19 睡蓮と水面
大陸暦717年9月21日 9:00 オロール王国首都マルドゥーユ
「リヤン王子、パリリスの調査団から報告がありました。
ソレイユ辺境伯がパリリスを陥落させた際に、辺境伯は自らの手で迅速に宝物庫を封印。
皇子ジェルムに持ち出された財宝等の多くを取り戻しこれも封印。とあります」
フォンテーヌ内務大臣が調査団の報告内容を告げた。
「ソレイユ辺境伯は、欲のない奴だ」
「これは王子への厚い忠誠心からだと判断します」
「・・・なるほど、忠誠心とはそういうものなのか」
新任のアレクサンドル王都担当大臣が、異を唱える。
「王子、油断召されるな。
ソレイユ辺境伯が宝物庫などを封印したのは、略奪の誹りを免れるためとも考えられます。それを忠誠心とは言いません」
「アレクサンドル侯爵、いえ王都担当大臣、ソレイユ辺境伯はリヤン王子より私掠与奪の権を与えられておる。略奪の誹りとは、王子の裁可を非難することに繋がりますぞ」
「うぐぐっ・・・・、とにかくです。ソレイユ辺境伯は、戦のみで名を馳せただけ。心の内では、野望があるかもしれません」
「アレクサンドル王都担当大臣、戦で敵軍に矢1本撃っておらぬ其方が、この国のために尽くしている我が国の武人を貶める矢を放つとは、呆れ果てますな」
アレクサンドルは激高し、駄々をこねる幼子のような甲高い奇声を上げる。
「きぃぃぃー、な、なんだとー!
王子、フォンテーヌの様な輩はここにおいて、早くパリリスへ遷都いたしましょう」
アレクサンドルは肩で荒い呼吸をしながら、リヤン王子を仰ぎ見た。
「アレクサンドル、落ち着け。
急ぎの遷都については、余も賛成だ。アレクサンドル王都担当大臣、明日にでも王都の計画を出せ」
リヤン王子の言葉に、アレクサンドルは、ほっとしたように笑みを浮かべ答える。
「・・・王子の意思に民も喜びましょう。
しかし、詳細な計画については、少々お待ちください」
フォンテーヌ内務大臣自身にも、戴冠式をパリリスで行いたいとの希望があった。準備していた計画を切り出す。
「王子、パリリスへ行幸なされ、民を安んじ、ソレイユ辺境伯に労いの言葉をお掛けするのが宜しかろうと存じ上げます。その後、パリリスにて戴冠式挙行でいかがでしょうか」
「おお、フォンテーヌ、よく言った」
「では、10月1日に首都マルドゥーユを立ち、21日にパリリス到着とします。
戴冠式は10月25日」
大陸暦717年9月21日 9:00 パリリス
マスクを着けたままのソレイユとレンは、睡蓮を見に宮廷庭園に来ていた。
アーチ状の橋の上から水面を覗くと、青々とした丸い葉に、薄桃色の睡蓮の花が水面に咲いているように見えた。遠くの水面に視線を移すと、生い茂り垂れる緑の柳や咲き始めた赤と桃の薔薇、風に泳ぐススキが水鏡となって鮮やかに映し出していた。
美しい庭園で、ソレイユとレンは視線を合わせ笑顔になった。
「レン、ここは、多忙な日々を忘れさせてくれるな」
「ええ、昨日までのことが嘘のようです。ここは時間の経過が緩やかになったように感じます」
「レン、この宮廷庭園はどうだ?」
「はい、生命の躍動感と調和を感じ、この世界がこんなにも美しいものだと確認できました」
「レンが喜んでくれ、我も嬉しい」
ソレイユの金色の髪が秋の風に靡いた。
ソレイユとレンは2人で池の周りを散策し、立ち止ってはその景色を楽しんだ。
やがて、アーチ状の橋も睡蓮や水面と一緒に視界に入ってきた。
「睡蓮は孤高で気品が漂い、美しい」
リュミエールが感嘆の声を上げた。
「はい、睡蓮の花だけではありません。水面が周囲の草花をこれほど美しく描き映すとは・・・驚きです」
「ええ、睡蓮を育て咲かせる水面は水鏡となって、遠くに咲く薔薇や柳、ススキ、古風な橋までも睡蓮のすぐ脇にまで、引き寄せているようだ」
「全くもって不思議です。
普段気にも留めない池の水面が、育んだ睡蓮によって人の心を動かす場所となる。
