2.『アリソン&ダイアン編』 前編
よくある話じゃあるのさ。
借金のカタに売られたうら若い女の子が、客を取ることを嫌がる。そりゃそうだよ。どんなにつらかろうが、今までキレイな世界で生きてきたからね。初めて男女の関係になるのが見知らぬ男だってのに、抵抗がない方がおかしいってもんさ。
けど、とアタシは反省する新人を見て思う。
これで5人目だ。オーナーの方針で新人娼婦には常連の、女を扱う手管に長じたお客を宛がうことになってる。初めはやさしく手ほどきしてもらって、徐々に仕事に慣れていってもらおうって算段だ。
娼婦あがりのウチのオーナーは、界隈では名の通った人徳者だ。かつて自分がされて嫌だったこと、つらかったことをアタシたちに強要したりしない。もしどうしてもって場合には、特別手当を給付する。
売られたのがここで、この娘はまだしも幸運だったと思うよ。
「……先方は、怒ってないってさ」
「そ、そうですか」
肩をこごめて委縮する新人娼婦ダイアンに、アタシは溜息をついた。
胸元の大きく開いた娼婦服に、まだ着られてる感じがするね。
「やさしいお客でよかったね。たんこぶに氷嚢を当てて、早く慣れるといいねって笑って許してくれたよ。もっとも、それを見込んで新人に充ててるんだけどさ」
椅子に座ったまま俯いて、きゅっと両の拳を握りしめる。
反省してないわけじゃないけど、反射で動いちまうんだろうね。
「あ、アリソンさん、どうもすみません……」
「慣れてるし、謝らなくていいよ。それよか、どうしたら上手くできる?」
客と2人きりで部屋に置いて、いざこれからって段で手を上げる。そうなったが最後、パニックになってこっちの話なんて聞きやしない。なにより厄介なのはダイアンが元冒険者だってことだ。
冒険者。あらくれ。依頼やらダンジョンの探索やらを生業にする職業だけど、アタシにとっちゃ暴力の専門家って認識だね。血の気が多くて、腕が立つ。
冒険者パーティで、後衛張ってたダイアンにしたって同じさ。武器を奪われた徒手空拳の状態でも、そこらの青瓢箪くらいなら圧倒できちまう。
今日も虎の子の用心棒たちを奥の間から引っ張り出してきて、力尽くで押さえつけてもらったんだからね。
「わからない、です。いざそのときになったら、頭の中がかーっとなって、それで……」
チラチラと上目遣いでこっちを見てくる。
どうにも嘘を言ってる感じじゃないね。
「向いてない、と思うんです。私、もっと別の仕事を振ってもらった方が……」
それに応えたい気持ちは山々だけど、こっちも商売だからね。
「あんたは借金のカタに、娼婦として売られた。それはわかってるね」
「は、はい」
「つらい仕事さ。身体も汚す。けどこればっかりは割り切ってもらうしかない。あんたには借金があって、それを返すためにここにいるんだから」
ダイアンはおばかな娘じゃない。だから、こうやって道理を説いて聞かすことにあまり意味はない。身体が生理的に反応しちまってるんだろう。
「そうですよね。元はと言えば、私のせいだ……」
ほら、だからこんな風にすぐ自分を追い詰めちまう。
少し可哀想になって、アタシはらしくもないことを言った。
「あんた、なんでここにきたの?」
「へ? なんでって……フランクさんに借りたお金を、返せなくて」
「そうじゃなくてさ。どうしてあのロクデナシに借金する派目になったのかって、アタシは聞いてるんだよ」
この業界、身の上の詮索はタブーだ。
下手に話を聞いて同情しちまったり、肩入れしてやりたくなったりしたら、業務に支障をきたす。
トラブルの種を自ら拾いに行くようなもんさ。悲惨な境遇に胸を打たれた先輩娼婦が後輩娼婦を逃がして、厳罰を受けることになった例はそれこそ山のようにある。そうなると本人は損だし、店だって大損だ。見せしめに身体を刻まれた女は、商品価値が下がっちまって安くでしか売れなくなるからね。
アタシだってふだんならやらないよ。
ただ、この娘にはなにかある気がしたし、アタシはじきにここを去る身だからね。
逡巡するダイアンの口から出た言葉は、アタシの意表を突くものだった。
「……本を、買ってて」
「驚いた。あんた字が読めるってのかい?」
誰に教育を受けたやら、本当ならかなりいいところの出だね。
「別に育ちがいいわけじゃなくて、独学で覚えたんです」
「同じだよ。努力ってのは学ばないとできないもんだ」
