解放の英雄編 第1章 光陰 1 リュミエールとソレイユ
当然です。あなた様の至高の執事、至強の従者たることが私の務め
解 放 の 英 雄 編
花 野 井 京
第1章 光陰
1 リュミエールとソレイユ
大陸暦717年4月20日 オロール王国最南東部の街フォルト ビアージュ子爵家
レスポワー、セ ラ リュミエー キ ブリ オ フォン ドゥ トン クー
レスポワー、セ ラ リュミエー キ ブリ オ フォン ドゥ トン クー
子爵家の窓から外に、男女2人のおまじないの声が響いてきた。
その部屋の中で、
「ゴホッ、ゴホ、・・・『希望とは、心の中に輝く光』。
リュミエール姉さん、すまない・・・。
僕の代わりにまた野盗退治に行くのですね・・・17歳になったというのに、嫡男の僕が病弱でいつも負担をかけてばかりだ・・・ゴホッ」
ベッドに横たわるソレイユ・フォン・ビアージュがその虚ろな目を、薄桃色のワンピースを着た姉リュミエールに向けて、申し訳なさそうに呟いた。
「ソレイユ、我らは双子の姉弟ではないか。遠慮はいらぬ」
リュミエールがそう言って微笑むと、ソレイユは壁にかかっている白地に金獅子と剣の家紋のレリーフを眺めてから、青い瞳を静かに閉じた。
嫡男ソレイユは、武功で名高いフランク・フォン・ビアージュ子爵の嫡男として生を受けたが、幼少から体が弱く1年の半分以上をベッドの上で過ごす日々が続いていた。
ソレイユは金色の長い髪と端正な目鼻立ち、透き通るような白い肌をした美形で、双子の姉リュミエールと容姿が似ていた。
「さあ、ゆっくりと休むとよい」
リュミエールは優しく言葉をかけると、ソレイユの寝室から退室した。
部屋の外には、今年19歳を迎えたばかりの長身の執事レンが直立していた。
リュミエールはレンの前を無言のまま通過し、歩きながら後方に付き従うレンに話しかける。
「レン、これからロイド村へ民救出に向かいます。白蝶騎兵隊の準備を」
「リュミエール様、白蝶騎兵隊6名、既に待機しております」
「10分で着替えてくる」
「はっ」
レンは、黒髪と黒瞳、黒のベレー帽と黒の軍服に身を包み、腰には銀の柄のサーベルと紫のサッシュが揺れていた。そして、目元を隠す黒のベネチアンマスクをつけると、裏口から外に出て行った。
階下からリュミエールを探す教育係ドリアーヌの声が聞こえてくる。
「リュミエールお嬢様、リュミエールお嬢様・・・もう、どこに行かれたのかしら。
これからダンスの練習の時間だというのに・・・」
「これより野盗の占拠するロイド村へ、民の救出へと向かう」
ソレイユ(リュミエール)を乗せた白馬が嘶いて棹立ちになった。
ソレイユは赤のフロックコートに金色の繊細な蔦の意匠がついた軍服に白のズボン、黒のロングブーツを履き、腰には金の柄のサーベルと金のサッシュを帯びている。赤地に白の羽根つき帽子を被り、目元には右側にアゲハチョウの右羽の意匠のついた白のベネチアンマスクをつけていた。
「ソレイユ様、野盗は夜陰のジャッカルと呼ばれている賊。総勢18名との報告です」
レンがソレイユに告げた。
女性であるリュミエールは、白のベネチアンマスクで顔を隠し、次期領主であるソレイユと偽って子爵家の白蝶騎兵隊を率いている。その正体を知る者は、家族と執事レンなど、極一部の者に限られていた。
ソレイユにレンが従い、その後ろには6名の白蝶騎兵が馬を走らせた。
邸宅の2階の窓からは、領主のフランク・フォン・ビアージュ子爵と妃フローネが見送っている。
「リュミエールには苦労をかける。アードラー帝国との戦で、私の足が自由にならなくなってしまってからはなおさらだ」
「あなた、リュミエールなら大丈夫ですわ。常勝のビアージュ子爵と言われるほど、武功の誉れ高い貴方が、幼い時からソレイユの代わりに剣術や馬術、銃術等を鍛え上げたのですから」
