
軍旗を掲げる赤の軍服と蝶の意匠のついた白のベネチアンマスク姿のソレイユ。その金色の長い髪が、陽の光でキラキラと輝き風にそよぐ。
城壁の兵士たちはこの男に神々しさを感じ、一挙手一投足を見つめた。
「城塞都市アルカディアの兵と住民たちよ。
リヤン・オロール王子が、其方たちのこれまでの健闘を称え援軍を遣わした。そして、オロール王国中の民も、その勇気に惜しみない声援を送っている。
我は、常勝フランク・フォン・ビアージュ子爵が嫡男ソレイユ・ビアージュである。
勇敢なる兵士たちよ。我と共に戦え!
我と共に勝利を勝ち取れ!
我と共に侵略者アードラー帝国兵を、このオロール王国から討ち払うのだ!」
城壁からは兵士たちの、城内からは住民たちの雄叫びが沸き上がり天にこだました。
その歓声の中に1発の銃声が響いた。弾丸はソレイユの頬をかすめるようにして通過した。
「レスポワー、セ ラ リュミエー キ ブリ オ フォン ドゥ トン クー。
希望とは、心の中に輝く光」
ソレイユはそう言って、右手でビアージュ家の軍旗を掲げ、左手を真っすぐ横に広げて胸を突き出し、城塞都市アルカディアの外周に沿って駆け始めた。
「ソレイユ様、危険です。もう少し距離を取ってください」
「レン、あと一歩だ。アルカディアの兵と民の士気を極限まで上げる。ついて来い!」
城壁にへばりつくアードラー帝国兵から30mの距離をとって馬を走らせる。
アードラー帝国兵の銃口が火を噴き銃声が轟く。
ソレイユは、馬上で腕を広げ、胸を張り、軍旗を天に突き上げている。
「勇敢なるアルカディアの兵士たちよ。我と共に戦え!
我がビアージュ家は、戦の女神から祝福されている。必ずや勝利する!
我と共に戦え!」
そう何度も叫びながら、愛馬雪風を走らせる。
ソレイユとレンは、アルカディアの東から南へと駆けて行く。
北部方面司令官バーバラ辺境伯がニヤリと笑みを浮かべ、
「ほほー、これは実に面白い・・・あの若造たちへの追撃は無用だ。
銃撃で戦の女神の祝福とやらの化けの皮を剥がしてやれ。がははははは」
と、高笑いをした。
ソレイユを狙いパン、パン、パン、パンと銃声が続く。
城壁からは、ソレイユの身を案じる兵士たちが、手を口に当てて叫ぶ。
「ソレイユ様、もう充分です。離れてください」
「危険です。ソレイユ様」
ソレイユは城壁の兵たちに笑顔で応えるも、頭部や肩、背などを掠めるようにして弾丸が飛んで行く。
城壁から身を乗り出す兵士たちは、軍旗を掲げ、赤の軍服に身を包み、金髪を波打ち疾走するソレイユの雄姿を、戦の女神と重ね合わせる。
そして、その姿が、まるで無音のスローモーションを見ているが如く、鮮明に脳裏に焼き付く。
ソレイユは、ゆっくりと風に靡く軍旗を突き上げ、城壁に向かって大きく口を開き吠えている。白馬の馬蹄から跳ねた土が、舞い上がりゆっくりと落ちる。
スローモーションの中、城壁の兵たちは、目を見開き、歯を剥き出したまま、拳を突き出してソレイユに歓声を上げる。
金獅子の軍旗ははためき、ソレイユとレンは、北から東へと駆け巡る。
「勇敢なるアルカディアの兵士たちよ。我と共に戦え!
我がビアージュ家は、戦の女神から祝福されている。必ずや勝利する!
我と共に戦え!」
ついにソレイユとレンは、城塞都市アルカディア外郭を1周した。すると、森に向かって駆け戻って行った。
無事に駆け戻る2人の後ろ姿を見送るアルカディア兵たちは、拳を振り上げ、口から泡を飛ばして歓喜の雄叫びを上げた。城壁がビリビリと細かく振動した。
北部方面司令官バーバラ辺境伯が呟く。
「なかなかやりおるわ。今日は撤退だ」
北部方面司令官バーバラが指示を出した。
「賢明な判断だ」と、銃兵長代理テオ・デュランの唇が声もなく動いた。
参謀グレイン・フォン・ダグラス子爵が異議を唱える。
「我が軍が攻城戦では押しております。このまま一揉みにできます」
「士気のこれほどまでに高まった敵兵との継戦は、我が軍にも甚大な被害が出る」
との北部方面司令官バーバラの指摘に、
「銃兵が不甲斐ないばかりに・・・」
と参謀ダグラスは、横目で銃兵長代理テオ・デュランを睨みつけて呟いた。
そして、アードラー帝国兵を城塞都市アルカディアから1㎞ほど下がらせた。
森に待機していた総勢620名のソレイユ隊兵は、ソレイユとレンを畏敬の念で迎えた。
「撤退」
ソレイユが、言葉短く命令した。
馬上からレンがソレイユに話しかける。
「アルカディア兵の士気は予想以上となりました。大きな成果と言えます」
「レンは、あの銃弾が飛び交う中で、敵の騎馬や銃などの配置を確認していたな」
「当然です。ソレイユ様の至高の執事、至強の従者であることが私の務め」
ソレイユは振り返り、笑顔を見せた。
「ソレイユ様、ビアージュ家が戦の女神の祝福とは、大胆な方便ですね」
ソレイユは、前方を見ながら無言で馬を走らせている。
「レン、今日は何か言いたいことがあっても聞かぬぞ。覚えておけ」
レンは、ソレイユの背に温かな笑みを向けた。