10 軍神ヘルムフリート・オーベルシュトルツ将軍
大陸暦717年6月8日 軍事城塞グリズリッシュ 13:00
ソレイユの部屋の扉を叩く音がした。
「ソレイユ様にご報告があります」
「入れ」
レンとナナが入室して来た。
「偵察に出した兵からの連絡です。
この領内の街や村からアードラー帝国兵の姿が消えたということです」
「マレ村からもか」
「その通りです」
「レンの戦略が功を奏したな。すぐにデュランにも知らせてやれ」
「はい」
「急ぎ、領内の街や村には、改めてこの領はソレイユが守るとの触れを出せ。
それから、兵を巡回させろ。領民も安心することだろう」
「承知しました」
「未来の旦那様、領内から逃げて行ったアードラー帝国兵を追撃しなくてもよいのですか」
「その必要はない。戦禍を拡大するよりも領民を安心させることが大事だ。
ナナ、アードラー帝国はこれで黙ってはいないぞ。必ずこの領を攻撃して来る。それに備えよ」
「なるほど。流石、私の未来の旦那様です。じゃあ、デュランに知らせて来るわ」
そう言い残して、ナナは飛ぶように退室して行った。
「レン、アードラー帝国の反撃はいつ頃だと考える」
「オーベルシュトルツ将軍の件の状況等で、大きく変わると考えます。
アードラー帝国軍の余力を含めた状況、それにソレイユ隊の状況、ソレイユ様の状況と、変数が多くてまだ時期は想定できません」
「ソレイユ隊の状況と我の状況だと? 何の事だ」
「ソレイユ隊の状況については数日から数か月、ソレイユ様の状況については1週間から1か月以内にその変数に答えが出てくると思われます」
「だから何の事だ」
「ソレイユ隊の増強及びソレイユ様の爵位のことです」
「増強とは、勝ち続ける限り日和見の領主が味方ついて来るというやつか」
「左様です。ソレイユ様の戦果は既に十分かと考えます。今頃、日和見の領主たちは、アードラー帝国との力関係を天秤かけている頃だと思われます」
「爵位など私はいらぬ。アードラー帝国からオロール王国を奪い返し、民を安らかにしたいだけだ」
「ソレイユ様の大儀は崇高で、兵もついて来るでしょう。しかし、爵位の持つ力を侮ってはなりません。幾万の兵や民を率いるためには、見栄えの良い旗印が必要となります。
大戦には、大儀と錦の旗が必要なのです」
「旗印か・・・」
ソレイユは執務机に腰かけたまま、天井を眺めた。
21:00
リュミエールが自室で紅茶を楽しんでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
「待て」
リュミエールがそう言って、白のベネチアンマスクを付けた。
「入れ」
左腕に白い布巾をかけ、ピンクのバラの意匠のティーポットを持つレンの前をデュランが通過していく。デュランの瞳には、ソレイユの姿しか映っていなかった。
「ソレイユ殿、マレ村からただ今戻りました」
デュランは直立のまま敬礼をした。
「マレ村を救う理由に挙げていた家族と友、恋人は息災だったか」
「もう、私には弟しかおりません。家族や友、恋人は3年前に戦死しています」
「そうなのか。悪い事を尋ねた。弟はどうだったか」
「生まれつき体の弱い弟ですが、思ったよりも元気でした」
「弟は体が弱いのか・・・それは心配だったな」
レイはソレイユの瞳が僅かに揺れるのを見た。
「ありがとうございます。私はソレイユ殿にお礼を申し上げに伺いました」
「礼などよい。弟が無事、村が解放されてなによりだ。
デュラン、これからは弟を養い、マレ村を再建するがよい」
デュランは片膝を着いて頭を下げる。
「ソレイユ殿、私は貴方に忠誠をお誓いします。そして、このまま旗下に残ります」
「・・・何を唐突に。弟はどうする」