「それがビアージュ子爵家を守る最善の選択だと考えていたが、リュミエールの女性としての人生を狂わせてしまった。それが、ただ、ただ不憫なのだ・・・」
「・・・それでも、リュミエールには別の人生が開かれました。
あの子は、その生を懸命に生きています」
フローネは、杖をつくビアージュ子爵の手の甲に、そっと手を重ねた。
ソレイユと白蝶騎兵隊は、切り立った崖の上からロイド村を見下ろしていた。
木の柵が張り巡らされた村には、薄黒く変色した石造りの家並みの間を白い羊が草を食みながら歩いている。長閑な日常の風景だが、村民の姿はどこにも見えない。
「レン、其方の言った通りだ。
賊、夜陰のジャッカルは、ロイド村の出入口から攻められることを警戒して、そこにバリケードを築いている。
このまま裏手を逆さ落としで急襲する。
そして、1人でも多くの村人を救出する」
「ソレイユ様、賊はこの崖を馬で駆け降りて来るとは考えていないでしょうが、そう考えさせるほどの急勾配です。くれぐれも油断めされるな」
ソレイユとレンの言葉を聞いて、従う騎兵6名が崖を見下ろしゴクリと唾を呑み込んだ。
「しかし、野盗風情が村を占拠して何になると言うのだ」
ソレイユがそう呟く。
ソレイユに馬を並べるレンが、思わぬ答えを述べる。
「アードラー帝国が、オロール王国に侵攻して7年間が経ちます。
アードラー帝国が、我が国の北部一帯と北西部、北東部の一部を征服しております。今では両国間で結ばれた和平条約によって、アードラー帝国皇子ジェルムがオロール王国で事実上の施政をしているこの時期です。
あの賊の凶行は、アードラー帝国と何らかの関係があると考えた方が自然です」
「・・・賊の裏にはアードラー帝国の影か。
あの賊とアードラー帝国との関係を明らかにしたい。
賊のうち1人は生かして捕らえよ」
ソレイユはそう命じて、崖下の村を凝視した。
「・・・村人が賊から暴行を受けている」
ソレイユは、それを見るやいなや跨る白馬「雪風」の腹を踵で蹴った。
ソレイユを乗せた馬は、切り立った崖を跳ね降りて行く。
「ソレイユ様に続け!」
レンが叫ぶと、白蝶騎兵隊は崖を猛然と駆け下った。
「雪風、慌てるな。もう少しだ」
ソレイユは、白馬雪風の鬣と手綱を握りしめながら穏やかに語りかける。
雪風は、急斜面に足を滑らせながらも、力強く跳ね、駆け下りて行く。
雪風が崖下に着地すると、ソレイユはサーベルを抜きロイド村の裏手へと突撃した。
雪風が裏手の柵を飛び越えると、村人に暴行を働いている夜陰のジャッカル2名と目が合う。
「き、貴様。どこから・・・」
すれ違った時には、ソレイユのサーベルが2名を切り伏せていた。
ソレイユは馬上から村人に声をかける。
「辛かっただろう。もう大丈夫だ」
「・・・ハァ、ハァ、あ、ありがとうございます。あ、貴方様は、ソレイユ様ですか」
レンを先頭に白蝶騎兵隊が、次々と柵を飛び越えて村に入って来た。
「敵だー!」
「お頭、村の裏側から敵が攻め込んで来た」
夜陰のジャッカルたちが、ソレイユたちに気づき叫び声を上げた。
「ちっ」
お頭のゾゾは、村人たちを押し込めている大きな納屋に駆け込む。
ソレイユのサーベルが、陽の光に輝き閃光を放つ。その度に夜陰のジャッカルたちが断末魔を上げる。
レンは馬上から巧みに槍を突き出し、一撃で賊を屠って行く。
レンの後に従っていた白蝶騎兵隊は、駆けながら四方に散り、夜陰のジャッカルたちを切り伏せ追い立てる。ロイド村には、白蝶騎兵隊の馬蹄の音が鳴り響く。
突然、ソレイユは疾駆する雪風の手綱を絞った。
雪風は嘶き2本の前足を高く上げて宙を蹴った。馬を御するソレイユの青い瞳には、幼い女の子の首元に剣を当てる男が映っていた。
首元に当てている刃がキラリと光る。
「おい、武器を捨てろ!