水面によって育まれた睡蓮もまた、水面が映し出す景色によって、いっそう鮮やかな彩を添えられる。
それであっても、人が心を動かされるのは、やはり睡蓮の気品のある美しさあってのことでしょう」
ソレイユは、足元の水面の遥か先に咲く睡蓮を愛でながら、
「睡蓮は他の花々と違い、手に取って愛でたり、顔を寄せて匂いを楽しんだりすることを拒む、孤高の存在のように感じられる。
睡蓮は、ただそこにあるだけで至高の美しさを放つ。それでいて、周りの全てに生を吹き込み輝かせる」
と感動をそのまま言葉にした。
レンはソレイユをじっと見つめ、
「ソレイユ様、私はそのようなお方を存じ上げております」
と、ゆっくりとした口調で述べた。
「レン、是非その方を紹介してほしいものだ」
ソレイユは、笑顔でレンに目をやった。レンはソレイユの瞳を真っすぐに見つめる。
「ソレイユ様の妹リュミエール様です」
「!! ・・・レン・・・我、我の妹は、その様な人柄ではない」
ソレイユはレンから視線を外した。
「近過ぎると、かえって見えぬとも言います」
ソレイユは、自身の鼓動が高まり、顔が熱るのを感じ頬を触った。
「レンは誤解をしているのであろう」
「否定はしません」
「・・・レン・・・そこは否定をするところではないのか」
「承知しました。断固否定します」
レンはそう言ってから、水面の睡蓮に目を移した。
ソレイユはレンの横顔をちらちらと覗くと、視線を落として肩で息を吸った。
「・・・あははははっ、今日は花を愛でて心が和んだ。
しかし、疲れが出たのか、少し息苦しさを感じる。レン、戻るとしよう」
「承知しました。体調を崩されましたか?
帰ったらハーブのナチュラルティーを入れます。心身の不調の改善を期待できます」
満足げな表情で帰路に着くソレイユであったが、胸の奥では鼓動が抑えようもなく高鳴っていた。そして、キュッと胸を締め付けられるように息苦しく、全てが満たされているようでもあり、寂しくも悲しくもある感じが、波のように繰り返していた。
リュミエールは、原因の分らぬこの複雑な心境と身体症状に戸惑うばかりであった。
大陸暦717年9月24日 9:00 パリリス 会議室
会議室には中央に長いテーブルがあった。その周りの席に重臣たちが座っていた。
ソレイユが入室してくると、一同は起立して迎えた。ソレイユが中央の自席に座ると、オーベルシュトルツ、サージ、デュラン、リル、レオン、ナナ、ジャン、ジルが真剣な面持ちで座る。
ソレイユの右斜め後ろにはレン、オーベルシュトルツの後ろには副官クルーゲ、ルリの後ろには従者ロックが直立している。
ソレイユは重臣たちを見渡してから口を開く。
「此度の作戦『東雲の創世』における諸君らの健闘には感謝する。
旧首都パリリス奪還と軍事城塞コトー攻略、アードラー帝国皇子ジェルムを遥か北の地まで追いやることができた。諸君らの功には、相応の恩賞によって報いるつもりである。
リヤン・オロール王子の使者によって、王子と主だった家臣は、10月1日に首都マルドゥーユを立ち、21日にパリリス到着することが明らかになった。王子の警備については、ソレイユ軍も協力することになるだろう。
そして、10月25日にこのパリリスの地で戴冠式を挙行し、リヤン・オロール王子がオロール王国の国王となられる」
その場にいる重臣たちも目を見開き、おおぉという声が漏れた。
「レン、現在のオロール王国内の戦況を説明してくれ」
レンはソレイユの脇まで進み出ると、警護兵に向かい手を上げた。警護兵は、天井に巻かれ吊るされていたオロール王国の地図を、するすると伸ばしていった。
レンは地図の前に立ち、指示棒で指しながら説明する。
「リヤン王子の檄文と、我がソレイユ軍が北東部及び旧パリリス奪還の報によって、オロール王国の各地で諸侯と民が武力蜂起したことはご存じのことでしょう。
新首都マルドゥーユには今もなお、リヤン王子の下に馳せ参じる諸侯が後を絶たないようです。
