第4章 羽化 12 まだまだです
大陸暦717年7月3日 ビアージュ男爵領 街フォルト
ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯は、機密鍛冶工房を訪ねた。
「ソレイユ辺境伯様、ようこそお越しくださいました。
見てください、この砲005は弾頭のブレをかなり修正できております。砲弾についても試作品を作ってみました。今後の改良が楽しみです」
「脇に増築された建物は何だ」
「フランク・フォン・ビアージュ子爵がソレイユ様のためにとお命じになられた、最新型銃改Ⅱを量産するための組み立て工場です。これで生産が一気に加速します。
そうそう、最新型銃改Ⅱは、200挺ほど完成しておりますので、ソレイユ領軍事城塞グリズリッシュにお持ちします」
ソレイユは砲005を手で擦る。
「ザクール、砲の改良を重ねているのだな。砲003の砲筒より少し長く伸びている。完成が楽しみだ。
それから、砲005と最新型銃改Ⅱ200挺は、我が兵が明日持って帰る。試作品の砲弾と補充用の銃弾も揃えておいてくれ。これからも研究と生産に励んでくれ」
「はっ、ソレイユ様の描いた新しき世を一緒に見させていただきます」
「そのことなのだが、いずれ我が領地にも機密鍛冶工房を建てたいと考えている。その時は、力を貸してほしい」
「その時が来たら、喜んで伺います」
翌日
ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯は護衛兵を連れて、ソレイユ辺境伯領の軍事城塞グリズリッシュに向けて帰路についた。
「未来の旦那様が、ますます偉くなったわ。
すごく嬉しいけれども、あたいも頑張らないと手の届かない存在となっちゃう」
馬上でナナがそう呟くと、脇で馬を並べるロキが、
「ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯に、まだ手が届くと思っていたのか。
・・・ナナの手は、見かけよりも随分と長いんだぁ」
と言って冷笑した。
好々爺のカイが笑う。
「かっかっかっ、ナナ殿、戦の噂を聞いておるか。オロール王国は各地でアードラー帝国軍に攻撃を仕掛け始めたが、ソレイユ隊以外は苦戦しているらしいぞい」
「カイ爺、それは聞いている。その中でもルリ・フォン・モネール子爵の戦績は群を抜いているらしい」
「どんなじゃ」
「現在6連敗の記録を更新中ということだ」
「そのモネール子爵とやらは、戦死せずによく生き残っておるものじゃな」
「きっと、逃げ足だけは速いのだろう」
マーティン辺境伯領 軍事城塞グリズリッシュ
「リヤン・オロール王子よりマーティン姓を賜り、ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯としてこの地を拝領。ヘルムフリート・オーベルシュトルツ将軍とその配下は、オロール王国への亡命が認められ、正式にソレイユ・フォン・マーティン辺境伯の旗下となる」
新首都マルドゥーユから届いた、ソレイユの連絡文書を読むレンの手が僅かに震えている。
「ソレイユ様は、無事に乗り切ったのですね」
「おめでとうございます。ソレイユ殿の武功が認められましたな。
これで私についてきた兵たちの命も守られ、ソレイユ隊の旗下となれました。
ソレイユ殿のご尽力には、心より感謝を申し上げたい」
そう言って、オーベルシュトルツは部屋の壁にかかっているオロール王国の国旗を見つめた。
「これからは、私もオーベルシュトルツ殿も、ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯にお仕えする身となりました。以後は、オーベルシュトルツ殿もアードラー帝国との戦闘は避けられません」
「私はソレイユ殿にこの命を託しました。元より覚悟の上です」
そして、レンとオーベルシュトルツは互いの瞳を見つめ、僅か数秒であったが、無言の会話をした。
部屋の扉を叩く音がした。
「ルリ・フォン・モネール子爵の使者が、火急の件で参りました」
レンは数秒の沈黙の後に、
「通せ」
とだけ兵に伝えた。
レンとオーベルシュトルツ、クロード子爵、レオン爵などが招集された部屋で、レンは使者の口上を聞いた。