・・・右側に、アゲハチョウの右羽の意匠のついた白のベネチアンマスク、まさかお前はビアージュ家のソレイユか!
この子供がどうなってもよいのか・・・」
男は、剣の刃を女の子の首に近づけた。
人質となった女の子は気丈にも声を漏らさず、下唇を噛んでいる。
ソレイユは雪風から降りると、サーベルを足元に置いた。
「けっ、そのまま後ろに下がれ・・・ゆっくりとだ。
・・・あのソレイユをここで倒せるとは、俺にも運が回って来たぜ」
人質を取る男がそう声を上げた。
ソレイユがゆっくりと後ずさりすると、その頭上に網が投げ込まれた。網はソレイユを包み体の自由を奪った。
「・・・やれ」
男がそう命じると、屋根から網を投げた2人の男が地面に飛び降りて来た。
その男たちが笑みを浮かべ、ソレイユにゆっくりと近寄って来る。
「お前が夜陰のジャッカルの頭か?」
網の中からソレイユが、人質を取る男に話しかけた。
「聞いて驚くな。俺が夜陰のジャッカルの頭、ゾゾ様だ」
「ゾゾ? ・・・驚くことは何一つない。ゾゾ、言い残す言葉はあるか」
ソレイユの問いにゾゾは右の口角を上げて笑う。
「それはソレイユ、お前の方だろう。この状況が分かっているのか」
「お、お頭、後ろ!」
2人の賊が叫んだ瞬間に、背後からレンが冷たく銀色に輝く剣でゾゾの首を薙ぎ払った。
ゾゾは声を上げる事もなく、白目を剝き出してその場に崩れ落ちた。
「最後の言葉が『この状況が分かっているのか』か、周囲も見えぬ哀れな男に相応しい言葉だ」
ソレイユが、横たわるゾゾを一瞥して言葉を漏らした。
ソレイユに近づく2人の男は、お頭のゾゾが斬られため、悲鳴を上げながら逃げ出そうとして反転した。
しかし、その目の前には、槍を構える白蝶兵が立っていた。2人は声を上げる間もなく一突きで喉を貫かれた。
ソレイユは人質だった女の子の下へ走り寄った。女の子は、ソレイユの胸に強く抱きしめられると、大声を上げて泣き出した。
「よく頑張った。・・・もう大丈夫、大丈夫」
「うえ、ヒクッ、うえぇぇぇーん」
レンは、ソレイユと女の子を横目で見ながら、白蝶騎兵数人の報告を聞いた。
そして、女の子を抱きしめながら、ソレイユがレンに尋ねる。
「ご苦労だった。村人は無事か」
「村人は救出中です。賊は全滅、1人を生け捕りました」
とレンが答えた。
「生け捕りにした賊から、アードラー帝国との関係を聞き出せ」
オロール王国最南東部の街フォルト ビアージュ子爵家の一室
フランク・フォン・ビアージュ子爵は、書斎の椅子に腰かけながら入室してきたソレイユ姿のリュミエールに目を向ける。
「リュミエール、無事に戻ったか」
ビアージュ子爵は立ち上がって、リュミエールに声をかけた。
「父上、ロイド村を占拠した賊の討伐は完了しました」
「ご苦労であった。ロイド村の民は無事であったか」
ビアージュ子爵は椅子に掛けると、リュミエールにも対面の椅子を手で勧めながら言った。
「賊の襲撃時に命を落とした者が3名。怪我を負った者が11名。他の者は救出しました」
「ロイド村に医療品などの救援物資を届けることとしよう」
「既にレンが医師も含めて手配しております」
ビアージュ子爵は、頷きながら、
「そうか、レンなら手抜かりはなかろう。
・・・ところで、レンをリュミエールの執事兼従者に命じてから3週間が経つ。レンとはうまくやっているのか」
と尋ねた。
「問題ないです。
