第3章 念
私は血の気が引いた。祖父の大切なノートではあるが、急に鳥肌が立ち、半ば投げ捨てるように机に置いてしまった。
なぜ、こんなに気味の悪いことをしたのだろうか。全員が故人であることが分かった今、あのシミが以前に増して、私を恐怖に陥れた。
ただ、ずっとシミの正体が分からないまま、モヤモヤするのも嫌だった。
もしかしたら、ただの墨とか、そういうものかも知れないではないか。昔はハンコの代わりに指印を押したりもしていたと思うし、きっとそれが薄くなっただけだろう。
私は、ただ必死に自分を落ち着かせるしかなかった。
日本には「念」という考え方がある。
良い意味では、想いや情熱として人を励ますこともあるが、負の感情が渦巻くこともある。
生き霊などは、念が具現化したものと考えられるだろう。源氏物語にも、六条御息所が嫉妬から生き霊と化し、光の愛人を殺害する様子が描かれており、念は古くから日本に存在する概念である。
もし、あのシミも念が関係しているとしたら…
ダメだ…
どれだけ無視しようとしても、部屋全体を重く畳み掛けるように、血のように生温かい恐怖がやってくる。
あした、あのシミの正体をちゃんと確かめよう。
それが恐ろしい真実を導いても、私には祖父の想いを受け継ぐ義務がある。
義務
そう自分に言い聞かせて、私は必死に眠気を引き寄せた。
⌘
あれから何時間くらい経ったのだろう。
どれだけ寝ても、まだ朝は来ない。
静寂の暗闇が永遠に続くかのような孤独と恐怖。
あのノートが部屋にある ただそれだけで、私の警戒心は倍増した。少しの物音にさえ反応し、震え上がった。
その時、私は音を聞いた。
猫か、人か、何かが唸るような声。
きっと猫だ…この声は猫に決まってる
だが、そう言い聞かせるのは困難だった。
うめき声は、明らかに部屋の中にあった。




