九龍城は崩れゆく
九龍城はそもそも香港の海岸にある、塩の産地に過ぎなかった。塩の産地が塩の産地を防衛する防衛の砦となって、英国による香港租借が行われるとやがて、九龍城は解体された。解体された九龍城がどうして再興したかには複雑な経緯がある。九龍城には1945年当時日本による香港占領が終了後、一度は立退によって解体された九龍城に住民が集まり過去のような賭博場やアヘン窟の溜まり場とかしていた。中国側は支配権を主張した。対して英国側は英中の信託統治の記念庭園化を提案した。だが中国はこの提案を認めなかった。中国はこの提案を受けて再度、中国政府の香港駐在員が使用する官邸にするべきだと主張を行ったため、交渉はこう着状態位に陥り、自体を重く見た香港政庁は、やはり不法滞在者の立退を提案した。住人達は抵抗をした。立退に対し、暴動が勃発し、英国領事館が攻撃されたのち、英中関係の悪化を恐れ、立退計画を中止した。つまりこの段階で九龍城は政府によって干渉されない。無秩序の代表となった。
英国による釈領が続く香港で香港側は英国による九龍城の浄化を期待した。しかし、九龍城の歴史の経緯から住人達は浄化の抵抗として助けを中国側に求めた。
1984年の中英共同宣言で中国への香港返還が決まった。そして1987年に政府が取り壊しを公式に発表した。そして1993年清朝の衒門をのこし全ての外壁と建物が打ち壊された。
城砦福利会は1963年の立退に反対するための結社として誕生した。最もこの当時に権力を行使していたのは4つある秘密結社であるが。
城壁福利会は九龍城を古来からの中国の領土であると間接的に宣言し、中国の支援を期待した。実際に英国との関係悪化を恐れた中国が表立って支援を行うことはなかったが、中国からの支援が行われていたと住民達は語っている。そしてこの団体は極めて政治的な団体であることも述べる。彼らが行っていたのは不動産取引の承認。無政府状態の九龍城で不動産の契約の担保を行い、そのために得た金銭で九龍城内の福利厚生とインフラ整備を行なっていた。また、近年では九龍城内でのイベントも担っている。この団体は不法取引やアヘンが横行する九龍城内において、台湾政府等の公的組織などから最も信用されていた団体であったとされる。
最盛期とされる1980年台中期ごろには35000人を超える住人が集まっていた。
賭博場の最盛期とされる1950〜60年台は賭博場が27軒、アヘン窟19軒、売春宿30軒以上、酒の密輸入業者3軒、盗品を扱う業者3軒、無許可の雀荘15軒、犬肉店20軒、ポルノ映画館5館、闇金融業者4軒、麻薬製造工場4軒があったとされている。
(あくまで参考資料)
「う…うぇっ…」
生ゴミの匂い、排泄物の匂い、住人が薫く香の匂い、プラスチックの燃える匂い、とにかく大多数が不快な匂いがミックスされて、臭いの中でも最上級の悪臭が鼻を刺す。
それが半分密室状態の中で循環されていて、最上級の悪臭は密室をめぐりめぐって最上級の濃縮された悪臭と表現したい。
ここは九龍城。
城といっても、西洋の宮殿のような、それとも日本の城のような立派な代物ではなくて、九龍城は世界最大のスラム街である。大きさは縦に1キロ、横に1キロの綺麗な正方形。そこに14階建てのビルが800軒近くぎっしり詰まっている。
私は最初、未来都市を想像していた。そんな狭い区域の中で800軒もビルが並んでいるとは、なんて大都市なんだと。アメリカの摩天楼よりも発達しているではないか。
しかし、殆ど勘違いであることをすぐ知った。800軒に近い中層ビルは全てが違法建築されたビルだった。それもそのはず、前提がスラム街なのだから、政府の建築基準やらの認可はここに一切存在していない。建築基準はとても億劫な規制の一つと私個人は感じていたが、建築基準が完全に取っ払われたスラム街の中層ビルは、意味不明なビルばかりだ。
はじめて訪れたにしても、この激臭の中で3万を越す人々が暮らしていることに改めて驚愕させられる。
目の前の景色はレトロで薄暗い街並みが広がっていて、光が一切差していない。
時刻は正午過ぎ。太陽は真上にあれど、光は一切さささない。
息苦しさを私は感じている。九龍城の住人は完全な自由を感じていようと、息苦しさがとにかく心を占拠している。天井からは濁った水滴が垂れる。複雑に入り組んだ水道管はいまにも破裂しそうだった。電気設備のパイプだろうか、火花が散っていた。電球が点滅していて、ホラー映画のワンシーンを眼前に映す。風景に意識をとられていると、喉元にひんやりとした硬い感触を察知した。察知では対処しようがない冷たいナイフ。気配を感じることもできずに、となりには数人の男達が私を囲んでいた。武術や柔術を学んでいたらよかっただろうか。心得はなかった。あったとしても、彼らに太刀打ちすることは叶わなかっただろう。彼らみたいないわゆる襲撃、強盗を家業とする者共には東洋武術の心得があると、九龍城を訪れる前に忠告を受けた。