よくよく思い返すと、ダイアンは冒険者パーティで後衛を任されていた。そうか、魔法の道を究めることを選んだなら、文字が読めたって不思議じゃないのか。
「魔導書の類かい?」
「違います。あの……」
視線を逸らして、もじもじと恥ずかしそうに。
「アリソンさんは、転生小説って知っていますか?」
なんとも聞きなれない言葉だね。
そも文字が読めないアタシは、小説なんて触れたこともない。
首を傾げると、こちらの意図を察してダイアンが説明してくれた。簡潔に言っちまうと、現実世界で虐げられていた女の子が、死んで甦った別世界でしあわせになる話なんだそうだ。
「主として、町娘さんの間で流行ってるらしくて」
「……へえ」
腕を組んで、納得する。
表のお嬢さんたちの趣味なんて、これまで聞いたこともなかったよ。
「つまりその娯楽本の類を、集めすぎてしまったと?」
コクン、と深い頷きが返ってくる。
「目当ての新刊、やっと手に入れたんです。けど借金の返済期日を守れなくて、朝方にフランクさんがやってきて、読む前のそれを取り上げられてしまって……」
「金を返す算段もなしに、期限がきてしまった?」
再度肯定を受けると、私にも思うことができた。
「あんたそれさ、読み終えた本を売ったらよかったんじゃないの?」
「だ、ダメ……それはできなくて……!」
「どうして?」
机に頬杖ついて、リラックスした様子で、親身になって問いかける。
こうすれば心細い後輩は腹を割るし、アタシ自身も興味が出てきた。
「あの、実は目指してるんです。冒険者をやめて、いつか転生小説の書き手になってみたいなって」
そのための見本として手元に本を残しておきたい。
ダイアンは、どうもそんな判断を下していたらしい。
「まだ読む前だったから、新刊も取り戻したくて」
「それで娼婦落ちになってりゃ世話ないんじゃないかい?」
「うぅ。それは、そうかもしれませんが……」
おっと、アタシは別にこの子を追い詰めたいわけじゃない。
「そんな暗い顔しないでくれよ。笑顔は女をキレイに見せるもんさ。曇り顔じゃ、せっかくのかわいい顔まで台無しになっちまうよ」
これは別に、お世辞のつもりじゃない。ロクデナシのフランクに連れられてこの店を訪れたダイアンは目深にフードを被っていて、どんな顔をしてるのか皆目見当がつかなかったけれど、いざ取ってみると出てきたのは大層な別嬪さんだった。
この店のオーナー、つまりおかみさんの眼がキラリと光ったのもアタシは久々に見たね。予定した金額より高値で客を取らすと決めたようだし。
……けどま、それもこの子をちゃんと戦力にできてからのお話ってことになるんだろうけど。
そんな皮算用を考えていると、今度はダイアンから口を開いた。
「構想が、あったんです」
「構想?」
鸚鵡返しにすると頷いて。
「転生小説、私だったらどう書くかなってずっと考えてて……それで最近、斬新な切り口を思いついたんです」
「へえ、聞かせてみてよ」
転生小説の概要ならさっき聞いた。ざっくり言っちまえば不幸な身空の女の子が別世界に転生してしあわせになるって話だ。
転生先で大成功して、息を飲むような美青年たちにも囲まれて、いかにも表のお嬢さん方が夢中になりそうな、ロマンチックなお話さね。
けど、ダイアンの書きたい話は、少し毛色が違うものらしかった。
「わ、私が書きたいのは、同時代転生のお話なんです」
「同時代転生?」
「はい……死んでしまった女の子が、時を遡ってもう一度同じ人生をやり直すんです。今度は絶対に失敗しないように」
ダイアンは言った。主人公はこの世界のどこかにいる公爵令嬢で、自分の勝手な振る舞いが原因で許嫁から婚約破棄を受ける。地位も財産も奪われ、挙句に暗殺者までけしかけられ、失意のうちに命を落とすのだと。
「気が付いたら赤ん坊の頃まで時が戻ってて、今度は絶対婚約破棄されないようにって、心を入れ替えるんです」
なるほどね。
転生本のフリークやってるだけあって、オリジナリティがあるじゃないの。
「しあわせになるのに、わざわざ別の時代や場所にいかないってのはたしかに新しいかもねえ」
「で、でしょう? アリソンさんもそう思ってくれますか?」
「もちろん、そう思うさ」
ずっとテンションの低かったダイアンが、にわかに活気づいた。
いいね。人間、好きなことを話してるときはイキイキするもんだ。
「じ、実はですね。さらに先の展開も考えてあって」
「是非聞かせとくれ」
「生まれ直した公爵令嬢は、婚約破棄を慎んで受けて、娼館にくるんです」
んん? 娼館?