レンは使者を見つめて、ゆっくりとした口調で確認する。
「ルリ・フォン・モネール子爵は、アードラー帝国軍の攻撃を受けながらも民を守り、この軍事城塞グリズリッシュに向かって来ているのですね」
「はっ、アードラー帝国軍2000が、モネール子爵軍500と民1万を追撃しています。民がいるため、その移動は遅々として進まず。援軍をお願いします」
レンはオーベルシュトルツらに目を向け、
「1万の民の命がかかっております。一刻を争います。
私は騎兵500を率いて直ちに救援に向かいます。オーベルシュトルツ殿は兵3000を整え、その後を追ってください。
このグリズリッシュの守りはクロード子爵に任せます」
と指示し、レンは部屋を走り出た。
「レン殿、逃げ走る民たちがあそこに」
レンは頷くと、馬上から右手を1時の方向に向ける。騎兵500が馬体を傾け、右前方へと駆ける。
レン率いる騎兵500が走り逃げる民とすれ違う。先頭には案内役の兵だろう十代半ばの男子がこちらを見て歓喜の声を上げ、列の後ろを指さしていた。
逃げる民の列は、数㎞に渡り続いている。泣き叫ぶ赤子を抱える女性、怪我を負いながらも妻に支えられながら逃げる男性、老人が引く荷車の上で祈りを捧げている年老いた女性、泣き叫ぶ子供の手を引く家族らが次々と目に入ってくる。
「抜刀、騎兵200は民を守れ。残りはついてこい」
レンが叫び、馬上で剣を抜いた。
レン率いる騎兵300が、逃げる民の列の最後尾を目指して駆け抜けて行った。
「先ずは敵兵だ。敵は寡兵、囲んで一気に揉み潰せ!」
アードラー帝国軍司令官ドルトドゴールが兵に命じた。
アードラー兵がモネール子爵指揮する兵を取り囲もうと左右に広がる。
腕と腿に矢が刺さったままのモネール子爵が最後尾で、
「第1隊下がれ! 第2隊敵の右翼展開を止めろ。第3隊は左翼を止めろ。民に近づけるな! 第4隊は、民の最後尾を守る第5隊の援護に回れ!」
と、懸命に指示を出していた。
数に勝るアードラー帝国軍がモネール隊を押し込み、戦況は悪化していく。
「囲まれるな。第2、第3隊下がれ。第1隊は反転して敵を止めろ!」
アードラー帝国軍がモネール隊を取り囲もうと左右の兵が走り込んで来る。
モネール子爵が振り返ると、50m先には民の最後尾が見えた。「これ以上後ろに下がれば民が巻き込まれる・・・。留まれば、敵に取り囲まれる。我が隊の死地はここか」と覚悟を決めた。
その時、側面から激しい馬蹄の音が響き、駆け抜けて行く隊があった。モネール子爵はその隊の旗印を見た。
「・・・あ、あの騎兵は・・・間に合ったのか」
「モネール子爵、あの白地に金獅子と剣の意匠の軍旗は、ビアージュ子爵の隊です。
援軍です! 援軍が来ましたー!」
モネール隊の兵が歓喜の声を上げた。
レンを先頭に騎兵300が、モネール隊を取り込もうとしていたアードラー帝国軍左翼に突撃した。
騎兵はそのまま前のめりになっていたアードラー帝国軍の中央を抜け、右翼から飛び出して来た。すると、レンは剣先で、前後に分断されたアードラー帝国軍の背面を指す。300の騎兵は1つの生き物のように、背面に攻撃を仕掛けていく。
「ここが勝機。ビアージュ隊に連動して挟撃をする。モネール隊、突撃!」
モネール子爵の命令で、モネール隊が攻勢に出た。
アードラー帝国軍司令官ドルトドゴールが冷静に命じる。
「モネール隊は、もはや我らを押し戻す力は残っておらぬ。前列に重装兵を回し、押して止めろ」
「其方が司令官か」
ドルトドゴールが驚き振り向くと、馬で駆けて来る黒のベネチアンマスクをつけた男の剣がその首を刎ねた。
首を失ったドルトドゴールの体は、崩れ落ちた。
「ドルトドゴール様」
「ドルトドゴール司令官!」
アードラー帝国軍兵が悲鳴に似た叫び声を上げた。
「ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯の腹心レン殿が、アードラー帝国軍司令官ドルトドゴールを討ち取ったぞー!」
と、レンの後続を走る騎兵が叫び声を上げた。
アードラー帝国軍兵たちに動揺の色は隠せなかった。アードラー帝国軍兵たちは、黒ずくめでベネチアンマスクをつけたレンを、畏怖と憎悪の念を持って見つめた。
