25 裏の裏の裏の裏は全く別の表
大陸暦718年1月12日 9:00 首都パリリス西35km、軍事城塞コトー東15㎞
白馬雪風に跨るソレイユの前に、ソレイユ兵に囲まれた1人の男が片膝をついた。
「ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯様とお見受けします。
私はアレクシ・フォン・バイイ伯爵の元副官オーギュスト・ノエルです」
ソレイユはオーギュストをしげしげと見た。年齢は二十代半ばで青みかかった銀の髪を持ち、端正な顔立ちをした長身の男性であった。額には包帯を巻き、左腕と右腿にはうっすらと血が滲んでいた。
「オーギュスト、バイイ伯爵の元副官と申したな。其方はここで何をしていたのだ」
「マーティン辺境伯様にお伝えしたいことがあり、私はこの街道が見えるあの森に沿って東に進んでおりました」
オーギュストは手傷のせいか、かなり息が苦しそうであった。
「我に何を伝えたいのだ」
オーギュストの眼は左右に動き、周りの兵を気にしている様子であった。
「構わん。周りの兵は信に値する者ばかりだ。ここで申せ」
「はっ、軍事城塞コトーは、守将バイイ伯爵の寝返りによって陥落しました。
祖国とオロール国王を裏切ったのです」
「・・・」
「マーティン辺境伯様、アードラー帝国軍の将は、4大軍神No.2のデューク・フォン・フェアリー将軍です。
フェアリー将軍のねらいは、オロール王国反撃の核となった解放の英雄マーティン辺境伯様のお命です。この先の森には伏兵がおります。どうかご用心めされてください」
「・・・そのことを知らせるために、軍事城塞コトーから脱出してきたのか」
「手勢を・・・連れて脱出しましたが、途中で・・・追手と・・・伏兵によって8名となりました・・・」
ソレイユは、手傷を負った兵8名に目をやった。
「オーギュスト、ご苦労であった」
「ど、どうか・・・ご・・・用心を・・・」
オーギュストはそう言うと、その場で気を失ってしまった。
「レン、オーギュスト殿とその配下に手当を・・・伏兵に備え、斥候を強化しろ。
我が軍は、臨戦態勢のままここで一時待機する」
「承知しました」
レンは配下の兵に手早く支持を出した。レオンとナナも心配顔をしながら、近づいて来た。
オーギュストとその配下の兵は、簡易テントの中で治療を受けた。
ナナが斥候から戻るとソレイユに報告する。
「ソレイユ様、この先5㎞先の森に伏兵がおりました。その数6000。
それから伏兵の周囲には、七重八重の罠が仕掛けてあります」
「罠だと・・・他に伏兵はいなかったか」
「まだ10㎞先までしか確認できていません。その先は現在確認中です」
レンがソレイユに話しかける。
「ここからコトーまで15㎞。オーベルシュトルツ殿がコトーを攻略した折に視察してきましたが、コトーは平原にある険しい丘を軍事城塞化したもの。コトーを中心とした3~5㎞の外周は深い森、東側5㎞地点には南から北へ流れるシレーヌ河があります」
「レン、そうなると、我が軍9,600が10㎞先にあるシレーヌ河に架かる橋を渡る時に、森に潜む伏兵6000が背後から攻撃をして来る。その橋の先になる西側の森にも伏兵がいて、橋の上の我が軍は東西から挟撃されるということか」
「見事な作戦です。オーギュスト殿が知らせてくださらねば、我が軍は甚大な被害を被っていたことでしょう。ですが・・・」
「レン、妙案があるのか」
「視察の折に、そのシレーヌ河に架かる橋の北側7㎞の下流には、渡河しやすい浅瀬を確認しています」
「浅瀬を渡河か・・・」
軍事城塞コトーから距離を置いた丘
森に囲まれた小高い丘の上には1つの幕舎があった。
幕舎の中では、五十代半ばの眼光の鋭い男が、地図を眺めている。この男はアードラー帝国軍の4大軍神の1人、謀神デューク・フォン・フェアリー将軍であった。
50歳の副官ハイター・フォン・ローズが、フェアリー将軍に話しかける。
「フェアリー将軍、ソレイユ軍は、浅瀬の渡河を試みるのでしょうか」