「ちょい待ち、公爵令嬢様がそこまで落ちるってのかい?」
仮にも上級貴族の子女が、こんな生活に耐えられるわけないじゃないか。
「ええと、違って。その公爵令嬢は、あらかじめ娼館を買い取ってて、経営者側に回るんです」
ダイアンのネタ明かしによると、一度目の人生で婚約破棄された本当の原因は主人公の振る舞いではなく、主人公を陥れようとした婚約者側の陰謀にあるのだそうだ。
そのため、心を入れ替えた主人公がどう行動しようと婚約破棄の未来は回避できない。悩み抜いた末に、主人公は街の娼館を買い取って、オーナーとしてそこに君臨するらしい。
「破滅の未来を知って、あらかじめ手を打ったってわけだね」
「そうなんです」
「で、そっから先はどうなるんだい?」
「実は……」
熱っぽい口調で語ってくれるダイアンには悪いけれど、この先の展開はアタシにとっちゃ少々退屈なものだったね。
というのも、主人公は娼館の経営権を手にして娼婦たちと働いているうち、たまたまそこを通りがかった美貌の大公令息様に目をかけられる。そして彼女に一目惚れした大公令息様は、客としてでなく友として娼館に通いつめるようになり、最後は求婚してハッピーエンドに辿り着く。
よくは知らないけれど、こういうのご都合主義っていうんじゃないかい?
「ご、ご都合でもいいんですよ! 読者が求めてるのって、きっとそういう話ですから!」
むふー。
と鼻息荒くしてダイアンは言うけれど、ちょっとアタシには飲めないねえ……。
「……あのさダイアン」
「はい」
「娼館にはさ、ここでしか生きられない女たちが集ってんだよ」
きょとん、とするダイアンに言って聞かせることがある。
その転生小説とやらからポロっと抜け落ちている視点を。
「そんな場所をいきなり買い取って、好き勝手に経営ごっこなんぞ始めて、自分だけキレイな身体のまま理想の男と一緒になるだなんて、そんなお嬢様、アタシなら到底好きになんてなれないねえ」
「え……そう、ですか?」
そうだとも。
ダイアン、あんただってきっと嫌いになるさ。だって――。
「あんたは今、娼婦なんだよ。これから男に身を預けて、汚れて、借金を返さなきゃいけない。そんなあんたを尻目に、新しい女支配人が以前の婚約者より好条件の男を引き当てて、しあわせいっぱいにここを去ってみなよ。同じ女として、ひりつくような嫉妬の念を覚えずにいられるものかい」
ダイアンの顔色がさっと青褪める。
内容の不備より、自分の立場を思い出したんだろう。
そうさ。アタシらが感情移入できるのは許嫁に婚約破棄された可哀想な公爵令嬢の方じゃない。そのしあわせを間近で見せつけられる、ボロボロになった娼婦たちの方なんだ。
ダイアンの瞳に輝くものが生まれた。涙だ。
豊かな睫毛でも留めきれなくなって、頬を伝って尾を引いていく。
「……そう、ですね」
指先で涙を拭う所作に、ズキンと胸が痛んだ。
なんだいアタシともあろう者が、すっかり同情しちゃってるじゃないか。
気まずくなって、早口でこんなことを言った。
「それで、その大公令息様はどんな顔をしてんだい?」
「……え?」
「考えたことくらいあるだろ。ちょいと私に教えとくれよ」
是非を聞く前に、アタシは紙と鉛筆を持ってきた。
しょげるダイアンに鉛筆を握らせて、描くように促す。
「私、絵心なんて……」
「わかった。じゃあアタシが描く。こう見えて、お客の人相を覚えるのは得意なんだ」
有無を言わせずスケッチを始めると、ダイアンもおずおずと大公令息様の外見の特徴を口にし始めた。
ひとつ隠れた狙いがあった。ダイアンの話に出てくる男はおそらく、この子の好みを反映している。もしそうなら、その理想像に近い男を最初の客として宛がってやれば、きっと仕事に対する忌避感だって薄まるはずだ。
「えっと……額には、小さい頃に馬車事故で負った傷が残ってるんです」
対面から、いつしかこちら側に回ったダイアンが該当箇所を指差す。アタシはそれを上書きするように、絵そのものを修正していく。
「これって……?」
出来上がった似顔絵をまじまじと見て、アタシは息を飲んだ。
記憶にある見知った男――マークの顔が、そこには描かれていた。
◇◇◇
アタシ自身の身の上話。
それは本当に、よくある話。
蝗害が村を襲った。
食べるものがなくなって、飢えて、人が死んでゆく。
口減らしは、村が執った苦肉の策だった。兄弟姉妹のうち、もっとも大切な跡継ぎのみを家に残して、親たちはこぞって子どもを人買いに売った。