突然、軽快なラッパの音が鳴り響いた。振り返ったアードラー帝国軍兵たちの眼に映ったのは、疾走してくる1隊の軍旗であった。
「あああー、こ、紺地に銀の月、オーベルシュトルツ将軍の旗・・・。
オロール王国へ寝返った軍神オーベルシュトルツ将軍の旗だ」
「オーベルシュトルツ将軍に勝てるわけがない」
「逃げろー!」
司令官を失ったアードラー帝国軍兵は、戦意を完全に失い総崩れとなった。兵は武器や鎧を脱ぎ捨て逃げて行った。
モネール子爵は、レンに礼を述べようと馬から降りようとしたが、レンはこれを制止した。
「先ずは、民をグリズリッシュへ避難させてからです」
レンはモネール子爵の矢傷を見て、布を差し出しながら言った。
「せめて、其方の爵位と名をお聞かせください」
「ソレイユ・フォン・マーティン辺境伯様の執事兼従者、レン」
「レン殿、かたじけない」
避難民の最後尾はオーベルシュトルツ率いる3000の兵が守り、グリズリッシュへと向かった。
大陸暦717年7月9日 マーティン辺境伯領 軍事城塞グリズリッシュ
リュミエールの部屋
「リュミエール様、ご無事のご帰還、何よりです」
レンがリュミエールに、淡々と述べた。
「レンの策が実り、オーベルシュトルツ将軍たちの命も救われ、私がソレイユの代わりをしていることも機密となりました」
「そして、改めてマーティン辺境伯の拝命、おめでとうございます」
レンは抑揚ない口調で述べた。
「ありがとう。これで、私はレンの言っていた見栄えの良い旗印になれましたか」
「十分です」
「ふふっ、レンの究極の主にはどうでしょう」
「まだまだです」
「あら、手厳しいこと」
「リヤン王子より私掠与奪の権を与えられたと聞いておりますが、間違いございませんか」
「私掠与奪の権を与えていただきました」
「これはリヤン王子からのメッセージです。
軍資金や人的支援はできぬので、現地調達しろとおっしゃっているのでしょう」
「現地調達といっても、民の食料や財産を略奪することは絶対にしません」
「勿論です。我らはアードラー帝国をこの国から討ち払い、民を開放するために戦います。現地調達の対象から民を除くことは言うまでもありません。ただ、軍資金は必要です」
「軍資金か・・・避けては通れない問題ですね」
「リュミエール様、そのための私掠与奪の権です」
リュミエールは、お気に入りの白地にピンクのバラの意匠のついたカップで紅茶を一口飲んだ。
「・・・あら、このティーは・・・甘い花のような深い香り、渋みが少ない。何かしら」
「キームンです。大陸東方の茶葉です」
「これがあのキームン・・・そんな高価なものを・・・」
「お気に召されませんか?」
「気に入りましたわ。・・・ふ~っ、よいお香り。あ、キームンは、私のお祝いに?」
「たまたまです」
リュミエールは、疑いの目をレンに向ける。
「ふふふっ、レン、お代わりを」
「承知しました」
「それから、報告にあった保護した避難民は、ここでは不自由をかけます。明後日にでも都市ロッシュへ移ってもらい、そこで暮らしてもらいましょう」
「ルリ・フォン・モネール子爵ともお会いください」
「分かったわ。・・・ふー、やっぱり、レンの入れた紅茶は最高だわ」
「リュミエール様、辺境伯就任とマーティン領拝領の祝賀会は予定通り明後日です」
「レン、その祝賀会だが、戦時中であるこの状況では、控えるべきではないですか」
「リュミエール様に忠誠を誓う配下のためにです」
「見栄えのよい旗印ですか・・・分かりました。祝賀会は2時間のみに変更します」
「承知しました」
大陸暦717年7月11日 マーティン辺境伯領 軍事城塞グリズリッシュ
祝賀会には主だった重臣たちが出席をしていた。一般の兵士たちにも調理や酒なども振舞われた。今日ばかりは、軍事城塞グリズリッシュは、ソレイユを祝うお祭り騒ぎとなっていた。
大広間には料理や酒が並べられていた。
ヘルムフリート・オーベルシュトルツ、テオ・デュラン、クロード・フォン・カルダン子爵、レオン・フォン・アデール子爵、ナナ、その他の諸侯、義勇隊のジル・コラン、アベル・ファーブルなど各リーダーたち、そして新たに加わったルリ・フォン・モネール子爵も笑顔で立食を楽しんでいた。
