4 進むべき道
「ディッケル中尉他1名、入室許可を願います」
『入れ』
声とともに空気の抜ける音が廊下に響き、目の前の扉が開く。
会議室には王太子ハインツ、バイエルライン大将をはじめとする征討軍と第4艦隊の司令部要員に加え、ビューロー中将、ガーラント少将ら分艦隊司令官とその高級幕僚が勢揃いしていた。
将官、佐官がずらりと並んでいる姿は、一中尉に息苦しいほどの威圧感を与える。それに対抗するために、ディッケルは腹に思い切り力を込めなければならなかった。
「『ダンツィヒ』艦長リリエンクローン中佐をお連れしました!」
「うん、ご苦労」 対照的に、歩み出たハインツは優雅な動作で敬礼すると、緊張で強ばっている白髪の老中佐に微笑みながら握手を求める。
同い年の青年がこれほど堂々と振る舞えることに、ディッケルはいつもながら感嘆の意を禁じ得ない。
余裕のある挙措は若さを隠すための仮面であるにせよ、その姿に威風とでも言うべき雰囲気すら漂っているのは王家の血筋のなせる業だろうか。
「疲れているところをわざわざ来てもらって申し訳ない。どうぞ座ってくれ」
着席した全員の目の前にコーヒーか紅茶が置かれるのを待って、議長役を務めるシュリーフェン中将がおもむろに口を開いた。
「それでは始めよう。クライスト大佐」
「はっ」
長身の情報参謀は立ち上がると、会議の参加者に手元の資料を開くように告げた。
「つまり、我が軍は負けたのだな」
「その通りです」
1時間に渡る艦隊情報部の報告を、シュリーフェンが1文に纏めてみせた。
国王オトフリート三世の親率する迎撃軍は11月28日、ストラスブルク星系においてロンバルディア軍と交戦し、大敗を喫した。艦艇600隻、兵員30万名のうち少なくとも半数が失われ、国王陛下、参謀総長ナウマン上級大将はじめ将兵の大半は行方不明。
直接の敗因は、敵の戦力を読み違えたこと。
我が方の近衛、第1、第3の3個艦隊に対し、敵の指揮官ブオナパルテ元帥は実に7個艦隊を集中。前情報を2倍以上も上回る戦力の前に、グリューネラントの鬼神のごとき戦闘力も抗い切れなかった。
なぜ我が軍の哨戒網は敵の兵力を3個艦隊と報告したのか、それは解明されなければならない謎だが、しかし緊急の問題でもない。
最優先の課題は現状の正確な把握であり、それを基に我々の行動すべき道を探ることであった。
それまで腕を組み押し黙っていたバイエルラインが手を上げ発言を求めた。
「現在のロンバルディア軍の戦力配置を説明してもらいたい」
首肯したクライストは、判明している限りのものだと前置きしてから手元の端末を操作した。
微かな電子起動音とともに、会議室中央の3Dスクリーンに星図が出る。王都周辺からロンバルディアの国境宙域にわたる航図だ。
「青い矢印はグリューネラント艦隊を、赤い矢印はロンバルディア艦隊を示しています」
クライストの説明に、立ったまま会議に陪席していたディッケルはやや身を乗り出して航図を見つめた。
王都星域のすぐ隣に我が艦隊の印がある。その反対側、5個の赤い矢印が集中して青い矢印を包囲している場所が、強調するように白く点滅している。
「ストラスブルクの会戦後、ブオナパルテ元帥は主力5個を率いて王都目指し輪環航路沿いに進撃。これを王都駐留の第2艦隊がエイストラ星系にて迎撃、12月2日より戦闘が発生しています」
大佐が再び端末に手を触れると、王都の回りに散在している小さな赤い矢印が光り出した。
「1個艦隊は輪環航路を避け、エイストラ星系を迂回してシャルロッテンブルク星系外縁部に達し、航路を封鎖中。我らが遭遇したのはこの支隊と思われます。残り1個艦隊がストラスブルクに残留していますが、これは部隊再編成と戦後処理を行っていると推測しています」
つまり、王都はすでに半ば敵の手中にあるということだ。
敵との戦力差は約3倍、それも第2艦隊が戦力を保っている場合の数字だ。
それと承知の上で敢えて死地に飛び込むべきか。最終的に決断するのは弱冠22歳の青年である。
「殿下、何かご質問は……」
シュリーフェンに水を向けられ、ハインツは軽く頷くと正面の下座を向く。
「リリエンクローン中佐」
「はっ……」
オブザーバーとして呼ばれたはいいが、仕事もなくひたすら縮こまっていた老中佐は、弾かれたように顔を上げた。
「貴官はエイストラの防衛戦に参加していたな。戦いの様子を話してくれ」
「は、かしこまりました」
巡航艦ダンツィヒは第1艦隊に属し、ストラスブルク星域会戦に参加。損傷しながらも辛うじて戦線離脱を果たした。