娼館に買われたアタシは、まだしもしあわせな方だったかもしれない。
身体と食事の交換は、本物の飢えを知れば天秤にすら乗らない。アタシは上に言われるまま身体を差し出し、代わりに命を繋いだ。
仕事に好きと嫌いは持ち込まなかった。だからだろうか。アタシは周囲に仕事熱心だと言われた。それが自分のためとはいえ、献身的に働けば結果は巡り巡って金となって帰ってくる。
いつしかアタシには、自分自身を買い戻せるほどの蓄えができていた。
その頃には、娼婦の仕事に対する嫌悪感は完全に失せていた。
娼婦は、儲かる。
それを知って、アタシは若さの限界までこの仕事を続けようと思った。
そんな矢先、良い人と出会った。長期間この稼業を続けて、身も心も汚れ切ってるはずのアタシに、それでもずっと傍にいて欲しいと心から願ってくれる、最高の男だった。
そんなアタシが、乏しい人生経験から引き出せる教訓はひとつ。
仕事は、がんばること。それがどんな仕事でも、がんばり続ければいつかきっと、しあわせにまで辿り着ける。
――ダイアンにも、そうなってほしい。
◇◇◇
「……とはいえ、ちょっとお節介だったかねえ?」
冒険者ギルドに併設された酒場。
そこで一杯やりながら、アタシはひとりごちる。
周囲に人の気配はない。というのも、今はまともな冒険者が出払っている時間帯だ。伝手を使って、ようやく連絡の取れたマークが指定したのが、今日にしてこの時間だった。
「やっこさん、なにやってんだか」
あのとき描いた似顔絵を広げて、独りごちる。
正直言って、これほど捕まえるのが困難だと思っていなかった。
マークと言えば、ロクデナシのフランクの腰巾着として有名だ。平時なら依頼も受けず、この酒場にずっと入り浸っているはず。
娼館でも見かけたことがある。買った女の子に酷い仕打ちしたかどで、フランクがおかみさんと派手にやり合ってる際に、仲裁に入った記憶がある。
「フランクの尻ぬぐい役なんかの、どこがいいんだかね……」
しみじみ言っていると、キイとスイングドアが開く音がした。
闖入してきた人物は首を巡らせ、アタシを発見して近づいてくる。
「アリソンか?」
「いかにもアタシだよ。日時はそっちが指定した癖に、随分と待たせたね」
空になったビールのジョッキを持ち上げて揺らして見せる。
手で女給を呼びつけて、マークはおかわりを注文した。
対面に座ると、テーブルの上で両手を組んで様子を窺ってきた。
「待たせて悪かった。立て込んでたんだ」
「へえ? 冒険者ギルドが持て余す不良冒険者の片割れがねえ」
「それだって、忙しいときくらいあるさ」
アタシの挑発を、意外にもマークは否定せずはぐらかした。
「それより用件はなんだ?」
「急かすねえ……少しは自分の頭で考えてみなかったのかい」
今度は効果覿面だったようで、マークが渋面を作る。
「……ダイアンのことか」
「ご明察。あんたとフランクに娼館送りにされた憐れな女の話だよ」
「俺は関わっていない」
真顔で言うけど、どうだかね。
フランクと共謀して悪さしたことなんて、数えきれないほどある癖に。
「仕事が上手くいってないのか?」
「有り体に言うなら、そういうことになるね。実は……」
アタシはここで、ダイアンの身に起きていることをつぶさに説明した。
客を取って、いざことを始めようって段になると暴れだすこと。そのせいでまるで商売にならないこと。器量の良さから今はお目こぼししてもらっているものの、いつおかみさんが強硬手段に出たっておかしくないということ。
「強硬手段というのは?」
「ウチには屈強な用心棒が何人かいてね。あんまりにもわがままが続くんなら、こいつらにわからせてもらうより他になくなるってことだよ」
「……そうか」
おやまあ。心痛を滲ませるような顔をして。
あんたのせいでダイアンがこんな目に遭ってるっていうのにさ。
「それで、俺にさせたいことっていうのは?」
急いでるのか知らないけど、話が早いね。
だったらお望み通り本題に入るとしようか。
アタシは腰に下げた財布から銀貨数枚を取り出し、テーブルに置いた。
マークはそれを数秒間じっと凝視し、顔を上げた。
「なんのつもりだ」
「これであんたを買う」
言って、マークの額にある小さな傷をじっと見つめる。
「どうもダイアンは、あんたみたいなのが好みらしくてね。一度そういうことを経験すれば、次から上手くやれるようになると思うんだ」