ソレイユの後ろにはレン、オーベルシュトルツの後ろにはクルーゲ、モネール子爵の後ろにはまだ十代半ばのロックだけは律儀に直立していた。
モネール子爵がソレイユ辺境伯に近づいてくると敬礼した。
「ルリ・フォン・モネールです。
マーティン辺境伯、過日の9,890人の民の救援に感謝申し上げます」
「この場で敬礼はよい。ソレイユ・フォン・マーティンだ。
礼ならレンとオーベルシュトルツ殿に言ってやってくれ。それから我はソレイユでよい」
「はっ、では私をルリとお呼びください」
「ルリ、分かった」
「私は、正式にソレイユ辺境伯の臣下となりました。私のこともオーベルシュトルツとお呼びください」
近くにいたオーベルシュトルツが申し出た。
「我もカルダンではなく、クロードとお呼びください」
「我もジルと」
「我もアデールではなくレオンと」
ソレイユは目を大きくしてから微笑む。
「・・・分かった。皆を名で呼ぶ。デュランは言い慣れているから姓のデュランだ」
「え、俺だけ優遇、別格扱い? 嬉しいような、悲しいようなどっちだ? 教えてくれ」
ナナは、微笑んで答える。
「デュランは、嬉しそうよ」
「お、そうか俺は嬉しいのか」
ナナはルリに目を向け尋ねる。
「ルリ殿は、あの有名な子爵殿ですよね」
「有名?・・・ああ、負けてばかりでしたからね。レン殿が救援に来ていただいた過日の戦が、初勝利となります」
ルリの後ろに直立していた従者のロックが慌てて訂正する。
「負けではありません。友軍の窮地に飛び込みこれを救出すること3回、囮となって逃げて敵の部隊を引き付けること1回、町や村から民を救出して逃走すること3回。戦の記録には全て敗戦と記されたようですが、その軍功は誰にも負けません」
「これロック、ここにいる常勝のソレイユ辺境伯と、その勇将の前で失礼であろう」
「・・・でも」
「ルリ、よい従者を持ったな。私と同じで幸せ者だ」
ソレイユはそう言って振り返り、レンに視線を置いた。
レンは、表情一つ変えることなく直立している。
「リルの従者よ、其方の名を聞かせてくれ」
「はい、ロック・ダニエルです」
「ルリに尽くしなさい」
ソレイユの言葉に、ロックは胸を張って敬礼した。
ソレイユは直立する3名を見て、
「ロック、クルーゲ、そしてレンも、自由に歓談しなさい」
と声をかけるが、レンは、表情を変えずにそのまま立っている。
「レン、お前が動かねば、この2人も動けぬ」
「はっ、そういうことでしたら・・・」
レンがそう言って、食事に手を伸ばすと、クルーゲは飲み物を、ロックは焼いた肉に手を伸ばした。
ソレイユの部屋
「リュミエール様、ご指示のあったマーティン家の旗がロッシュより届きました」
そう言って、マーティン家紋章の入った軍旗を差し出した。
リュミエールはその旗をテーブルに広げると、しばらく見つめる。
「深紅の布地に、切り絵のような白いアゲハチョウの紋章、素敵だわ」
「明日にでも、ロッシュの館やこの軍事城塞グリズリッシュ城内、城壁にも掲げます」
「ええ、お願い」
「本日は、リュミエール様に学ばせていただきました」
「学ぶ? 何のことかしら」
「祝賀会でのことです。私がリュミエール様の後ろに控えているため、副官のクルーゲ殿や従者のロック殿も、オーベルシュトルツ殿やルリ殿の傍らに控えたままでした。
私が配慮すべきことでした」
レンは淡々と言葉を述べた。
「先が見通せ、何事もそつなくこなすレンにしては、意外でしたね。
それとも、私が気づき指摘することが分かっていて・・・私に花を持たせたのかしら」
「単に見落としていただけです」
「私への配慮に抜かりはないのに、不思議ね」
「以後気をつけます」
「でも、2つ安心しました」
「2つの安心ですか」
「1つは、レンが全ての注意力を注ぎ、常に私を見守っていてくれるということです。
もう1つは、レンは全てにおいて完璧ではないと分かったことです」
リュミエールは悪戯っ子のような目でレンに語った。
「当然です。リュミエール様の至高の執事、至強の従者であることが私の務め。
常にそれに専念しています」
「ふふ、嬉しいわ」
リュミエールは幸せそうに微笑んだ。
レンは眉一つ動かさずにこれを受け流すと、思い出したかのように、ソレイユの部屋の中央の壁に、深紅の布地に切り絵のような白いアゲハチョウの紋章を掲げた。




