騒乱の魔女「アミリーナ・リリーズン」
「アミリーナって魔女、知ってる?」
「あん? まあ、知らねえことはねえが」
ムームーの引く荷車の上で、街で聞いた名前を問い掛けた。
イヴォークは手綱を左手に持ちながら、少し考える様にあごを摩っている。
「確か、あれだ。アルマスのずっと北西の街……なんつったかな。まあ、そこで魔女狩りの発端になる事件を起こしたとかいう魔女だったはずだ」
「確か風の属性の魔女って話だったわよね」
「詳しくは知らんが、そいつがどうしたんだ?」
「どうやら、今はこのアムリタの村の近くに居るらしいんだ」
地図を見ながらそう伝える。文字を読むのなんて久々で、名前の解読に大分時間が掛かってしまった。そう遠くない村で、アルマスと街とを繋ぐ街道沿いにある。宿場町のようなものなのかもしれない。
「進路の先か」
「そうみたいね。ずっと東に向かってるし」
アミリーナ・リリーズン。『騒嵐の魔女』。イヴォークが言った通り、人間に畏怖され、討伐隊が組まれた程の魔女だ。竜巻と雷鳴と共に現れ、国を一つ滅ぼしたなんて噂もある。
どこまで本当の話かは怪しいけれど。
「まあ、かといってその村を避けるってのもな」
「私、会ってみたいんだけど」
「一人で行け」
「嫌よ」
「……俺も、会ってみたいと思う」
イヴォークが驚いたような、或いは、訝しがるような顔でこっちを見る。
「前見なさいよ」
「ちょっとくらい問題ねえよ」
「イヴォークの言いたいことは分かる。わざわざ危険な目に遭いに行く必要はないって言うんだろ?」
「それもあるが、お前、どこでそんな自信を拾って来たんだ?」
「別に拾った訳じゃないけど」
確かに、自信が付くような何かがあった訳ではない。それどころか、今まで手合わせをした魔女には全く勝てていないし。
「でも、俺にはこの目があるし、危なかったらすぐ逃げられるからさ」
「強くなるために、刺激が欲しいってか?」
「ああ」
イヴォークは俺の表情を見た後、小さく舌打ちをして、また前へ向き直った。
「その一回決めたら何としてもやるっていう目がな、エミリアそっくりだよ」
「そっか」
文句を言うでもなく、それだけ言ってイヴォークは手綱を振る。少し速度が上がったようだ。
「行くにしても、一旦アムリタで休んでからだ。ただでさえ無茶しようって言うんだ。俺も万全な状態でいたいからな」
「私、今日寝られないかもしれない」
「寝なくても問題ないって言ってただろ」
「それとこれとは別の問題よ」
いつもの調子で、また軽口をたたく。
「ありがとう」
「いつまでも保護者では居てやらねえからな。せいぜいさっさと強くなってくれや」
「……もう暫くは頼らせて欲しいけど」
「しょうがねえなあ」
表情は見えないけれど、何となく笑っていそうだと思った。
◆
魔女に会いに行く。それがまるで嘘の様に、雲一つない青空が広がっていた。
雨季が終わったとはいえ、此処まで晴れているのは少し珍しい。
「天気なんて関係ねえよ。どうせ魔女なんて年中住処に籠ってるもんだ」
「……確かに、村の人達も別に怖がっている様子は無かったね」
近くに凶悪な魔女が住んでいるとしても、それがわざわざ村を襲うなんてことはしないだろうという、ある種の安堵があったようだった。
「それにしても、なんでこんなとこにまで引っ越してきたのかしら」
「魔女狩りに追われてきたのかな」
「俺の記憶だと、魔女狩りを壊滅させたのもアミリーナだって話だったが」
アミリーナについての話は、少し大げさなものが多かった。
魔女への恐怖が話に尾ひれを付けただけなのだとしたら、そこまで恐ろしい魔女ではないのか?
