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ひまわりの彼女

作者: 木漏れ日
掲載日:2018/08/09

 突然だが、僕の夢は、現実味を帯びていれば帯びているほど予知夢に近いものになる。だからといって、その予知夢が自分を救うわけじゃないし、本当に、些細な予知夢なのだ。


 だが、子供の時に見た夢。それは、現実と幻想の境目のような場所に存在するものだった。


 男性諸君の心を惹きつけては止まない、女の子の存在。


 肩にまで届く、しなやかで綺麗な髪。頭に麦わら帽子を乗せて、その白いワンピースをなびかしている。

 焼け死んでしまいそうな日差しの中、びっくりするほど白くて、つやつやした肌をもつ。


 ひまわり畑をバックに笑う彼女は、僕に何かを話していた。


   *


 あぁ、疲れたな。学校から帰ってきた僕は、そのままソファに崩れ落ちた。

 誰だ、大学になったら遊びに遊んで楽しくなれるなんて言った奴は。ここに、入学以来友達が一人もできない奴がいることを知ったらなんて言うんだ。


 なんて、虚しいことを考えては、カレンダーの日付に斜線を入れていく日々。嬉しいことなんて何もありゃしない。……いや、一つだけある。そういえば、明日から夏休みだ。まぁ、僕には関係のものであるけどね。


 ただ、教室で一人孤立するよりかは、傷はえぐられにくいだろう。そう考えれば、悪くはない。


 それじゃあ、何もない空白の夏休みへ、出発進行、おやすみなさい。まぶたを閉じれば、眠気という名の急行列車が、僕をすぐに迎えにきてくれた。


 その時の夢の中である。僕は、所謂"ひまわりの彼女"に出会った。落ちこぼれで、なんの取り柄もない僕に、彼女ははにかんで笑ってくれた。


 嬉しかった。本当に嬉しかった。でも、同時に悲しくなった。彼女は存在しない、空想上の生き物。どうあがいても、会うことはできない。


 普通の人ならそう思うだろう。夢の中の彼女に恋するなんて、バカバカしいにもほどがある。


 でも、この時は状態が悪かった。僕の脳は、夏休みと、かなりの確率で当たる予知夢を組み合わせ、彼女の存在を現実世界に引っ張り出した。


 夢が終わると同時に、敷布団から起きて、彼女に会うための計画を練る。どこにいるか? 分からない。でも、会えると、僕の脳は誤作動を起こしまくっていた。


 翌日、俺はバイトでためていた金を財布に押し込み、高校の時の制服を着て家から飛び出した。


           *


 東京から、孤独な僕が目指していたところは、長野県だった。有名なひまわり畑があるということを、ネットサーフィンで知り(というか、ここしか知らない)、こうして向かっているという訳だ。


 何時間か電車に揺られ、お目当ての場所に到着した。本当に、あたり一面のひまわり。眩しくて、目を瞑ってしまうほどだった。


 一通り探して、結果は"いない"というもの。まぁ、そうだよねって心の中で落胆し、こんな事をマジに思ってる自分が惨めになった。太陽の日差しが、より強くなる事を感じた。


 日陰のベンチで休んでいたその時、誰かが話しかけてきた。


「お兄さん、こんなところで何してるの?」


 なんと、探し物が、そちらの方から見つかりにきてくれた。


 肩にまで届く長い髪。少し大きめの麦わら帽子。白いワンピースをなびかせ、ひまわり畑をバックに笑っている。まさしく、僕の夢がそのまま現実に出てきたような……


「お兄さん? どうかしたの? もしかして、脱水症状ってやつかな? それじゃ、これ」


「これって……」


「もしかして、飲みかけじゃ嫌だった?」女の子は少し心配そうに見つめてくる。


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 ――間接キスになってしまうんだろうな。正直、ここまでは望んでいなかった。ただ、そういう存在が世界にはいて、僕みたいな人にも笑ってくれる人がいる事を信じたかったのだ。