何も存在しない上で、全てが存在していると。それが九龍城のモットーらしい。武術の達人が無償でならず共達に武術を教えていると風聞で聞いた。心得がなかったことで、その時ばかりは救われたのかもしれない。冷たいナイフが喉元に当たる。素直に私は両手を上にあげた。敵対の意思がないと表明し、カバンの中身を大人しく差し出す。少量の台湾ドル、小さなカメラ、一本のペンと一冊のノート。身分証明にかかわる大切なものは宿泊先のホテルに預けてある。彼らはせがむようなこととはせずに、そそくさとカメラと台湾ドルとカメラを押収し、撤収していった。彼らの所業はとても素早く、稼業であるように思えた。要するにプロの犯行であると。あきらめて、探索を再開しようとした矢先のことだった。目の前に私の小さなカメラがぶらりとつりさがっていた。不思議に思って首を上に向けてみると、女の子が頭上の壁から伸びた街頭の上にしゃがんでいて、右手にカメラの首輪を持ちカメラを吊り下げていた。不意に目が合う。綺麗に手入れがなされた長い黒髪。まつ毛が人よりも発達していて、透き通るような大きな黒目を強調していた。口角が少し上がっていて、薄ら笑みを浮かべている。服装はニット素材のワンピースで、九龍城の住人とは思えないくらいにきれいな服だった。それは彼女の細身が強調されていて、ひたすらに美しい。彼女はいわゆる美人の部類にあたるのは間違いなかった。それも、とびきりの。彼女が口を開く。
「お兄さん。CACIOのカメラ使ってるんだ。ねえ、もしかして日本人?」
なぜか流暢な日本語だった。彼女に上から見下ろされながら問われていた。腐って混ざった腐卵臭だったはずの匂いは彼女の芳香で、脳に響くような甘美な匂いに変わっていた。足先まで続くニットワンピースが色気を演出していた。九龍城の土地のせいもあるだろうが、全てが浮世だった。それでも私は必死に平静を保った。今は取材中なのだから。
「あぁ、日本人だよ。君がカメラを取り返してくれたのかい。君にそんな力があるようには見えないけど、どうゆう魔術を使ったんだ、一体」
「魔術じゃないよ、わからせただけさ。私はこの城の女王だから。あんなチンピラどもでも言えばわかる」
淡々と彼女は話す。
「これは君のカメラ?返してあげるけど、お礼はあるのかな?」
「チンピラと手を組んで、商売でもしているのか?悪いけど、もうそのカメラは大丈夫、あげるよ、本当に必要ないんだ。売ってでもして、明日の生活に生かすといいさ。」
あまりにその少女が美人だったから少し見栄を張った。しかし、少女には私が精一杯はった見栄を凌駕する背景を持っていた。
「聞いていなかったのか。耳をかっぽじってよく聞け。私はここの女王なんだ。この九龍城の女王。困れば住人が助けてくれる。こんなものは本来必要ないし、助けてやる義理も本来はない。私がお前を助けてやったのは単なる興味だ。祖父から教わった日本語を使う時がようやく来たっていう興味。かっこつけてもいいけど、お前死にたいのか?お前が次にチンピラに絡まれた時、お前は支払うための残機がゼロでゲームオーバーになる。そしたら文字どうりの死だ。お前に残機をひとつ授けてやるって、こんなに親切なことはないぞ。わかったらさっさとカメラをうけてとって、私についてこい。」
「は、はぁ。ありがとうカメラは受け取る。感謝もしているし、どうやって感謝を返したらいいかわからない。君個人に聞いてみたいことはたくさんあるし、まず祖父に習ったとて、どうして日本語がそこまで流暢なのかは興味がある。そして、カメラを取り返すことのできる女王の権力にも。ただ、私には私の責務があるんだ。残機を戻してくれてとても助かった。ここでの冒険もう少ししなければならないんだ。ありがとう。さようなら」
カメラを受け取ろうとした時、カメラが手の届かない位置まで上がっていく。
「だめだ。お前は私についてこい。それで感謝を返したってことにしてやる。いうことが聞けない駄犬も面白いものだな。普段、ここの奴らは何か言えば二つ返事で聞いてもらえるものだから、こうも納得してくれないやつは珍しいどころか、いなかった。日本人だから興味を持って話しかけたに過ぎなかったけども、気に入った。上まで案内してやるからついてこい。」
「だから私には私の責務があって…」
「お前に責務はあっても、お前にその責務を果たすための権力も能力もない。そのための全ては私が握っている。さぁ来い」
「なんで全部を握られてるんだよ。嫌だ。誰がついていくか」
彼女は私の後ろを指さした。彼女の指先には先ほど私を襲ったチンピラ達が壁から半身を出してこちらの様子を覗いていた。彼らの右手には相変わらずナイフが握られていた。どうかんがえても少女とチンピラがグルとしか思えなかったが、私に拒否権がないことは間違いがなかった。