クリストフォロ・コロンボの場合
1917年に開始されたいわゆるイタリア戦線はアドリア海を暴れ回るイタリア海軍によってオーストリア海軍は早い段階で壊滅状態となった。
しかし、もともと陸軍国のオーストリア・ハンガリー帝国にとってそれは大きな衝撃ではなかったかのようにイタリア戦線での激しい攻防が続いていた。
未回収のイタリアを奪回するための戦いとして始められた戦争はオーストリア側へのドイツ軍の加勢で一転苦戦を強いられることになる。
1918年、ドイツが春季攻勢のために派遣していた軍勢を引き上げることとなり、イタリア軍は辛くも窮地を脱することが出来た。
その後、ヴィットリオ・ヴェネトの戦いによりオーストリア軍を粉砕、これと前後してオーストリアでは革命がおこり、休戦を求める声が聞かれる中でトリエステやイストリア半島への侵攻が行われていくこととなる。
11月に入り、再度の休戦の使者に応じ、ようやく戦争は終結へと向かった。
戦争が終わるとそこには惨憺たる惨状が広がることになる。陸上での膨大な死者もさることながら、積極的に活動し続けたイタリア海軍も多大な損害を被っていた。
戦艦だけで事故も含めて7隻を失っていた。レジナ・エレナ級3隻、パレストロ、ダンテ・アリギエーテ級1隻、コンテ・ディ・カブール級1隻、ルッジェーロ・デ・ラウリヤ級1隻という具合だった。
中には港で爆沈という艦もあったが、パレストロはドイツ潜水艦による雷撃であった。
総じて、これまでの防御力の弱さが仇となっている事は間違いない。
そこで、建造中止になっていたフランチェスコ・カラッチョロ級の2隻については、ユトランド海戦の戦訓や潜水艦の雷撃に対する水中防御力の改善などの再設計項目が多数列挙され、海軍の戦力再生のために建造が再開されることとなった。
一つ喜ばしい事には、とうとう油田の掘削が始まり、イタリア経済の光明が見え始めたことだろう。
石油資源の開発という景気の良い話から大幅な改設計が容認され、武装こそ弄りようがないものの、船体それ自体にまで手が加えられることとなる。
が、何という事か、ここで新たな事態が俺の身に起きた。
昨日、俺が改正要求項目を作成した書類を、今日、俺が受け取っている。
何を言っているのかわからないと思う。当然だが、俺も何が起きたのかよく分からなかった。あれをやりたいこれをやりたいという改善項目を考えながら、設計を後身に委ねるのだなと思っていたのだが、気が付いたら自分が設計する立場に居た。
確かに一度起きている。これは一体どういうことなのか。二度目ともなるともう気にする気さえ起きなかった。
しかし、戦艦建造継続のために経済を浮揚させるという事で石油資源については吹き込んだが、参戦まであとに遅れた。
もちろん、そのことで新たな戦艦の建造に繋がってはいるのだが、ここまでくると歴史の変容が恐ろしくなってしまう。これ、本当に帰れるのか?
そんな不安を抱えながらも設計だけは着実に行った。
傾斜装甲の導入は出来なかったが、船底の二重底化や水線下の防御方法の見直しに手を付けたことで根本的な欠点は改善することが出来ている。本当ならば装甲厚も根本的に変えたいのだが、弄れたのは水平装甲のみで、舷側装甲の増厚までは手が回っていない。
こうしてかなり弄り倒したことで、フランチェスコ・カラッチョロ級としてではなく、新たに2番艦の名前からクリフトフォロ・コロンボ級と名付けられることとなった。
クリストフォロ・コロンボ級
排水量 33500t
全長 211m
幅 30m
出力 80000馬力
速力 25ノット
武装 15インチ連装砲4基、6インチ三連装砲4基他
建造は1920年に再開されたのだが、ワシントン条約で問題とされることになる。疑問視したのはもちろんフランス。
フランスはほとんどの建造計画が戦争によりとん挫し、その荒廃から建造を再開する事すらできなくなっていた。それに引き換えイタリアが油田を得たことで経済的に持ち直し、戦争被害の穴埋めとして戦力の補強が出来る事を恨めしく思っているらしい。
イタリア海軍の戦力が半減しており、アドリア海や地中海での活躍も目覚ましかったことですでに中止するには工事が進みすぎている2隻に関してのみ建造の継続が許される形になった。
正直なところ、イタリアの経済状況ではこの二隻の建造が本来精いっぱいだったので交渉団も表面上はゴネながらも内心では喜々として受け入れている様だった。
この戦艦は実在の未成戦艦とは関係ありません。
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