 僕は、水を一口飲み、ペットボトルを女の子に返した。


 そうすると、ひまわりの女の子は僕の隣に座り、足をパタパタさせながら話しかけてきた。


「お兄さん、こんなところに何しに来たの?」無邪気に聞いてくる。


「そりゃあ、ひまわり畑を見に来たんだよ」流石に、君に会いに来た、なんてキザな言葉、僕の中からは出てこなかった。出す勇気もなかったけど。


「そっか……」何故か彼女は悲しそうに、そう答えた。その、応答、仕草、全てが僕の好みだった。


「そういう君は、何をしに来たの? もしかして、スケッチとか?」スケッチブックを持っていないことは、一目で分かる。僕の脳は、日差しにやられていかれたのかもしれない。


「違うよ。ある人を待ってたの」


「ある人?」


「うん。私がまだ小さい頃、約束したんだ。あの時は、まだ好きって感情もわかってなかった。――とにかく約束したんだ。"10年後の今日、ひまわり畑で会いましょう"って」


「とすると、何年の約束だ?」


「多分、2000年に交わした約束だね。私が、まだ4歳の時だったから」


 必死に、僕は記憶を探ったが、それらしい記憶は見当たらなかった。残念だ。


「それで、その人とは会えたのかい?」


「ううん、まだ会えてない。多分、あっちも忘れちゃってる」


 こんな綺麗で、かわいい子の約束を破るなんて、なんて奴だ。嫉妬より先に、怒りが湧いてくる。


「でも、いいんだ」彼女が続けざまに話す。


「私は今日、あなたという人に会えたから」


 ドキッとした。いや、僕はロリコンじゃない。でも、この発言は流石に想定していなかった。


「それは、どういうことかな?」


「ふふん、秘密。お兄さんも、たまには頭を動かさなくっちゃ」


 ロリコンじゃない。そう自分に言い聞かせても、僕はこの子に夢中になっていた。何もかもが、僕の好みに一致する。


 あたりに、5時の鐘が鳴り響く。それは、僕の頭の中で反響し、ずっと鳴り響いていた。


「もうこんな時間だね。そろそろ帰らなくちゃ」パタパタさせていた足を地面に乗せ、彼女は僕の前に立つ。


「お兄さん、楽しいひと時をありがとう」


 彼女は、ひまわり畑に消えていった。


           *


 アパートに帰ると、家の中は埃臭かった。カーテンの間から西日が差し込み、舞っている埃を鮮明に映した。

 何ににも無執着な僕に、初めて欲しいと思ったものが出来てしまった。


 彼女は、またあそこで約束の人を待ち続けるのだろうか。10年後の約束を忘れたそいつが、会いにくるのを信じ、あの暑い中を、待ち続けるのだろうか。


 もし、会いにこなかったら? あまりにも、彼女がかわいそうじゃないか。


 好きになってもらうなんて、贅沢は言わない。ただ、僕はこの夏を彼女にあげようと思った。


 こんなロクでもないぼくに、向けてくれる笑顔が失われないために。


           *


 翌日、バイトの金でまたひまわり畑に行った。昨日よりも、数時間早く。


 彼女は昨日と同じように、日陰のベンチで足をパタパタさせながら、"ある人"を待っていた。


「お兄さん、また来てくれたの?」嬉しそうに、彼女は笑った。この笑顔を絶やしてはならない。


「あぁ、この通り、僕は暇人なんでね。友達もろくにいない、社会の落ちこぼれってわけさ」


「そんなこと言わないで、お兄さん。きっと、お兄さんのために笑ってくれる人が、世界にいるはずだから」彼女は懸命に僕を励ましてくれた。


 その存在が、ひまわりの君であることを知ったら、どんな反応をするだろうか。


「お兄さんは、今どんな勉強をしているの?」


「どんな、か。僕はね、もともと文系脳なんだ。日本語や暗記が得意って行った方が分かりやすいな。しかし、あの時の僕は常に劣等感と嫉妬に巻かれていて、ライバルと同じ理系の方に進んだんだ。少しでも、自分をカッコよく見せたかったのかもしれない。けど、それは失敗だった。そしてこんな体たらくって訳さ」