マークの顔にかかる影が、一段と濃さを増して見えた。
露骨に眉を顰めて、ゆっくりと左右に首を振る。
「そういうのは困る」
「困ってるのはこっちだよ」
履き違えている事実を、ちゃんと指摘しようじゃないか。
「あんたらが売った娘が、碌に働かない。これじゃ店は商売上がったりだ。可哀想な娘はなにもダイアンだけじゃない。他の娼婦たちの手前、いつまでも特別扱いなんてできないんだよ。売った側の責任として、せめて普通に働くようになるまで面倒を見るのが筋ってもんじゃないかい」
それに。
「場所なんて関係ない。自分に与えられた仕事をまっとうすること。これだけが、しあわせに辿り着くための唯一の道筋なんだよ」
そうさ。仕事を、自分の責任をちゃんと果たしさえすれば。
きっと誰かが見ていてくれる。その姿を、ちゃんと評価してくれる。
眼前の、ならず者同然の男に教えてやったつもりはない。
なのにマークは、ここで少し神妙な顔をした。
「……だったら俺は、しあわせになんてなれないな」
「違いないね。冒険者が、あのフランクなんかとつるんでるんだから」
女給が届けにきたビールをぐいと呷って、大仰に息を吐いた。
「あんたはちょうどいいんだよ。女に関しては捻くれてない。趣味までフランクと一緒なら、どんなにツラが好みだろうがあんたになんか頼んでない」
豪快にもう一度ビールを煽ると、マークの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。
「随分なお墨付きだな」
「実体験だからね。前にあんたを相手したとき、だいたいは把握した」
「ちょっと待て。そういう話はよしてくれ……」
心底困った顔をするもんだから、笑けてきちまったよ。
男ってのはどうして、他の男と比べられるのをこうも恐れるんだろうね?
「で、どうすんだい? 受けるのかい? 受けないのかい?」
足を組み、椅子の背に腕を回してすごむと、マークはテーブルの上の銀貨をじっと見つめたまま、ぽつりと言った。
「わかった。引き受けよう」
「よしきた」
「ただし……これじゃ足りない」
テーブルの上の銀貨に人差し指を置き、一枚ずつ滑らせて返してくる。
「あ? 今なんつった?」
「これじゃ足りないって言った」
こいつ……!!
「かわいい女と遊べて、小遣いまでもらえる。ごうつくばりのあんたは、この上アタシの足元まで見ようってのかい?」
瞼を眇めて睨みつけるアタシの視線を、正面からマークが受け切った。
「この3倍出せ」
「ざけんなッ!!」
ガッ、と音を立ててジョッキの底をテーブルに叩きつける。
一触即発の空気が、アタシとマークとの間に流れた。
中腰になって上から睨みつけるアタシを、マークは物怖じしない視線で見上げている。挑発に乗る気はないということか。それともいち娼婦の威圧など意に介すまでもないということか。そのどちらにせよ、腹に据えかねる態度なのは一致していた。
「あ、あのお客様……」
「ごめんよ」
揉め事を疑った女給まで出てきちゃったじゃないのさ。
気骨を折られたアタシは椅子に腰かけ直すと、なんでもないと言わんばかりに顔の前で手を振って、女給を追っ払った。
「わかった。出すよ」
「すまないな」
「あんたは地獄行きだよ、マーク」
せめてもの意趣返しを受けて、マークの顔に苦笑が兆す。
アタシは財布から銀貨を見せつけるようにして取り出し、ついさっきのマークと同じ要領で、恩着せがましく向こうへと押しやった。
「さっきの話だが……」
「あ?」
「ひとつ聞かせて欲しいんだ。仕事が、どうとか言ってたよな?」
今は無駄話の続きをしようって機嫌じゃない。
「交渉ごとが先だよ。都合がつく日時を教えとくれ」
「週明け以降ならいつでも構わない。なにが起きても必ず出向く」
当然。そうじゃなきゃ割に合わないじゃないのさ。
ともかく、口約束とはいえ契約締結だ。なんのかんの言って、肩の荷が降りた解放感はアタシにだってある。
「しあわせの秘訣は、与えられた仕事をがんばること」
「ダイアンも、そうか」
「きっとみんな同じさ。なにもせずにダラダラと日々を消化して、このままじゃ地獄行き確定の今のアンタだってね」
皮肉の棘を投げたものの、それほど効果はなかったらしい。
殊勝さとはまた別の、真面目腐った様子でマークが口を開いた。
「なら、ひとつ教えてもらえないか。ダイアンの身体は――」




