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どこにあったかな 6

「前に、いぬにたくさん追いかけられて、それで逃げてたら」

 缶詰の魚と老女の家庭菜園の収穫物とを炒めた簡素な料理に、少し湿気た缶詰パンを合わせてもぐもぐやりながら、シアンは自分の特技について述べた。

彼女の空を飛ぶ(かのような)特技はしかし、彼女に言わせても傍から見ても、いわゆる飛行機のように、すいと飛んでいくようなものではない。先にバンダナを回収するために飛翔した様子からも明らかなように、ある程度の助走が必要で、且つ、推進力は彼女自身の脚力に依存しているようである。しかし彼女は、そればかりではないと言う。

「やわらかいけど、つっぱってくるものがたくさんあるみたい」

「ぜんぜんみえない、わからない。においもしないの」

「うえにいくときはそんなにつかれちゃわないけど、かえってくるとすごくつかれた」

 いまいち形容がうまくいかないようであったので、マゼンタと老女は、それらの語りからそれとなく全容の把握を試みた。乃ち次のようだった。

 まずシアンが飛行能力を得た、あるいはそれに気づいたのはマゼンタと出会うよりしばらく前のことであり、野犬から逃れようというその最中であったという。彼女は「せんせい」と呼ぶ人物とともに廃都市から南に位置するなんらかの施設において嵐の一年を過ごしたらしく、「せんせい」の消息が不明になってから単身、廃都市へと向かったとのことだった。この冒険的な行為には「せんせい」の指示が関与しており、彼女の探し物が、それであるらしかった。そういうわけでなんの準備もないまま廃都市に至り、右も左もわからぬままなんとか食料だけは調達していたなかで、鼻敏い野犬たちに嗅ぎつけられてとうとう、廃ビルの屋上に追い詰められたというのである。

「でもこわくなかったよ」

 彼女は特に躊躇することなく、屋上から空に足を踏み出した。誰に教わったのでもない。なにか彼女の奥底で本能的にわかりきったことであったのだろう。彼女は落下することなく、スキップするような足取りのまま、大通りを挟んだ向かいのビルの鉄骨へと降り立ったという。

これ以降、彼女は頻繁に空を遊び歩くようになった。ビルの屋上で夜を明かした日には、東の地平線彼方から放射状に伸びる数多の曙光の間を駆け回ったというし、夕焼けが始まるころに大通りにさしかかればビルの中ほどまでに駆け上がり、ぴょんぴょん跳ね回っては橙色に光る壁面に愉快な影絵をつくって無聊の慰めとした。

そうして遊んでいるうちにこそ飛行するのには慣れてきたが、はじめのうちはうまくいかなかったそうだ。鳥を見て、彼らと同じように両手をはためかせてみてはいたずらに腕が疲れて、バッタを見て、あれらと同じように両脚ひと思いに飛び出してみれば、幅跳びをするだけに尽きた。それで初めて飛び上がった時のことを思い出し、少し走ってから片脚で飛び上がり、次ぐ反対の脚で何もないはずの腰丈あたりの空間を踏みしめて「えいや」と力をこめんとすると、確かな感触があってふわりと身体が宙に浮いた。踏みしめた空間自体は柔らかくも強い反発で彼女を押し返した。どうやら無数のクッション型トランポリンでも浮かんでいるらしかった。ちなみに、手で触れたり押したりしてみても何も感じられないらしい。昇る高度に制限はないらしく、行こうと思えばどこまでもいけるようで、それでも彼女は飽きれば降りてくるらしかった。高所から降りるのにはやはり見えないトランポリンの助けを借りる必要があるらしく、そうでもしなければ真っ逆さまに落下するのだという。試したと言うのだから、それを聞いたマゼンタと老女はきゅっと胃が閉まるのを感じていくらか老けた気分になった。不思議なのは、体力の消費についてである。高度上昇中、彼女は一切の疲労というものを感じないそうだ。代わりに、高度が下降する、あるいは地上に降り立った途端、どっと疲労感に襲われるという。昨日の昼寝も、大いにその影響があるらしいことがシアンの口から語られた。

「それにしても、不思議ねえ」

 人類の歴史は嵐で終止符を打たれるまで大変長いこと続いていたが、その末期に至るまで文明の利器に頼らない限りは文字通りの空中散歩など夢のまた夢だった。そんなことをするには、もはや人間が人間ではない何かに進化でもする必要があっただろう。脳を大きくして道具を使うようになった人間のいわゆる叡智というやつは、ゆるやかにヒト自身の進化の可能性を阻んでいたとも言えた。

「でも超能力とも違いますしね」

 マゼンタは言った。老女は頷く。彼ら彼女らにとって、いわゆる一部の人間だけが持つ特殊ながらもそれなりに科学で説明がつけられるようになっていた超常能力はもはや身近なものであった。古くはオカルティックなものであり、胡乱なものとされていたというのを学校教育や何かの蘊蓄で聞かされるたび、彼らは首をひねったものである。しかしそんな彼らでさえ、シアンの為すこと語ることは不思議そのものであった。

 以上のようなことを語らい、顔を見合わせて改めて不思議がる老女とガスマスクの青年を尻目に、おかわりでよそった炒め物を嬉しそうにほおばるシアンは、いたいけな少女以外の何者でもなかった。

「おいし!」

 まもなく太陽は中天に至ろうとしている。窓辺におかれた鉢植えに咲く水色の小さな花々が、強すぎる光に輪郭をぼかしていた。


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