「それは、なんとも言えないなぁ」返答に困った彼女がなんとか出した解答は、まさにその通りなのだろう。"自分の不幸"をいくら他人に語っても、その時の苦しみなんか、自分以外に分かる訳ないのだから。


「お兄さん、今日はいつまでここにいられるの?」


「そうだなぁ。昨日と同じ、5時くらいまでかなぁ」


「そう……」


 もしかすると、彼女は昨日の5時以降、別の場所で待ち続けていたのかもしれない。


「お兄さん。ほかに、もっと楽しい話ない?」


「そうだね、僕の失敗談ばかり話しても仕方がないか。そういえば、僕の数少ない友人に……」


 友人というのは、勿論いない。これは全部作り話だ。でも、大切なものを守るためには、少しくらいの嘘は許されるだろう?


 時間は流れ、あっという間に5時の鐘。終わりを告げる鐘だ。


「お兄さん、今日もありがとう。また、明日も会えるかしら?」


「きみがそう思えば、多分会えるんじゃないかな」


「多分じゃなくて、絶対だよ。お兄さん」


 昨日と同じように、彼女はひまわり畑に消えた。


 次の日も、次の日も、僕らは同じベンチで話をした。ある時は、僕が家から色鉛筆とスケッチブックを持ってきて、一緒にひまわりの絵を描いた。


 彼女の提案で、互いに描いたものを交換することになった。日頃から絵を描いているのか、彼女の描いたものはかなり出来が良かった。それに比べて僕は……まぁ言う必要もないだろう。