この状況で、オロール王国内のアードラー帝国は、その足元から瓦解するように、瞬く間に北西部を失い、残された領地はオロール王国国土の約8分の1、皇子ジェルムの落ち延びた北部の一部のみとなっています」
義勇隊から志願し、今や重臣に名を連ねるジルが満足そうに声を上げる。
「おおぉ、これで我らの戦いにも、先が見えてきたようです」
レンがジルを見て続ける。
「そうとも言えません。サージ殿、貴方のご見解を披露してください」
60歳を過ぎていそうなサージが、テーブルに手をついて立ち上がる。
「先ずは、オロール王国とアードラー帝国とのこれまでの戦について、振り返ることにしよう。
かつてオロール王国は、肥沃な大地と緑に恵まれた豊かな国であった。
大陸歴709年。
今は亡きファージ・レクス・オロール元国王が、精神の病で国内統治が困難になると、その後の王位をめぐる国内の混乱に乗じて、アードラー帝国が王位継承権に介入してきた。
王の弟の故ヤオロ公と従兄弟のシューツ公が摂政の座と当時9歳のリヤン・オロール王子の養育権をめぐって激しい対立を始めた。
大陸歴710年。
アードラー帝国はこの2公の対立を好機と捉え、海峡を越えて侵攻し、オロール国北部を支配下に置いた。
その時に、シューツ公はアードラー帝国と手を組んでしまった。
オロール王国内は、アードラー帝国の苛烈な焦土作戦により、経済は壊滅的な打撃を受けた。
大陸歴714年。
ついには、オロール王国王都パリリスが陥落し、北部全てと北西部、北東部がアードラー帝国の支配下となった。
厭戦気分が高まる中、王子の身を案じたオロール王国アン・オロール王妃は、ファージ・レクス・オロール国王が死ねば、アードラー帝国に王位を譲るという条件の入った和平条約にサインしてしまった。
大陸歴716年。
ついに、ファージ・レクス・オロール国王が亡くなると、条約に従い幼い皇子ジェルムと摂政ガラメルがオロール王国の国政を司ったのだ」
サージはここまで一息に話すと、深く息を吐いた。
そして、視力の失った瞳をギロリと輝かせて断言した。
「アードラー帝国は必ずや攻勢に出て来る。
アードラー帝国は、オロール王国支配を手放すはずがない。
海峡を越え、オロール王国北部に、7年前の侵攻を上回る兵力を送り込んでくるに違いない。
その軍は、かつてのアードラー帝国軍が行った、苛烈な焦土作戦を超える容赦ないものになるだろう」
そこにいる者は、一様に言葉を失っていた。
「んー、アードラー帝国が増援軍を、北に? 容赦なく? また民が苦しむ」
デュランは我に返り、驚きの声を上げた。
「その海峡を越えて来る増援軍には、4大軍神の残り2人も含まれるのか」
そう言うジャンの言葉に、リルは冷静に答える。
「総力を挙げてオロール王国を滅ぼしに来るのなら、軍神2人がそれに含まれない理由は見当たらない」
ざわつきを制するようにレンが質問をする。
「オーベルシュトルツ殿、増援軍のアードラー帝国軍の兵数について、どのようにお考えですか」
一同の視線がオーベルシュトルツに向く。
「増援軍の数は分からぬが、2つだけ言える。
1つ、アードラー帝国軍の本土兵力は100万人。
2つ、4大軍神に序列があり、私はNo.3。レン殿が討ち取ったギャレットはNo.4。現在アードラー帝国軍の本土にいるであろうと考える軍神はNo.1と2」
周囲からざわざわと囁き声が聞こえた。
レンがサージに問う。
「サージ殿、アードラー帝国軍の増援の時期について、どうお考えになっていますか」
「何とも言えぬ。数十万単位の増援軍となればそれなりの準備期間が必要となる。
早くて、来年1月下旬。
ただし、海峡付近は、10月から3月までは日照時間が短く、気温も低い。降水量も多い時季となる。これを避けるようなら4月」
「1月は農閑期、4月は農繁期を迎える時季。
海峡渡航の最適時季と逆になりますね」
レンが思案を巡らせながら環境条件を提示した。
サージは頷き同意する。
「如何にも」
黙って聞いていたソレイユが判断する。
