樹の国/追風の魔女「セリドナ・レムライト」
煙菓子は、砂糖をベースに作られる魔法菓子だ。作成された当初は、煙を吐いて遊ぶ飴玉と言う認識だったが、魔法生成物と言うだけあって値段は随分と張る。そのうち、金を出せる人間向けの商品が開発されるようになり、今の形に落ち着いた。俺が好んでいる銘柄、マリアンもその一つだ。煙草と違い、煙管や火が要らないという所が気に入っている。
「私はその匂い、あまり好きじゃあないですけどね」
そう言って「追風の魔女」セリドナは、煙たがるように手で払って見せる。
「昔はお前もやってたろうが」
「銘柄が違うって言ってるんです」
セリドナは真面目そうな見た目こそしているが、割合やさぐれた性格をしている。いや、していた。今は見た目通り伝統を重んじる魔女として、「キ」が付く真面目ちゃんをやっているらしい。
「ずっと何の音沙汰も無かったのに、突然やってきて助けてくれだなんて言うから何かと思えば、お金の無心だった時の私の気持ちも考えてくださいよ」
「そう言いながら、追い出そうとはしてねえじゃねえか」
「はぁ……。質の悪い昔の男みたいな言い方しますね、貴方は」
屋敷の前で俺の顔を見た時より、数段深い溜息を吐いた後、じっとりとこちらを睨んできた。こういう所は昔と変わらねえな。
しかし、そもそもだ。
「みたいな、じゃあなくてそのものだろ」
「そうですけど! そうですけども!」
少し赤らんだ頬を見るに、そのあたりは相変わらずなようだ。
「あぁもう。なんでこんな人好きになったんだろう。というか、それが分かってるんならいい加減私と一緒に魔女になって暮らしましょうよ」
「やなこった。それに、俺は魔女には成れねえよ、なにせ――」
「才能がないから、なんて言わせませんよ」
落ち着いた調子で、しっかりと俺の目を見ながらそう言い放った。そういう所が可愛いくねえんだ。
「だって貴方のお師匠様は、才能なんてなくても努力のみで辿り着いたじゃないですか」
「ばあさんの事は言うなよ。あいつはもう死んだんだ」
「ええ、さっき聞きました。でも、だからこそ、貴方が継ぐべきではないんですか? クラムクランの名を」
「継がねえよ。継いでやるもんか」
俺の言葉に、セリドナはむぅと黙り込んだ。俺の目を見据えるその視線が突き刺さる。
「……わかったよ。そんな目で睨むな」
「何が分かったんですか」
「旅が終わったら、恩返しでもなんでもしに此処に戻って来てやるって言ってんだよ」
こちらを睨み付けたまま、編んだ髪を指で弄ぶ。
髪を弄るのは、何かを考えてる時のあいつの癖だ。
「……じゃあ、結婚して」
おそらくは、言うか言わないかの熟考の末、ようやくセリドナは口を動かした。
「……気が向いたらな」
「いっつもそう言って断るんですからね、貴方は」
諦めた様に溜息を吐き、頬を緩めてセリドナは言う。
「悪いとは思ってる」
「そうでしょうね。伊達に貴方と旅をしてたわけじゃありませんから。それくらいは分かります」
息を大きく吸い、肺から煙を吐き出す。懐かしいような、なんだか寂しいような、そんな感覚だ。まあ、少なくとも暗夜の魔女サマには見せられる光景じゃあねえわな。置いてきて正解だ。
唐突にノックの音が響く。それの直後、ドアを開く音が続く。
「よう、久しぶり」
老いた男の声。聞きなれた声って程でもないが、覚えはある。
あいつの顔を見て、セリドナの顔がまた険しくなる。
「よお、ゴートのじじい。まだ生きてたか」
「お前こそ、死んだもんだと思ってたぜ。たまには顔を出しやがれ」
カラカラと笑う声がやかましい。ゴートのじじい、「紫煙の魔女」ゴート・バルバルー。
全く、面倒なやつが来ちまった。煙菓子を噛み砕き、新しい包みを一つ開く。
「お前、まだそんなガキ臭ぇのやってんのか」
「煙草は俺には面倒でな。これがいいんだ」
「そうかよ。もったいねぇ」
「……それで、顔を見に来ただけ? 何処で聞いてきたの? ここにこいつが居るって」
招かれてもいないのにゴートはさっさとテーブルに着き、俺達の隣に陣取っている。
煙の臭いが体に染みついているらしく、動くたびに煙草の臭いが付いてまわる。
「顔を見に来ただけだ。懐かしい顔を見たんでな、どうせここに来るだろうと思った」
セリドナの視線が俺に移る。
「何見つかってんのよ」
「じじいが居るところは避けたつもりだったんだがな」
ゴートに見つかるとどうしても面倒なことになる。それは分かっていたが、何かミスったか。
「連れの行動をちゃんと見てなかったお前が悪いんだぜ」
「連れだ? アレン達に会ったのか」
こいつは自分が魔女だってことを隠したりはしねえだろうし、運悪く出会っちまったか?