 例の"あの人"が来る気配は全くなく、二人の時間は日に日に増えていく。


 幸せな時間だった。


 帰りの階段を降りている途中、僕は体を強く押された。


 転げ落ちた。ひどく頭を打った。薄れゆく意識の中で、僕はひまわりの絵が血で汚れないよう、必死になっていたという。


           *


 目が覚めた時、僕は病院の中にいた。母親が、僕に泣きじゃくってきた。


「僕は、あの後どうなったんだ?」母親におそるおそる聞く。


「意識が戻って本当に良かった。お母さん、もうダメかと思ったよ」母は嬉し涙をぼろぼろと零した。


「本当に、頭の打ち所が良かったです。普通に、死んでもおかしくない状況でした」近くにいる医者が言う。


「この後、一週間ぐらい様子を見て、何もなかったら退院しましょう」


「分かりました」


 一週間という言葉に、猛烈に反抗を感じた。眠っている時も、ずっと握り続けていたのは、血で汚れた一枚の紙。何が書いてあるかも、分からない紙。


 僕は二ヶ月もの間眠っていたらしく、夏はとうに終わりを告げていた。


 一週間後、僕は無事に退院を果たし、学校生活に戻っている。僕を押したやつは、単に僕の事が気に食わなかったらしい。そいつは無事に逮捕された。


 僕が殺されかけた事が学校に知れ渡り、それがきっかけで友達ができた。きっかけというものは、よく分からないものだ。


 さらに二ヶ月が経ち、世間はクリスマスで浮かれ始めた。友人からの誘いもあったが、僕はその全てを断った。気乗りしなかったのだ。


 クリスマスは、一人アパートで、白くなった窓に絵を描いては過ごした。数ある植物の中で、なぜかひまわりだけを割とうまく描く事ができた。


 さらに数ヶ月後、五月の中旬。僕は洋服店の前で立ち尽くしていた。飾ってあったのは白いワンピース。なにかを思い出しそうで、むず痒かった。


 友達もできた。学力も上がった。彼女は……できていないが、人生が充実し始めた。


 なのに、僕の心は満たされない。容器には穴が開いていて、入れたそばから流れていく。


 そして8月。僕が病院送りにされた、忌々しき月。今年は、家でゆっくり過ごすと決めていた。


 そこで、一本の電話が入る。手に取ると、それは家族からの電話だった。


「週末、長野のひまわり畑に行かないか?」父の声だった。


「なんで、そんな所に? うちの家族は、そういうものに興味がない集団じゃなかったっけ」


「いやぁ、夏になって、一年前のことを思い出してだな。お前が毎日通っていたという場所が気になったんだ」


「僕が毎日、ひまわり畑に?」


 頭が急に痛み出す。間違いない、僕は何かを忘れている。


「ごめん、ちょっと無理だ。バイトの予定が入ってて、行けそうにないや」痛む頭を我慢しながら、なんとか言った。


「そうか、残念だな。たまには休めよ、じゃあな」


 週末に、バイトなんて入っていない。自分の記憶とは、ひとりで向き合いたかった。


           *


 電車を乗り継いで、長野ひまわり畑に向かう。近づくにつれて、僕の頭が痛み始めた。


 ひまわり畑に着いた。ここに、僕は重大な忘れ物をしているらしい。


 何かないものかと、ひまわり畑を一周した。何もない。何か、僕の記憶に結びつくものはないかと探していると、冷たい風がびゅうと吹く。


 なんだったんだと思い横を向くと、ひまわり畑に入っていく、小さな道があった。さっきまで気づかなかった自分に疑念を持ちつつ、道に入っていく。


 すると、そこにあったのは日陰のベンチ。使用者があまりいないのか、木製のベンチは苔むしている。何故か一人分だけ、苔むしていない場所がある。僕はそこに座り、水筒の水を飲んだ。


 足に何かが当たった。下を向くと、缶箱があった。最近捨てられたのだろうか、全く錆びていない。


 開けると、大量のひまわりの絵が入っていた。日付も書いてある。2009年の8月2日、3日、毎日書いていた……よう……だ……


 思い出した。僕は、この場所で毎日彼女に会っていた。肩にまで届く長い髪。頭には麦わら帽子を被り、白いワンピースをなびかす、"ひまわりの彼女"に。


 そして、この絵が意味するものは……


 僕は泣き出していた。ただただ大量の涙を流した。涙で紙が濡れ、しわくちゃになっていく。


 この場所に、彼女は毎日通ったのだろう。それが、"あの人"のためなのか、"僕"のためなのかは分からないが、彼女は待ち続けたのだろう。


 僕が倒れた後も、一人で、絵を描きながら。


 ひまわりの絵に書かれた日付は、一般的な夏休みの終わりまで続いている。


 僕が、今からやること。それは一つしかない。これから毎日ひまわりの絵を描き、この缶箱の中に入れること。それで何も報われないことは分かってる。その時の彼女の寂しさを和らげないことも。


 これは、僕の一方的で、自分勝手な贖罪だ。


 毎日描いた。彼女の絵には比べようもないヘッタクソな絵を。描いては缶箱にしまって、午後7時になるまで彼女を待った。


 最終日、贖罪が終わってしまう日。いつものように、彼女の絵に近づこうとひまわりを書いていると、僕は話しかけられた。


 まぎれもない、それは彼女だった。


 なんて言えばいいか分からなかった。こちらは約束を破ってしまったのだ。ごめんなさいの一言も、喉から出す勇気がなかった。


「お兄さんの嘘つき」ぶっきらぼうに言い放ち、僕の隣に座る。


 当たり前だ、嫌われても仕方ない。


「でも、もう一つの約束は守ってくれたんだ」


「へ?」


「缶箱の中の絵の日付をよく見てごらん、お兄さん。私が"あの人"と約束を交わしたのは、いつだったっけ」


 彼女が"あの人"と約束を交わしたのは2000年だ。そして、絵の日付は2009年……え?


「お兄さん。約束を守ってくれてありがとう」


 ――その時、彼女は僕に口づけをした。五年の身長差は大きく、彼女は少し背伸びをしている。



 ひまわりの彼女は、僕の覚えがところで、僕と約束を交わしていたらしい。


 いつ約束を交わしたのかを聞くと、彼女は僕にこう言った。


「お兄さんは忘れっぽすぎる。子供の頃を、よく思い出してみて」


 そのあとは、二人でひまわりの絵を描き、手を繋いで一緒に帰った。


 これは、不思議なひまわりの彼女と、忘れっぽい僕の、淡い夏の記憶。


 


 




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