「ふぉふぉふぉ、今回の儂の目的は解放の英雄のソレイユの首じゃ。そのための計略」
「フェアリー将軍の副官となって30年、一度たりともフェアリー将軍のお言葉を疑ったことはありません。しかし、今回は読み切れません」
「よいかハイター、ソレイユが森の中の伏兵に気づけば、選択は3つに絞られる。
1つ目が、伏兵を事前に壊滅させること。
だが、儂の潜ませた伏兵の周りには罠をいたる所に仕掛けてある。ソレイユ軍が伏兵を狙ったとしても、伏兵は無傷で姿をくらませるだろう。
結果として、ソレイユ軍は罠によって兵を消耗した挙句に、伏兵の脅威からは逃れられん。
しかし、それよりもより確実にソレイユの首をとるため、ソレイユにあえてこの罠に気づかせてやるのだ。
当然、ソレイユにしてみれば、この1つ目の選択肢は消える。
2つ目が、橋を渡ることだ。
これは死地に飛び込むに等しい。橋の東と西の前後から我が軍の挟撃に合う。
仮に軍の半数で橋を渡り、半数を待機させたとしても、2軍に分かれたソレイユ軍は退路を失い、我が軍に各個撃破されるだけだ。
3つ目が、橋の南7㎞にある浅瀬を渡河することだ。
渡河は危険を伴う一手だ。だが、これができれば、橋の先の西側の森に潜む、我が軍の背後へと迂回することが可能となる。
ハイター、貴官ならどれを選択する」
「通常なら1を選択します」
「ふぉふぉふぉ、1か」
「ですが、伏兵の周囲への罠に気づいたとすれば、3を選択します」
「ふぉふぉふぉ、3か」
「フェアリー将軍、ソレイユ軍は、浅瀬の渡河を試みるでしょうか」
「この4大軍神、謀神のフェアリーが相手と知れば、儂の神謀に怯え、裏の裏の裏・・・と際限なく考えを巡らせ、結局ソレイユは自滅していくことだろう。
儂との読みあいで、儂の計略から逃れることはできぬ。必ず、ソレイユは2の橋を渡る選択をする」
「・・・裏の裏の裏の裏ですか」
「ふぉふぉふぉ、まあ見ておれ。
橋を渡ったソレイユ軍1万の東の背後から6000の伏兵が襲い掛かり、橋を越えた西からは、待ち伏せていた1万の兵が挟撃する。更に、儂が率いる1万4000の兵が側面を叩く」
「橋を渡った西側は、ソレイユ軍を壊滅させていく狩場となるわけですな」
「その通りじゃ。
仮にソレイユ軍が橋を渡らず、下流の浅瀬を渡河したとしても、その側面を儂の1万4000が突けば、西の伏兵1万も即座に対応して挟撃するだけのことじゃ」
「それに我々には切り札も隠しておりますし。
フェアリー将軍の計略は、常に人智を超える神謀です」
「ふぉふぉふぉ、だが、切り札は、最後に切るもの・・・切り時で価値が決まる。
くれぐれも切り時を誤ってはならぬ」
「しかし、フェアリー将軍の計略には、切り札は必要ないかもしれませんな」
「ハイター、戦は生き物。何が起きるか予断を許さない。それ故に、何が起きても受け入れるしかない。
例えば、どんなに卓越した能力や技をもっていようと、優れた戦略や戦術で圧倒的に優勢でいようと、たった1振りの剣や1本の流れ矢によって将の命が失われ、戦の帰趨が決することもある」
「私も数知れずそれを見てまいりました。
1振りの剣、1本の矢で命を失うのは、明日の我が身かもしれません。その覚悟だけはしているつもりです」
「儂もそうだ。それが戦に生きる者の定め、その定めに抗うことはできん・・・さあ、移動するぞ」
とフェアリーはニヤリとして言うと、鹿の角を着けた兜をかぶった。
軍事城塞コトー東15㎞
「レン、浅瀬を渡河することが上策だというのか」
「はい。しかし、相手は4大軍神、謀神のフェアリー将軍です。それを見過ごす訳はありません。よって、下策となる橋を渡るべきだと具申いたします」
「下策を選択せよというのか」
「裏の裏の裏の裏です」
「レン、それでは表になるのではないか」
「ソレイユ様、兵法において、裏の裏は表ではありません。ましてやその裏の裏となれば、全くの別物です」
「うーん・・・では、その全くの別物の表でいこう」
ソレイユがレンの提示した選択肢に断を下した。
レンは黒いベネチアンマスクから、真剣な眼差しをソレイユに向ける。