「弟は俺に『兄ちゃんは、アードラー帝国と戦って。僕と同じように苦しむ人を救って。それまで僕は大丈夫だ』と。・・・隣人の夫婦は『弟は任せろ。お前にしかできない事をやり遂げろ』と背を押してくれました」
「デュランは、それでよいのか」
「それでも弟は心配だよ。だけれども、誰かがやらなくちゃいけないんだ。
それを他人に押し付けていては、弟の前で胸を張って生きてはいけない」
「それで我に忠誠を誓うのか」
「ソレイユ殿が、アードラー帝国を打ち払うと信じている限りは、誠心誠意の忠誠を誓う」
「条件付きで誠心誠意だと、あはははは。
よかろう、デュラン、我について来い」
デュランはソレイユに敬礼をした。
踵を返したデュランにソレイユが言う。
「ところでデュラン、お前は流暢に会話できるのだな」
デュランは振り返り首を傾げる。
「流暢? 何語? ああ、異国の言葉か。 俺の言葉が難しい? みんなの勉強不足のせいか」
「相変わらず、ふざけた奴だ」
ソレイユが笑うと、デュランは口角を上げて親指を立てた。
大陸暦717年6月10日 軍事城塞グリズリッシュ 10:00
いつものように、ソレイユが兵士たちと何気ない話をしていると、
「ソレイユ様、アードラー帝国兵およそ2200が、このグリズリッシュに近づいて来るようです」
レンが急ぎ報告をした。
「僅か2200でこのグリズリッシュを?」
「それが敵の旗印は紺地に銀の月、あの4大軍神の1人、騎神オーベルシュトルツ将軍の軍です」
「なに! オーベルシュトルツ将軍だと」
ソレイユとレンは最外郭の城壁の上に駆け登った。そこにはデュランとナナたちの姿もあった。
ソレイユが城壁の兵に問い質す。
「間違いなくオーベルシュトルツ将軍の軍なのか」
「あの旗印は間違いありません」
「しかし、なぜ」
類稀な視力を持つナナが指さして叫ぶ。
「あ、オーベルシュトルツ軍の後ろにも、アードラー帝国軍3000が見えます」
「確かにいるな。オーベルシュトルツ軍は合計で5200か」
遠目の効くデュランが兵数を告げた。
「ソレイユ隊は、既に5000となっている。そして、この難攻不落な軍事城塞グリズリッシュに拠っている。攻略には兵の桁が足りないはずだ」
ソレイユが疑問を口にした。
ナナが行軍の変化を指摘する。
「オーベルシュトルツ軍が陣形を変えています」
レンが呟く。
「オーベルシュトルツ軍のあの陣形はおかしい。まるで背後の敵に備えているようだ。
ナナ、お前の眼で状況を伝えてくれ」
ナナは頷くと、城壁の壁に飛び乗った。
「2つの軍が対峙しているようにも見える。
あ、オーベルシュトルツ軍の騎馬隊が、後ろの隊に迫って行く。
・・・激突した。後ろの軍の旗が揺れている。
騎馬隊が後ろの軍を突き抜けた。後ろの軍は左右に分断されたわ」
後ろの軍は、その後も騎馬隊に散々に分断され、最後はオーベルシュトルツ軍本体の歩兵による波状攻撃で壊滅した。
「オーベルシュトルツ軍が圧倒的な強さで、後ろのアードラー帝国軍3000を壊滅させました」
「目を離すな。続けろ」
「え、あ、オーベルシュトルツ軍は、反転してこっちに向かって来る」
ソレイユは、グリズリッシュにいるソレイユ隊に命じる。
「迫る敵を打ち払う。全軍迎撃態勢!」
ソレイユ隊は機敏に動き、幾重にも張り巡らされた城壁と城門を守る。銃士隊も城壁の上で銃を構える。
「砲003用意」
レンの指示で、城門の左右に設置された砲003の砲筒が向きを変えていく。
オーベルシュトルツ軍は、グリズリッシュ手前500mで止まった。すると、騎馬1騎が城門に向かって駆けて来る。その騎馬は城門50mまで近づいて止まった。
その騎馬に乗る男は見覚えのある顔であった。
