15 苦み
大陸暦717年8月9日 21:00 都市エフェール ソレイユの部屋
「この城の隠し部屋から発見された金塊だが、民から搾取したものだろうから、民に分け与えたいと考えている」
白いマスクをつけたまま椅子に座るソレイユが、レンを見て言った。
「ソレイユ様、過日にも進言いたしましたが、軍資金が必要です。これはオロール王国復興と民解放の戦い。民に分け与えるのは、それが成し遂げられてから、改めてお考えになられてもよろしいかと存じ上げます。それにしても・・・」
「何か気になる事でもあるのか?」
「金塊の量が多すぎます。国家予算並みでした。領内の民から搾取したにしては桁が違いすぎます」
「シューツ元公爵は何かを隠していると・・・」
「その可能性は大きいと思います。今、残された帳簿の確認や商人、職人などから情報を集めています。
いずれにしても、このシューツ公爵領を手に入れたことは、オロール王国復興のために戦略的にも重要であり、我が軍にとっても有意義でありました」
レンは質素な器にお湯を注ぎながら答えた。
「レン、これでアードラー帝国に占領されたオロール王国領の30%は取り戻すことができましたね」
白いマスクをはずしながら、リュミエールは地図を眺めて言った。
「はい、残りはこの地域を除く北部と西の一部です」
レンは薄い黄土色で、上から白い顔料が滴り落ちたような色合いの質素な器を左手で持ち、右手で細く伸びた無数の小枝をもったイソギンチャクのような掌サイズの棒を、シャカシャカと音をたて小刻みに振るわせている。
「レン、それは何をしているのですか」
「茶をたてています」
レンはその器をリュミエールの前に置くと、ゆっくりと横に回転させて器の向きを変えた。
「たてる? これが、あの茶なのですか」
「茶は心を落ち着け、骨も丈夫にすると言われています」
「私のティーカップと違い、ずいぶんと質素な感じがする器ですね。絵柄はなく、液がこぼれたようなデザインですし・・・」
リュミエールが抹茶茶碗を手にとって、珍しそうに見ている。
「質素なものの中に、豊かさを感じるデザインです」
「・・・なるほど。・・・言われてみれば、これはこれで趣がありますね」
リュミエールは抹茶茶碗を両手にもって、しげしげと見つめていた。レンは興味津々のリュミエールを満足そうに眺めている。
「茶は冴えた美しい緑色。小さな気泡もありますね」
「リュミエール様、茶にはティーのもつ仄かな渋みと違い、苦みがあります」
「苦み・・・」
リュミエールは、恐る恐る茶に口をつける。
「・・・良い香りが口の中に広がります。思ったよりも苦みが少ないわ」
味を噛みしめるようにゆっくりと表現した。
「茶は楽しめますか」
リュミエールの顔がぱっと明るくなる。
「ええ、とても豊かな味わいです。好きになりました」
「これは、菓子に練り込んで楽しむこともできます」
「それは、楽しみが広がります」
そう言って、リュミエールは一口に茶を飲み干した。
「・・・苦い・・・」
「茶の下部は、苦みが強くなります」
「茶の苦い後味も含めて、とても気に入りました」
「リュミエール様、今後の戦略はどのようにお考えですか」
「旧首都パリリスの奪還」
「私もそれがよろしいかと存じ上げます」
「それにはパリリスの西50㎞にある軍事城塞コトーが問題ですね。軍神ギャレットが駐留していますから」
「ソレイユ軍の強みとアードラー帝国軍の弱みについては、どのようにお考えですか」
「ソレイユ軍の強み・・・有能な配下と勇敢な兵士、最新型銃改Ⅱなどの武器かしら」
「その通りですが、一番の強みは民衆の支持だと考えます」
「レン、それは一昨日にここエフェールに入城した時にも強く感じました。
そうなると、アードラー帝国軍の弱みは、その逆で民衆の不満や怒りですね」
「はい、そう考えます。そこを最大限に用いることで、こちらのフィールドで有利に戦うことができます」
「民衆の支持か・・・私はこれからもオロール王国の復興を掲げ、民衆を解放していくつもりです」
「はい、オロール王国の復興と民の解放いう大儀と目的を貫き通すことが肝要と考えます」
「レン、どうしましたか、そんな分かり切ったことを言うなんて・・・」
「民衆の熱い支持は、ソレイユ軍の最大の強みです。しかし、その強みが巨大になればなるほど、それを頼もしさから脅威へと変わる者もいます」
「・・・何を言って・・・!! レン、まさか・・・そんなことはあるはずがない」
「あらゆる想定をしておくことが大事かと」
「レン、馬鹿なことは言わないで!」
「しかし、それはソレイユ様にとって、重大な危機となります」
「そんなことはありません」
「可能性の話をしています」
「そんな想定は不要です」
「ソレイユ軍は窮地に陥ります」
「・・・よりによって・・・レン、貴方は何様のつもりなのです」
「リュミエール様の至高の執事、至強の従者です」
「・・・レン・ボールドウィン、下がりなさい」
「承知しました」