父上、それより今回のロイド村占拠には、アードラー帝国が関係している可能性が考えられます」
「何、アードラー帝国だと!」
ビアージュ子爵はアードラー帝国の名を耳にして思わず立ち上がると、古傷が痛んだのか右足を押さえた。
リュミエールが深く頷く姿を見て、ビアージュ子爵は続ける。
「アードラー帝国による我が国への侵攻と焦土作戦、3年前の王都パリリス陥落へと続き、強引な和平条約による施政権の簒奪という蛮行にも飽き足らず、ついには、この国自体を亡ぼす気なのか。
・・・国王亡き後、リヤン・オロール王子のお命を、何としてもお守りせねばならぬ」
「父上、リヤン・オロール王子にこのことをお伝えすべきかと思います」
「リュミエール、確たる証拠は得たのか」
「ロイド村を占拠した賊、夜陰のジャカルの1人を問い詰めましたが、アードラー帝国との結びつきを示す証拠は掴めませんでした」
「では、秘密裏に事を報告するとしよう」
リュミエールの部屋
リュミエールが今回の件についての報告書を認めていると、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
執事のレンは入室し、白地にピンクのバラの意匠のついたソーサーとカップをリュミエールの机の上に置いた。
左腕に白い布巾をかけ、ピンクのバラの意匠のティーポットから無駄のない動きでカップに紅茶を注ぐ。
「医師は、間もなくロイド村に到着します。第1便の食料と医療物資はロイド村に届いたとの知らせがありました」
「ご苦労様でした」
リュミエールは、報告書を作成するペンを止めることなく、レンからの報告を聞いていた。
「・・・・・・」
「・・・・? 何、レン。他に何かあるのですか」
「申し上げたいことがあります」
「遠慮せずにどうぞ」
リュミエールは、お気に入りのカップに入った紅茶を口に含んだ。「・・・この紅茶は」と心で呟いた。
「では、遠慮なく。
リュミエール様、何ですかあの突撃は」
「レン、何を怒っているのです。貴方が立案した村人救出のための急襲作戦でしょう。
崖を駆け下りる危険ぐらい、貴方も承知のはず」
「その事ではありません。ロイド村内に単独で突撃して行ったことを問題にしています」
「レンや白蝶騎兵隊もいたでしょう」
「リュミエール様の単独による先駆けは、私の救出策の成否に想定外の影響が出ます」
「私には、レンがついているではないですか。
実際、賊の頭をレンが仕留めたのでは」
「私がたまたまそこに出くわしたから、そのような結果になっただけです」
「あら、たまたまではないでしょう。
剣を極めたレンの瞳が、いつでも私の姿を捉えているのだから」
「当然です。リュミエール様の至高の執事、至強の従者たることが私の務め。
それが、戦争孤児の私を引き取り、学問と戦闘術、軍学等を授けてくださったビアージュ子爵の大恩に報いる手段です。
今後は、単独先行を禁止していただきます」
「・・・レン、そう責めないで。以後は、慎みますから」
レンは、ふーっと大きく息を吐くと、リュミエールに話しかける。
「リュミエール様は、お気づきになりましたね。
この紅茶はロイド村原産のロイドグレーです。ロイド村から感謝の言葉と共にいただきました」
「柔らかくコクもあります。程よい渋みも・・・パンジェンシー」
レンは、リュミエールのティーカップにロイドグレーを再び注いだ。