「私はヘルムフリート・オーベルシュトルツ将軍の副官カイム・クルーゲ」
「ソレイユ・ビアージュだ。クルーゲ、其方とは場所は異なれども、以前と同じく城門の上と下での再会だな」
ソレイユがクルーゲに向かって声をかけた。
「ソレイユ殿にお願いの儀があり参上した。
火急にて、このグリズリッシュの庭先へ、我が軍が侵入した事を許されよ」
「何用だ」
「ヘルムフリート・オーベルシュトルツ将軍のオロール王国への亡命。
この件について、是非ソレイユ殿と話がしたい」
あまりにも唐突な申し出に、城内の兵士は色めき立った。
ソレイユもレンも言葉を失っていた。
「・・・・・」
「ご返答はいかに」
「それでは、先ずオーベルシュトルツ将軍と直に話をしたい。
オーベルシュトルツ将軍が、自らこのグリズリッシュ内に足を運ばれよ」
「オーベルシュトルツ将軍自らと申すのか」
クルーゲの表情が曇った。
「双方の信頼なしに、この件は進まぬ。戻って伝えられよ」
クルーゲは馬首を返して駆けて行った。
オーベルシュトルツ将軍と副官クルーゲの2人が、軍事城塞グリズリッシュの城門を潜った。2人から武器を預かったソレイユ兵20名が、護衛するように周りを囲みながら城内の階段を登って行く。それを脇で見守る、私語を固く禁じられたソレイユ兵たちの目には、動揺の色が隠せなかった。
オーベルシュトルツ将軍と副官クルーゲは、ソレイユの執務室に案内された。
ソレイユは執務室の奥の椅子に座り、目の前の机に手を置いていた。レンとナナは、ソレイユの左右に直立していた。
「ヘルムフリート・オーベルシュトルツです」
ソレイユは立ち上がり、
「ソレイユ・ビアージュです」
とオーベルシュトルツの眼を見て名乗った。
オーベルシュトルツには椅子が用意されたが、彼はこれを固辞しため、両者は立ったままの会談となった。
オーベルシュトルツがソレイユに要件を述べる。
「私はオロール王国への亡命を希望します」
「亡命に条件はあるのですか?」
「我に従って来た兵士たち全ての命の保証のみです」
「将軍ご自身の身の安全はよろしいのですか」
「私の身は、ソレイユ・ビアージュ殿にお預けします」
「私ごときでは、将軍の身の安全は保障できません」
「お預けします」
「では、亡命の理由をお聞かせ願いたい」
「私の使命の達成のためです」
「使命とはいったい」
「もうあれから20年近く経ちました。アードラー帝国のある国への侵略に際し、私はさるお方から、そのご子息をお預かりしました。ところが、私はそのご子息を守り切れず、敵の捕虜となりました。
その後に、そのご子息は幸いにも逃げのびたと、知人から聞きましたが、行方は不明のままです。
アードラー帝国には酷い差別はありますが、武勲をあげれば、その功に応じて力を手に入れられます。そこで、アードラー帝国で功を上げることで力を蓄え、密かにそのご子息を今も探しております。
そのご子息を探し出すことが、今の私の使命と考えております」
「では、そのご子息の消息が分かった場合には、どうするおつもりですか」
「駆け付けたいと思っております」
「では質問を変えます。
なぜ、先ほどアードラー帝国軍と戦っていたのですか」
「私がアードラー帝国ベルバーム・アードラー皇帝への謀反の心ありとの噂が広がり、粛清対象となっていたようです。都市ロッシュを奪還せずに撤退したことが、摂政ガラメルの怒りに触れ、今回の粛清の引金となったようです」
副官クルーゲが声を上げた。
「あの摂政ガラメルは、民衆からの熱狂的な支持を受けるオーベルシュトルツ将軍の力を恐れ、粛清の機会を図っていたのだと考えます」
オーベルシュトルツは一瞬クルーゲを見てこれを制した。