その後第2艦隊の指揮下に入りエイストラ星系の迎撃戦に加わるが、戦艦の砲撃を受け大破し後退を余儀なくされた。
機関と主砲の半分は無事だったため応急修理ののち第4艦隊への強行連絡任務を命ぜられ、12月5日早朝にエイストラを進発。ところがディー・プファルツ星系外縁部でロンバルディアの別動隊に捕捉され、必死に逃げ回っていたのだった。
「私がエイストラを離れた3日前の時点では、第2艦隊のビルケンシュトック提督は陣形を保ち善戦しており、司令部も健在でした。勝てぬまでも、簡単に敗れはしないでしょう」
「わが艦隊が来援するまで持ちこたえている可能性はあるか?」
「十分に」
大きく首を振るリリエンクローンの表情には熱意がこもっていた。
考え込む王太子に、黒髪の情報参謀が声をかけた。
「おそれながら申し上げます、殿下。わが艦隊の価値をお考えください。我々は今や王国軍唯一の機動戦力です。我々が潰えれば、国土奪還の道は絶たれます。軽挙はお慎みくださいますよう」
「待て、大佐!」
激情家のビューロー中将が机を激しく叩き声を荒げた。
「では、第2艦隊は見捨てろというのか。孤軍奮闘する味方を切り捨てるのが我が軍の流儀か!」
「大局を見据えろということですよ、ビューロー提督」
いきり立つビューローを、艦隊参謀長のオイゲン中将がやんわりと制した。
「不利を承知で第2艦隊が撃って出たのは王都陥落までの時間を稼ぐため、そして我が艦隊に情報を得るための時間を与えるためと考えられます。本来ならば王都を放棄して我々と合流し再起を図るべき状況ですが、ビルケンシュトック提督はそれすら危険と判断したのでしょう」
勇将、猛将揃いの第4艦隊の中で「一番の良識人」と称されるだけあって、おっとりした気性ながらオイゲンの論法はビューローの反論を許さない。
言葉に詰まった若い部下を見て、バイエルラインが助け船を出した。
「だがな、オイゲン、我々が戦後処理すら後回しにして帰投の途中だとはビルケンシュトック提督も考えていないだろう。提督らを救える可能性があるのならば進むべきではないか?」
反論したのはオイゲンではなくクライスト大佐だった。
「客観的に分の悪い賭けであることには違いがありません。閣下とビルケンシュトック提督が懇意であることは存じておりますが、どうか私情を交えることはなさらぬよう」
しまったとでも言いたげにオイゲンの唇が歪んだ。ディッケルも直言を恐れぬ情報参謀のミスに気付いた。クライストの物言いは明らかに上官の逆鱗を逆撫でするものだった。
「そのような私人としての発言ではない。見損なうな!」
さすがに激したバイエルラインがさらに語を継ごうとしたとき、大きな音とともにテーブルが揺れた。
衆目が音源に集まる。
その視線の先で、シュリーフェンはすました顔で軽く手を払ってから口を開いた。
「いかに忌憚なき意見を求める場であっても、発言に際し最低限の礼儀は必要であろう。クライスト大佐、謝罪せよ」
「はっ、言葉が過ぎました。申し訳ありません、バイエルライン閣下」
頭を下げたクライストに対し、出鼻を挫かれた形のバイエルラインもあっさりと頷いた。もともと他人の礼儀に頓着するタイプの男ではない。
鮮やかに争いを収めてみせた赤毛の討伐軍参謀長は、続いて上座のハインツに向き直った。
「さて、時間もありません。殿下、ご決断を」
十数対の視線が王太子を見つめ、彼はそれを遮るように目を閉じ呼吸を整えた。
彼の肚の内は事前に聞いており、今の議論が彼の意見を変えることはなかったろうとディッケルは思う。
しかしそれを言葉にするのは、敵へレーザー銃の引き金を引くのとは別種の勇気がいる。
それは第2、第4艦隊合わせ20万名の生命を左右する決断なのだから。
緊迫した10秒ほどの後、目を開けたハインツは翡翠色の瞳で自分を見つめる士官たちを見返し、慎重に言葉を紡ぎ出した。
「友軍の苦戦を見捨てることは、私にはできない。わずかでも救える可能性があるなら、それに賭けたい。もちろん、我が艦隊が危険にさらされた時はただちに撤退する。敵は強力であり、困難な戦いになるだろうが、我が艦隊には切り抜けるだけの技量と経験がある。そう信じていいだろう?」
否定の返答を求めていない問いかけに、ある者は大きく、ある者は小さく頷いた。
もう一度、会議室の中を見回すと、うら若い王太子は決然と命令を発した。
「艦隊を二分する。陸戦部隊および後方支援部隊は護衛を伴い後退せよ。艦隊主力は第2艦隊救援のためエイストラ突入を目指す。ただちに進発の準備をせよ!」