「アードラー帝国軍の増援は来年1月下旬と想定する。
現在における我が軍の選択肢は2つ。
1つが、1月下旬までに北に籠る皇子ジェルムを撃ち滅ぼし、アードラー帝国軍の橋頭保を失わせる。
それでも、アードラー帝国軍の増援は止まらぬと考える。ましてや、それまでに皇子ジェルムの身に何かあれば、復讐心に身を焦がして来るだろう。
今1つが、1月中旬まで、ソレイユ軍の強化を図る。量と質の底上げだ。
具体的には、軍の増員と再編成、兵の調練、装備の充実などを行う。
いずれにしろ、我がソレイユ軍だけでは、アードラー帝国を完全に討ち払うには戦力が足りない。諸侯との連合となると、リヤン王子の意向も考慮せねばならぬ。
追って命令を出すまでは、各自軍の強化と職務を全うせよ」
「「「「「「「「はっ」」」」」」」」
重臣たちは一斉に立ち上がり敬礼をする。
ソレイユは、その中を退出して行った。
その後は、別室にてソレイユとレン、サージの3人で、リヤン王子がソレイユを排斥しようとした場合なども含めた対応を協議した。
新首都マルドゥーユ アン・オロール元王妃の部屋
「母上、旧首都パリリスへ向かう準備はいかがですか」
「またパリリスの地を踏めることになろうとは、夢にも思っておりませんでした」
アン元王妃は笑顔をリヤン王子に向けるが、憂いのある表情をしている。
「リヤン王子・・・私がアードラー帝国に王位を譲るとの条約を認めたことを、まだ怒っていますか」
「母上、そのようなことは決してありません」
「亡きファージ・レクス・オロール国王陛下が、心の病でこの国を統治できなくなり、内紛とアードラー帝国の侵攻から、ただ、ただ我が子のリヤン王子の命を守りたい。それだけでの思いでした。
内紛とアードラー帝国からリヤンを守るには、王位を譲るしかなかったのです」
「分かっております。母上のお陰で私はこうして生きております」
「そうですが、近ごろアードラー帝国軍と危険な戦を始めたと聞いています」
「私は母に守られ、こうして18歳となりました。もう、大人です。
このオロール王国の王として、自分の力で領土を取り返し、守っていきます」
「危険な戦でリヤンが命を失うことが恐ろしいのです」
「父を超える立派な王となります」
「王とならなくても、お前には・・・」
「母上、私は救国の王となります。近隣諸国からもう攻められることのない、惨めな思いをしなくてすむ、偉大な王となります。そのために、パリリスへ遷都して戴冠します」
「もう、争いは嫌なのです」
「大丈夫です。近隣諸国から畏怖の対象となる強国としますので、どうぞ安心してください」
「リヤン王子!」
「・・・はい、母上」
「なぜ母の気持ちが分らないのですか・・・わらわには其方だけなのだ」
「・・・母上、私はもう・・・」
「いくつになろうとも、貴方は私の子です。母の愛を感じなさい。母の言葉を信じなさい」
「・・・・・」
「リヤンは私の宝。その宝にもしものことがあったら、わらわは生きておりません」
「母上!」
「よいですか、私は貴方が愛おしいのです。何があっても、わらわはリヤン王子を守ります。もう戦は嫌なのです」
「私も母上が愛おしいです」
「そうですか。母のことを愛おしく思ってくれるのですね。
それならば、わらわの最愛のリヤン王子には、これを見せます」
「その書簡はなんですか」
「アードラー帝国ベルバーム・アードラー皇帝からの書簡です」
「・・・アードラー帝国皇帝からの書簡を、なぜ母上が?」
「其方のオロール王への即位を認めると書いてあります」
「私の王への即位を認めると!」
「そうです。それからまだあります。先ずはこれを読みなさい」
「・・・母上」
アン元王妃は、書簡を読むリヤン王子の背を優しく擦っていた。
それから、リヤン王子は頷くと、オロール王妃の部屋をあとにした。
「リヤン王子は、私が守ります」
アン元王妃は不敵な笑みを浮かべ、リヤン王子の出て行った扉を眺めていた。