「一応言っておくが、あいつが以前住んでいた近くの村が滅んだってのは事実だ。あまり甘く考えてるんじゃねえぞ」
……ぐうの音も出ない。そもそも、強くなりたいから強い魔女に会いに来たんだ。自分の恐怖心を誤魔化している余裕なんて無いはずだ。
「大丈夫。でも、それについては一回聞いてみたいかな」
「引っ越しの理由か?」
「ああ。だって、聞いた話だと、ここ数年、彼女は住処を転々と変え続けているらしいから」
そうやって話しているうちに、目的の小屋を見つけた。ルルーナやガラガスの住処とは違って、人の目に付きやすい場所にある、ただの古びた小屋でしかない。
「林の管理小屋か? ほんとに居るのかよ」
「居るよ。窓の奥に濃い魔力が渦巻いてる」
「窓の奥なんか見えねえが、そっちはどうだ?」
「見えないわよ。あいつがおかしいの」
呆れる二人を他所に、観察を続ける。座っているわけではなさそうだ。魔力の光が移動して、小屋の入り口の方へ動く。そして、ドアを開けると、彼女はそのままそこで立ち止まった。
「……流石に見えたよね?」
「待たせねえ内に近付いた方が良さそうだな。風の魔法相手は、遠い程不利だ」
「でも、あいつ、杖は持ってるけど敵意は無さそうよ?」
「なんでそんなこと分かんだよ」
「……なんでかしら?」
「…………魔力が、静かなんだ。ドロシーは風の属性だから、それを感じやすいんだと思う」
文字通り、風一つ無い、穏やかな空のようだ。ドロシーの魔力は、彼女の感情に合わせて荒れている事が多いけど、それと比べるまでも無く明らかに澄んでいる。
「へえ。そういや、あいつもそんなこと言ってたな」
「誰?」
「昔の仲間だ」
多分、アルマスで会いに行ってた相手だろう。残り香の様に漂ってた魔力が風の色をしていた。
「朝からこんなところに、いったい何をしに来たのかしら?」
呆れたような調子で、彼女の方から声を掛ける。
「まあ、上がって行きなさい。お茶位出してあげる」
◆
「疲れちゃったのよ」
紅茶を啜りながら、アミリーナは言う。魔女装束を着崩してそのまま部屋木にしている彼女は、本当にただ疲れてしまったというような表情をしている。敵意も、覇気も感じられない。
「名の通ってる魔女ってのは、碌なものじゃないのよ。何処へ住処を変えても、直ぐに噂になるから。魔法を研究してる余裕なんてないの」
リラックスしている様子の彼女だが、それに対してイヴォークは警戒を解いていない。出されたカップに手を付けることもせず、足を組み、行儀悪く椅子に座っている。
「知ってる? 私、賞金が掛かってるんですって。おかげでちょっかいを出すようなのがどこへでも着いて来て、私の首を狙っているの」
「なんで俺達を部屋に入れた?」
「だって魔女を連れてる魔女狩りなんていないでしょう?」
当然の様に言う。彼女が動いた時点では、まだドロシーの姿をそうとは視認できる距離では無かったと思うが。魔女と言うのはやはり魔力に敏感なようだ。
「それで、どういう要件か気になったついでに愚痴を聞いてもらってるだけ。信用はしなくて良いわ」
「そうかよ。こっちの要件は、あれだ。お前の魔法が見たい。だろ?」
頷く。俺は、彼女の使う魔法を見に来た。別に観劇のつもりでいるわけではないけれど。
「ふうん。見るだけでいいの? 魔法を使えもしなさそうなのに」
「……どうして?」
「だって、貴方の魔力、とても薄いわよ。お嬢ちゃんの魔力が簡単に混ざっちゃうくらいに」
「…………」
ドロシーは彼女が何を言っているのかわかっていない様だ。
確かに、俺の魔力は薄いらしい。エミリアに魔法の稽古を付けられた時、俺は魔力を作り出す力が弱いと言われていた。
だから、本来は魔女に成るには向いていないのだと。
現に、魔法使いと名乗るのも躊躇われるほど、魔法を使った経験が無い。
「私も見せて欲しいな。私、風だし。私も魔法うまく使えるようになりたい」
「お嬢ちゃんはお嬢ちゃんで、その魔力量は訳が分からないわね」
大して驚いた声色でもない。
「そうねえ。でも、ただで魔法を見せるほど、安い魔女に成り下がったつもりは無いから……」
彼女の言葉の途中から、犇めく足音が邪魔をした。
明らかに人の足音ではなく、単独の足音でもない。
「騒がしいのが来たみたいだから、あれを片付けてくれたらいいわ」
獣の唸り声に、人の声がアミリーナを呼び立てる。
「あいつら、この辺で出会った盗賊なんだけど、しつこい上に馬鹿なのよ。リーダーの、サークィットとかいうのが一番馬鹿でね」
パタパタと歩きながら彼女は話し続ける。
「二度も心臓を雷で貫いてやったのに、性懲りもなく追いかけてくるのよ。嫌になるでしょう?」
平然と話すアミリーナに、漸く明確な恐怖を覚えた。そして、その相手が、とんでもない奴だということも。
「だから、お掃除お願いね」
扉から送り出された先には、ルドグの群れと、予想通り荒れた風貌の男たち、その先頭に、胸に大きな傷跡を残した女性が一人。
「今日こそは観念しな! 大人しく、このサークィット・ガルナエッジ様にその首を差し出せ!」
彼女の掛け声に雄たけびが続く。そして、ルドグたちの遠吠えも。
「アレン、死ぬなよ」
「こんなとこで死んでられないよ」
「私の事は心配しなくていいからね」
「ああ。それじゃあ、行こう」
こうして、初めての多人数戦闘が始まった。