ソレイユは、オーベルシュトルツの眼を見て語る。
「私はオーベルシュトルツ将軍の亡命の意志を信じます」
「ビアージュ殿は、これが偽りで計略だと、私をお疑いにならないのですか」
「そこにいるレンが、オーベルシュトルツ将軍とクルーゲ殿は実直な方だと言っておりましたので、信じる事にしました」
オーベルシュトルツは黒いベネチアンマスクをつけて起立しているレンを真っすぐに見た。
「それでは、オーベルシュトルツ将軍の身柄と兵は、このソレイユ・ビアージュがお預かりします」
「ビアージュ殿、感謝します」
オーベルシュトルツはソレイユに深々と頭を下げた。
こうして、ソレイユ隊は、オーベルシュトルツ軍2200名を新たに加え、総勢7200名となった。
21:00
「リュミエール様、オーベルシュトルツ将軍と2200名の兵士亡命について、リヤン・オロール王子に報告せねばなりません」
「レン、そのことですが、リヤン王子からオーベルシュトルツ将軍暗殺の命令、または、新首都マルドゥーユに召喚して裁判の末に極刑などは、考えられないでしょうか」
「ないとは言えませんが、可能性は低いと判断します。軍神と称せられるほどの卓越した武功を誇るオーベルシュトルツ将軍が、アードラー帝国からオロール王国へと亡命したのです。この事実は、様々な価値を生み活用できます」
「その価値を、リヤン王子とその側近が上手に活用してほしいものです」
「リュミエール様、場合によっては、リヤン王子に謁見して直接申し上げることになるかもしれません」
「オーベルシュトルツ将軍の命をお預かりしている以上、そのことは構いません。ですが・・・」
「そうです。直接リヤン王子に謁見する必要がある場合には、マスクの着用が問題となります。リュミエール様の秘密を公開しなければならない可能性があります」
「・・・その場合、ビアージュ子爵家が、嫡男ソレイユを戦場に送れという勅命に従わなかったことが問われ、新たな問題が生じるのですね・・・」
「オーベルシュトルツ将軍の処遇には目を瞑り、その身柄をリヤン王子に差し出すこともできます」
「それはできません。私を頼り亡命したオーベルシュトルツ将軍は、救わねばなりません。
その信義を違えることはできません」
「リュミエール様は、そのようにお考えなさると思っておりました」
「・・・しかし、その咎は私だけではありません。父や母、弟のソレイユ、ビアージュ子爵家にも及ぶことでしょう。
いえ、何よりもレンまで巻き込んでしまう恐れがあります」
「リュミエール様にお仕えするということは、そういう事です」
リュミエール様の瞳が僅かに揺れた。
「レンには苦労をかけます。・・・対応策はありますか」
「当然です。リュミエール様の至高の執事、至強の従者たることが私の務め。
今こそ、その真価が問われるところです」
レンは左腕に白い布巾をかけ、ピンクのバラの意匠のティーポットを持ち、冷静に考えを述べた。
「・・・レン。
私も貴方の究極の主でありたいと、心から願います」
「恐縮です」
レンはピンクのバラの意匠のティーポットを手で触り温度を確認する。
「新しいティーを入れて参ります。ご希望の銘柄はありますか」
「何にしようかしら・・・」
「以前の賊退治で、民の感謝の気持ちとしていただいたロイド村原産ロイドグレーはいかがでしょう」
「そうねー、ロイドグレーがいいわ。・・・心も温まりそうだわ」
「承知しました」
「レン、・・・ありがとう」
レンは、目を瞑りながら軽く会釈した。左腕に掛けた白い布巾がゆっくりと揺れた。
リュミエールは夜の窓から外を眺め、レンにだけは弱音を吐ける、ソレイユではなく、リュミエールとしての自分を自覚した。