「ソレイユ様、くれぐれもご用心ください」
「レン・・・分かっている」
レオンとナナは、掌を返しながら、
「裏の裏の裏の裏は、表ですよね。しかも同じ掌の表・・・」
「うん、未来の旦那様やレンの掌は変わるのかなぁ。それとも手品なのかなぁ」
と何度も眺めていた。
大陸暦718年1月12日 14:00 軍事城塞コトー東5㎞ シレーヌ河東岸
ソレイユはシレーヌ河に架かる長さ100mの橋の手前に広がる平地に立って、東西の森を眺めている。
「シレーヌ河の河岸の東西600mから深い森が続くのか。この両岸の平地がソレイユ軍の生命線になるな」
「はい。作戦通りに横陣を作ってから橋を渡らせます」
「レン、頼んだぞ」
レンが手を上げると、深紅に切り絵のような白いアゲハチョウ紋章のついた軍旗が揺れた。
橋の手前になる東に横陣が形成されていく。橋のすぐ手前の中央には、従者隊副隊長アベルを先頭に、9連発のヴァーグ銃を構えた白アゲハ騎銃士隊1000騎と白蝶騎兵隊1000騎、ソレイユ直属軍のポルト銃を構えた銃士隊500名が並ぶ。
その左右にレオンの指揮するトネール砲10門が対岸の奥の森に照準を合わせている。その後ろには、ジル隊とデュラン隊のポルト銃2000挺の銃士隊が、背後からの伏兵に備え、後方の東の森を警戒するように姿勢を低くして構えた。
怪我の手当の終わったオーギュストがソレイユの脇に立って、
「ソレイユ様、いよいよですね」
「オーギュスト、其方の情報は役にたったぞ」
「有難きお言葉です」
オーギュストが憧れるような瞳をして、ソレイユを見つめた。
ソレイユがレンの瞳にゆっくりと頷いた。
レンは馬上から、剣を振り下ろし、剣先で橋の対岸を指示した。
甲高く軽快なラッパの音が鳴り響いた。その中を、白アゲハ騎銃士隊と白蝶騎兵隊、ソレイユの銃士隊が目の前の橋を駆け抜けて行く。
アベルが先頭を駆け、白アゲハ騎銃士隊と白蝶騎兵隊が後に続く。隊は橋を渡り切り、対岸で橋を守るように陣形を整える。そこにレイユの銃士隊が到着して銃を構えた。
その時、ソレイユ軍の背後の東の森から、どこに潜んでいたのかと思うほどのアードラー帝国の伏兵6000がと飛び出して来た。
デュランが上げた右手を前に出す。
「撃てー!」
デュランの指揮するポルト銃の銃士隊2000挺が森から出て来る敵兵に向けて斉射する。シレーヌ河の東岸は、橙の炎と白煙に覆われた。伏兵たちはばたばたと倒れていく。
6秒ごとにポルト銃2000挺が火を噴いていく。この斉射は5度続いた。
「撃ち方、止めー!」
その後には、東の森の奥まで白煙の匂いと静寂が包み込んでいた。
デュランの指揮する銃士隊を守るべく配置されていたジル隊は、デュラン隊の圧倒的な火力に驚き、あんぐりと口を開けたままであった。
「何だこの威力は・・・ポルト銃を2000挺並べると、6000の敵兵は近づくこともできずに壊滅するのか」
ジルは味方ながら、その驚異的な威力に冷や汗をかいていた。
指揮するデュランも同様であった。敵6000が5連射で壊滅していたのだ。
今後は、橋の先の西の森から、敵兵が雄叫びを上げて突撃して来た。
背後でレオンの号令が響いた。
「トネール砲、撃てー!」
トネール砲10門のT字型の砲先から火が噴き出した。轟音がこだまのように繰り返された。
砲弾は、西の森から出て来る伏兵たちを吹き飛ばしていく。地面に無数の小さなクレーターができていく。
西の森から出て迫ってくる伏兵たちに、ヴァーグ銃を構えた従者隊の白アゲハ騎銃士隊1000騎が駆けながら斉射する。伏兵はばたばたと倒れていく。ヴァーグ銃は9連発なので、絶え間なく弾丸が飛ぶ。西の森にはトネール砲が狙いを済ませたかのように斉射していく。
その時、西の森の北側から敵騎馬兵が飛び出して来た。フェアリー将軍率いる敵本隊の1万4000であった。
このフェアリー軍めがけて、ソレイユの銃士隊500挺が橙の炎を上げた。先頭の敵兵が倒れていく。
「退けー!」
レンが東岸から、西岸の兵に叫んだ。
「退けー、橋を渡り、元の東岸に戻れー!」
アベルが隊に命じた。
