表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偏移  作者: Fickle
17/25

17. 今の、なんだった……

夜の闇が、低く沈んでいた。


廃棄された工業地帯の上空、

潜流シールドの光膜がわずかに脈動しながら、ゆっくりと収縮していた。

半透明の膜のようでいて、どこか濁り、病的な光を帯びている。


かつてここは都市のエネルギー中枢だった。

今はただ、歪んだ鉄骨が風に軋むだけの、死んだ構造体。


崩れた高架橋には錆びた鋼索が垂れ下がり、

冷たい風がそれを無言で揺らしていた。


空気には、正体の知れない振動が漂っていた。

それはまるで、死にかけた何かが、遠くで微かに息をしているようだった。



林澤は、第九暗線小隊を率いて、廃墟の中を進んでいた。


隊員たちは潜流遮断ヘルメットを装着し、

手にした同期スキャナの青白い光が、闇の中でかすかに瞬いていた。

それが、崩れた都市の輪郭を、一本ずつ描き出していく。


ときおり、スキャナが「キィィ……」と軋むような音を立てた。

それは、潜流曲率に局所的なズレが生じたときの兆候。

骨の奥に響くような、微かな不協和。


挿絵(By みてみん)


小隊は扇状に展開しながら、沈黙のまま着実に前進していく。

足元を吹き抜ける風には、潜流の漏洩を思わせる生臭さが混じっていた。

地中に沈んだままの腐敗した記憶が、ふいに地表へと浮上してきたような匂い。



林澤が波形を確認していたとき、

視界の端で、半壊した工場の影が動いた気配を捉えた。


……人影。


汚れた作業服を着た背中が、猫背で、ゆっくりと揺れていた。

その動きは不自然に遅く、ぎこちなかった。

壊れた機械が、命令を忘れて徘徊しているような挙動。


林澤は手信号で部隊を静止させる。

スキャナの周波数を低帯域に切り替え、その影に向けて慎重に照射した。


光が人影の輪郭をなぞった。

だが、戻ってきたデータは、限りなく“空白”に近かった。


標準潜流との同期反応――なし。

検出されたのは、微弱で無秩序な揺らぎだけ。


それはまるで、接続されたことのない、死んだ構造体を読み取ったときのような感触だった。



その瞬間、人影がぴたりと止まった。

誰かに見られていることを、察知したかのように。


そして——

信じられないほどゆっくりと、首が回り始めた。

最初はわずかに。

次いで、「ギリッ」と耳障りな音とともに、関節の角度が崩れる。


ねじれた軸のように、頭部がぐるりと回った。


挿絵(By みてみん)


闇の中に、その“顔”が浮かび上がる。

表情はなかった。

瞳孔は、凍ったガラスの奥に閉じ込められたままで、光をまったく反射しなかった。


口元には、笑みのようなものがあった。

だがそれは、筋肉の動きと一致していなかった。

まるで、どこかから貼りつけられた“笑っている形”だけが、顔に固定されているようだった。


林澤は半歩、無意識に後退した。

そしてすぐに、戦術サインを出す。


——警戒態勢。


その合図と同時に、“それ”が動いた。


ぎこちなく、しかし異常な速さで突進してくる。


脚の関節は外れたまま跳ねているようで、

動作のすべてが、人間のそれとはかけ離れていた。


林澤は反射的に銃を抜き、三発撃つ。

標準弾が、正確に相手の胸を貫いた。


「ドン、ドン、ドン。」


銃声が廃墟に響く。

しかし、血は出なかった。



部隊は即座に包囲態勢を取る。


その個体は、ふいに動きを止め、首を傾けた。


その視線には、恐怖も、怒りも、痛みもなかった。


まるで“観察対象”ですらない、“ノイズ”を見るような目。


そして彼は、何事もなかったかのように踵を返し、

ふらつきながら工場の影へと消えていった。


靴底が地面を擦るたび、

「きぃ……きぃ……」と、骨を引きずるような音が響いた。



林澤は、スキャナに目を落とす。


さきほどまで異常数値を示していた座標が、

まるで何もなかったかのように、標準値に戻っていた。


あの存在自体が、最初から“なかった”かのように。



背後で、隊員のひとりが小さく息を漏らす。

「……今の、なんだった……?」


林澤は答えない。


ただ、背中を撫で上げてくるような見えない冷気に、

全神経がざわついていた。



遠く、廃墟の奥で、小さな足音がした。


一歩。 また一歩。


暗がりの向こうから、別の個体たちが、

ゆっくりと、都市の中枢へと向かって動き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