「アレン? 誰だそれは。つぅことはなんだ、お前、ミーニャ以外にも連れが居んのか」
「え、今ミーニャって言った?」
「あん? なんだ、一緒じゃあねえのか」
セリドナが驚いて聞き返す。だが、どうやら聞き間違いじゃあないようだ。
「ミーニャが来てんのか? 今、この街に」
「俺の見間違いじゃなければな。偶然か?」
「ああ。……ミーニャは、どんな格好だった?」
あいつがここに居るのが本当なら、会っておきたい。なんせ何年も前に別れたきりだ。
「どんなってもなあ。普通の服だな。それに、前に会った時のままの顔だったぜ。あいつも、魔女になったのか?」
「……さあな。俺が最後にあいつを見た時は、まだただの魔法使いだった」
あの時は、あいつはまだ人間を辞めてはいなかった。辞めるつもりも無かったはずだ。
「そうかい。まあ、俺としては懐かしい顔が見れて良かったってだけだな。それで、お前はこんなとこで何してんだ?」
「昔の女に金の無心をしてるとこだよ。悪かったな」
「ああ、確かに悪い。それをたいして悪いと思って無い所が悪い」
また、カラカラと笑う。こうしてこいつの笑い声を聞いていると、昔一緒に旅をしていた時を思い出す。そして、セリドナのむくれ面も、あの時と変わらねえ。
「……ミーニャに会いたいの?」
「そりゃ、会いたいだろうよ。あと一人で全員揃う訳だからな」
「ゴートには聞いてませんけど」
セリドナは、何かとミーニャに対して嫉妬してる節があった。と言うのも、俺があいつと仲が良かったからってのが理由なんだろうが。
「会いたいかと言えば、まあ、会いたいさ。じじいの言うように、揃ってみれば弾む話もあるだろうからな」
「だったら、探しに行くか?」
「いや、いい。あいつも魔女に成ったってんなら、いずれまた会うこともあるだろ」
この旅は、恐らくは魔女を訪ね歩く旅になるはずだ。魔女が殺されたんだ、魔女がその原因だったとしても驚かねえ。むしろその可能性のほうが高いまである。
だから、今ここでわざわざ俺だけがあいつに会いに行ったってしょうがねえ。
旅の主役は、俺じゃなくてアレンだ。
「……悪い、そろそろ戻る時間だ」
「何か用事でも思い出したの?」
「いや何、そろそろ連れが金を使いきる頃だと思ってな」
「随分とお金遣いの荒い人なのね」
「女なんてそんなもんだろ」
あからさまにセリドナの機嫌が悪くなった。少し口が滑ったか。
旅をしていた時は、セリドナの浪費癖に困らされたもんだが、それを根に持ってるみたいな言い方になっちまった。
「貴方は、またそうやって!」
いや、そうじゃねえな。この怒り方はそっちじゃねえ。
「また女連れてんのか。懲りねえ奴だな。 それで? どんな奴だ。ミーニャみたいな奴か?」
どうもじじいの中では俺の好みはミーニャみたいな奴だって事になっているらしい。
「碌に魔法も使えねえのに魔力だけは有り余ってるやつだよ」
「そんなのを連れて行くぐらいなら、私を連れて行きなさいよ。私のほうが貴方の役に立てるから」
「お前には街の仕事があるだろう」
名の知れた魔女様のお仕事がどういうものなのかはよく知らんがな。小難しいことをやっていることは間違いないだろう。
「ありますけども! ですけども!」
「まあまあ、男の帰りを待っててやるのが、女の甲斐性ってやつだろうよ。それに今まで何年も待ってたんだ。今更もう数年増えたところでそう変わらんだろ」
「でも、イヴォークさんふらっと死にそうじゃないですか!」
「嘘つけ、殺しても死ななそうな顔してんだろこの男はよ」
ゴートがこちらの味方をしてくれているが、茶化すような声色なのがあまりよくない。
あれはただ面白がってるだけだな。
「そこらへんにしとけ、じじい。セリドナを連れていけねえのは悪いとは思ってるけどな、まあ、こっちにもいろいろあるんで、勘弁してくれ」
「別に……、私だってそこまで分別が付かない訳じゃないですし……」
バツが悪そうに眼を逸らしながら、また髪を弄る。
「……ちゃんと帰ってきてくださいね。お金でもなんでも貸してあげますから」
「分かってるよ」
「後で国の東門へ行ってください。そこに全部用意しておくので」
「おう。ありがとう」
やっと話が落ち着いた。これでセリドナに借りを作るのは何度目だったか。そろそろ本気で結婚でも考えてやらねえと、殺されちまうかもな。
まあ、帰ってから考えればいいか。
◆
「また振られちまったな」
「振られてませんし。帰ってきたら結婚しますし」
「そりゃいい。式には呼んでくれよ。とびっきりの魔法で祝ってやる」
「煙草は辞めたんですって。気持ちだけもらっておきます」
「なんだよもったいねえなお前ら」
「あと、式にも呼びません」
「そうかい。とりあえず、久々に会ったんだ。飲みに行こうぜ」
「はいはい。今日の仕事が終わったら、行きましょうか」