レンは左手に白い布をかけたまま、リュミエールにお辞儀すると退室した。
リュミエールは、興奮冷めやらぬままレンの出て行った扉を睨んでいた。
「・・・・」
リュミエールには、茶に似た苦い後味だけが残った。
そして、心の奥底に芽生えた不安が、ゆっくりと渦を巻いてうごめき始めていることを自覚した。
大陸暦717年8月11日 9:00 都市エフェール
2日前の夜の出来事以来、リュミエールとレンの間はギクシャクしていた。リュミエールはソレイユの時でさえ、レンを無意識のうちに避けていた。
ソレイユが城壁の上から、兵士の城外調練を視察していた。西ではデュラン率いる銃士隊の射撃訓練、南では騎兵隊の模擬戦闘が実施されている。
不意にソレイユの背後から、レンが声をかける。
「ソレイユ様、元エフェール兵は精鋭だけあって、騎兵の動きは申し分ないようです」
「見れば分る」
ソレイユは調練に視線を向けたまま返事をした。
「一昨日の夜のことを、気になさっているのですか」
「気にする? レンが要らぬ可能性を口にしたことを言っているのか?」
ソレイユの視線は調練をする兵士たちから動かない。
「そうです」
ソレイユはレンの顔に視線を向ける。
「レンは・・・」
「ソレイユ様ー、フォルトから物資が届きましたー」
城内の通路から、城壁上にいるソレイユへ向かい兵士が叫んだ。
ソレイユは、一瞬だけ兵士に視線を向けたが、すぐにレンを見る。
「レンは・・・」
「物資の確認をお願いしまーす」
再び兵士の声が響いた。
「・・・レン、確認してくれ」
「承知しました」
レンは敬礼をすると、呼ぶ兵士の方へ走り出して行った。
フォルトからの物資は、機密鍛冶工房の工場で量産体制に入った最新型銃改Ⅱ300挺と補充用の銃弾、試作品の砲であった。レンはこの物資から、増設した工場が順調に稼働していることを読み取った。
「遠路ご苦労だった。銃の生産に問題はないか」
「はい、順調です」
「これが新しい砲か」
レンは砲の仕組みを確認しながら尋ねた。
「試作品砲007です。これを2門と改良中の砲弾40発も持ってきました。ご試射ください」
「出来はどうだ?」
「かなり良い精度に仕上がっていると思いますが、それでもザクール工房長は妥協を許さぬお方、今も瞳を輝かせて改良に取り組んでいます」
「それは期待できるな。くれぐれも体を大事にするようザクールや職人たちに伝えてくれ」
「はい」
「ザクール工房長にこの手紙を渡してくれ。あれは、既に着工している。1ヵ月後には完成する」
「レン様、いよいよですね」
「ああ、いよいよだ」
レンは確認を終えると書類にサインをし、武器庫へ運搬するように指示を出した。
レンが振り返り城壁の上を見上げると、そこにはもうソレイユの姿はなかった。
大陸暦717年8月11日 21:00 都市エフェール ソレイユの部屋
レンは、白地にピンクのバラの意匠のついたソーサーとカップをリュミエールの机の上に置いた。左腕に白い布巾をかけ、ピンクのバラの意匠のティーポットから無駄のない動きでカップに紅茶を注ぐ。
リュミエールは、お気に入りのカップを手に取って、お気に入りのロイド村原産ロイドグレーの紅茶を飲む。
「・・・・・・」
カップをソーサーに置くと、カチンと音が響いた。
「ふぅー・・・・・・」
静寂が部屋を包む。
「・・・・・・・・」
「リュミエール様・・・」
「今夜はもう下がってよろしい」
「承知しました」
レンは左手に白い布をかけたまま、リュミエールにお辞儀した。
「レン・・・」
「はい」
レンが振り向いた。
「・・・・朝方届いた積み荷は、最新型銃改Ⅱと試作品の砲ですか」
「はい」
「砲兵隊の編成も考えなければならない時期だと考えます。任せられる者について心当たりはありますか」
「レオン・フォン・アデール子爵がよろしいかと考えます」
リュミエールは、城塞都市スノール攻略時の騎兵戦で、槍を固く握り、血走った眼をしたまま、荒い息を繰り返すレオンの姿を思い出した。
「レオンか・・・まだ16歳だが、問題ないか」
「リュミエール様は17歳、年齢に不足があるとお考えですか」
「・・・では、レオンを砲兵隊長として兵100名を与え、新たに砲兵隊を新設する」
「承知しました」
「・・・レン、私とレンの今の関係のことだが」
「はい」
「このままでは・・・」
その時、扉をノックする音が聞こえた。リュミエールは右側にアゲハチョウの右羽の意匠のついた白のベネチアンマスクをつけた。
「何事だ」
扉の外から兵の声がする。
「首都マルドゥーユからの使者が、リヤン王子からの火急の書状を届けに参りました」
「何! リヤン王子からの使者だと」
ソレイユはそう答えながら、レンの眼を見た。
「謁見の間に使者をご案内しなさい」
「はっ」
「レン、主だった者を謁見の間に招集しなさい」
「承知しました」
謁見の間
主だった者が階下に居並ぶ中を、王子の使者が歩いていく。ソレイユは領主の座から左に移動して片膝をついた。領主の座の右に使者は立ち、リヤン・オロール王子の書状を読み上げる。
「ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯の逆賊元ルーグ・フォン・シューツ公爵領の奪還は、実に見事である。
その功により、現領マーティンから元ルーグ・フォン・シューツ公爵領への転領とする。
また、フランク・フォン・ビアージュ男爵の爵位を子爵に戻し、首都マルドゥーユにて我が参謀に任ずることを伝える。
ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯は、アードラー帝国に奪われた旧首都パリリスの奪還を命じる。
急ぎ出陣せよ。
オロール王国 第1王子リヤン・オロール」
階下の者が、おおぉーと歓声を上げた。
「ソレイユ様の功が、尊父ビアージュ様を首都マルドゥーユの参謀に昇格させた」
「めでたいことだ」
「リヤン王子は、我らソレイユ軍に期待をなさっている」
「この広大なルーグ・フォン・シューツ旧公爵領に転領とは大出世だ。俺たちも鼻が高い」
「外敵に備える辺境伯領に相応しい」
「こうなると、いよいよ旧首都パリリスの奪還か」
「あぁ、胸が高鳴る」
ソレイユは恭しく使者からの勅命を受け取った。
23:00 ソレイユの部屋
「レン、勅命をどう考える」
白のベネチアンマスクをつけたソレイユが問いかけた。
「2つのことが推測できます。
1つが、リヤン王子は我らが奪還した後、その首都パリリスで王位に就く。
これまでは、不平等な和平条約でアードラー帝国に王位継承権を譲り、王位に就くことは叶いませんでしたが、アードラー帝国軍を討ち払うとご決断なさった時に、新首都マルドゥーユで王位就任はできたはずです。
しかし、それはしなかった。その理由は、旧首都パリリスを力で奪還し、オロール王国の王位継承権を主張し、その地で王位に就くおつもりだと考えます」
「レン、2つ目はやはり、足が不自由となり隠居に近い生活を送っていた父が、今首都マルドゥーユに参謀として招集されてことか・・・」
「はい、ソレイユ様の民衆からの熱狂的な支持を恐れているのだと考えます。
そのために人質として、お召しになったのだと愚考します」
「・・・・なぜ、父まで巻き込み・・・なぜ、王子は私を信じてくれぬのだ」
「フォルトの街で初等学校を視察に行った時、ソレイユ様は『我とレンの会話は、微妙にずれがある気がする』と、おっしゃったことを覚えていますか」
「あぁ、勿論だ」
「『立場によって、求められる役割は異なります』とお答えしました。
その続きがあります。立場は見える景色や受け止め方も異なるものへと変えるのです」
「・・・立場が人の感情や判断を変えるということなのか」
「立場に付随する権力の行使は、その責任を自覚することによって、人の成長を促進します。しかし、その権力に固執し過ぎると猜疑心が芽生えます。ひとたびそれが芽生えれば、全てを喰らい尽くすことでしょう」
「・・・恐ろしいことだ。その結果が最悪の状況を招くというのに・・・」
「ひとたび権力を手に入れると、それを離すまいとするのが人間の性。それほど権力は魅力的であり、甘美な毒が潜むものなのでしょう。
ソレイユ様ご自身は、どのような結果をお望みですか」
「レン、それを言う前に・・・」
そう言って、ソレイユは白のベネチアンマスクをはずし、立ち上がった。
「すみませんでした。レンの言葉が私の意にそぐわないものであったとしても、意見として真摯に耳を傾けるべきでした」
リュミエールは、レンの瞳を見て謝罪した。
「リュミエール様、お止めください。どこの世界に執事兼従者に頭を下げる主人がいますか。私は務めを果たしたまでです」
レンは慌てて身を乗り出すと、左手にかけた白い布がずれ、ひらりと床に落ちた。
リュミエールは椅子に腰かけて、レンをじっと見つめ、言葉を噛みしめるように慎重に言葉を発する。
「今後、私の向かうべき道だが、臣下としてリヤン王子をお支えします」
「承知しました」
「・・・ですが、もし・・・リヤン王子が、民を猜疑の眼で縛り、民への慈しみの心を忘れるようなことがあれば・・・」
「・・・・」
レンは、リュミエールの金色に輝く瞳の奥に潜む、覚悟を感じ取った。
「その時、レンは私について来てくれますか。
いえ、・・・レンにだけはついて来てほしい」
「当然です。リュミエール様の至高の執事、至強の従者であることが私の務め」
「・・・レン、ありがとう」
「リュミエール様、夜も更けておりますので、お飲み物はホットミルクでよろしいですか」
「ええ、お願い。よく眠れそうね・・・それに、苦みも感じそうにないし」
「はい、ホットミルクには苦みはありません」
「そうね。今なら甘く飲めそう」
「承知しました」
レンは左手に白い布をかけ直し、リュミエールにお辞儀すると退室した。
リュミエールは、レンの出て行った扉を、いつまでも微笑みながら見つめていた。