これに合わせてレオンがトネール砲の照準の変更を指示する。
「照準は、これから橋の先に集まる敵兵だ」
「「「照準了解」」」
軽快なラッパが鳴り響く中、西岸に渡った兵たちは、橋を戻って来る。デュランの銃士隊が西対岸めがけて斉射し、後退をサポートする。追ってくる敵兵が次々に倒れていく。
レオン隊のトネール砲の筒先が低くなり、対岸を狙う。
「味方が橋まで辿り着いた。トネール砲、撃てー!」
橋に詰めかけて来たフェアリー軍が吹き飛んでいく。
森の端から鹿の角がついた兜をかぶるフェアリーが馬を進めて来た。その脇には赤の甲冑を着て弓を手にした副官ハイターの姿もあった。
橋に近づき、戦況を把握すると、フェアリーは苦虫を噛み潰したような表情になり、ハイターに呟く。
「策士、策に溺れる・・・ソレイユの裏の裏の裏の裏をかいたつもりでいたが、出て来た表は、こちらの想像を遥かに超える、圧倒的な火力を生かす戦術へと変わっていた。
この地で戦に明け暮れ、和平条約締結によりアードラー帝国本土に戻ること3年。たかが3年間であったが、その間の武器の進歩に、儂がついていけなかったようだ。
戦は変わった。素直にそれを認めよう。
・・・この戦、儂の負けじゃ。さあ、引き上げるぞ」
「フェアリー将軍・・・最後に切り札を切りますか」
フェアリーは振り返って、
「ハイター、まだその時ではない・・・ん?」
と語りかけた瞬間、遥か対岸でこちらに銃口を向け、狙いを定める男の視線が瞳に飛び込んで来た。
「・・・な」
ビッ、という音と共に、フェアリーは馬上から崩れるように落馬した。
「・・・フェアリー将軍!」
ハイターは慌てて馬から飛び降り、フェアリーの体を抱き起した。
「な、な・・・」
フェアリーの眉間には銃創があり、既に絶命していた。
「フェアリー将軍ー、フェアリー将軍ー!!」
ハイターはフェアリー将軍を抱きかかえたまま絶叫した。
距離にして300mは超えた西対岸奥を見つめ、
「鹿の角兜は見るからに将軍だよな? 少なくても隊長クラスだよな?」
青い煙が真っすぐに立ち上る銃口を手にしたまま、デュランは一人呟いた。
「・・・この1発の銃弾が、戦に生きたフェアリー将軍の定めというのか・・・
お許しください。貴方の仇を取らずにはいられません。
貴方がお止めになった切り札を、ここで切ります」
涙を浮かべたハイターがそう呟いた。
ハイターはフェアリー将軍をそっと地に横たえると、意を決したように矢筒から1本の矢を抜いた。この矢は、音で合図を送るための鏑矢であった。
ハイターは上空に向けて弓をギリギリと引き絞ると、鏑矢を放った。その矢は、ピィィィィーッと警報音に似た音を出して天に舞い上がった。
ソレイユとレン、オーギュストもこの音のする矢を見上げる。
オーギュストは腰の剣の束に手をかけ、脇で馬に乗るソレイユを睨む。その瞬間、居合抜きで剣を払った。
キンと金属音が鳴り響いた。オーギュストの剣を小柄な護衛兵が払いのけたのだ。
「私の未来の旦那様には、指1本触れさせないわ!」
ソレイユの護衛兵に化け、オーギュストを警戒していたナナが叫んだ。
「邪魔をするなー!」
オーギュストは叫びながら、2振り目をソレイユに浴びせる。
その剣を、黒いベネチアンマスクをしたレンの剣が弾き飛ばした。そのまま、返す剣でオーギュストの喉元に剣先を向ける。
「無駄だ」
レンはオーギュストに刺すような視線を向けたまま、クイッと顎で横を指した。
顎の示した先には、オーギュストと共に来た手下8人が、縄に縛られていた。
「・・・・オーギュスト様」
「失敗です・・・オーギュスト様」
「くっ」
オーギュストは隠し持っていた短剣を喉に当てたが、レンの剣がこれを弾き飛ばした。
「無用の殺生は望まぬ」
「・・・・マリエット、すまない」
オーギュストはそう呟くと、その場に膝から崩れ落ちた。
フェアリーは偉大な将軍であった。それ故に、これを失った軍は脆く、ソレイユ軍に散々に打ちのめされていった。
副官のハイターは、追撃から逃れ、僅かな兵と共に馬を北へと走らせていた。




