第2章 悪習
私はその晩、例の水跡について考えていた。あまりにも奇妙な光景であったことと、あの遺物の正体について、考えを巡らせていたのである。
夕方に散歩へ出かけた。夕闇に映るただ一つの影。この村が消滅するのは、そう遠くないように感じた。
日本には、ムラ社会というものが古代からある。
たいていは安全の確保のため、一定数の人間が集まって生活し、秩序を保つためにルールを設けた。悪習のイメージが強い村八分も、元は秩序遵守の為のシステムであったが、今となっては、その忌まわしさのみが目立つばかりである。
この村も例外ではない。今でこそ、テレビなど情報源の増加で少しは開かれた場所となったものの、その根底にはまだ村社会的な暗黙のルールが蔓延っているのを私は知っていた。消滅可能性のある村に奇特な若者がやって来ても、大抵の老人は最初、快い反応はしないものである。
私は、とりあえず、あの日記のことを調べてみたかった。他のことを考えようとしても、あの強烈な姿が、あの奇怪なシミが頭の中を支配していた。
こうなったら、とにかく動こう。何か分かるかもしれない。まずは、最も進めやすい村人の名前から調査を始めることにした。
私は、祖父のノートの存在は伏せたまま、祖母をはじめ、村人に例の名前を尋ねていった。やはり、子どもや孫世代は知らないようだったので、高齢者を中心に聞き取りをおこなった。
【深見 トモ子 95歳】
・村で生まれ育つ
・同じ村の夫と結婚
・現在ひとり暮らし
・週4回ヘルパー来てる
・祖父とは挨拶、世間話などで交流あり
・ノートの名前のうち3名と認識あり
❶トモ子が28歳の時に村に来た若い男性。足が不自由で徴兵されず、疎開のため来訪。ずっと1人で住んでた。その後、詳しいことは知らないが、亡くなったと聞いた。
❷あまり覚えていないが、幼い頃にやって来た女性。確か幼い子どもと夫の3人家族だったはず。あまり記憶にないが、3人とも出て行ってしまった。
❸療養に来ていた30代くらいの男性。何かしらの病気だったそうだが、詳しいことは知らない。
感染症ではないかと言われていて、みんな避けていた。
【赤阪 辰朗 87歳】
・村で生まれ育つ
・現在ひとり暮らし
・ノートの名前、だいたい覚えてる
・この村には村八分があったと証言
・辰朗さん本人は、この風習を快く思っていなかったが、何となく逆らえなかったので見てみぬふりをしてきたが、今思うと間違ったことをしていたと感じているらしい
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数日聞き回って疲れてしまった。
いや、疲れたのは体力だけではない。
私は身も心もグッタリしていた。あのノートの真相を知れば知るほど、私はどんどん疲れて、暗い気持ちになっていった。これ以上調べたら、鬱になるのではないかと本気で考えたほどであるが、
好奇心はそれを上回り、拒否反応を示し始める身体に逆らって、脳はあのノートと村の悪習で埋め尽くされていた。
あのノートの核心に迫ってきたことを私は実感した。にも関わらず、聞き込みを続けようか、私は迷っていた。それは紛れもなく恐怖心からであった。
あのノートに書かれた名前は、どれもこれも、全員もれなく亡くなっていたのである。