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帰還

 俺はイタリア戦艦をランク9まで解説を読みながら思い出していた。そうだ、すべて俺が設計したものだった。

 ランク9には2隻完成と書かれていた。良かった。完成していたんだな。


 問題のランク10だが、これに関しては俺の知らないモデルだった。ちょっとスマホでイタリアの戦艦について検索してみると、やはり存在していない。ゲーム関連のサイトには架空艦であると書かれていた。

 そりゃあそうか。当時のイタリアでは16インチ砲がほぼ限界だったわけだから、それ以上の砲を使った計画なんかある訳が無い。


 さて、俺が消えた後のイタリアがどうなったか気になるので見てみると・・・・


 どうやらしばらくは中立を守っていたらしいが、ヴィシー・フランス軍がリビアへちょっかいを出したことで、1941年3月にヴィシー政権に宣戦布告することになったようだ。結果、ドイツによるソ連侵攻が延期され、フランスとの国境にイタリア戦線が構築されることとなったらしい。まるで第一次世界大戦の繰り返しみたいな状態だな。ただ、ドイツ本国との中立は維持されたようで、ユーゴをはじめとするバルカン半島への侵攻に対しては全く対立していない。それどころか、イストリア半島以南の「未回収のイタリア」を譲渡されてすらいる。

 当然、英国はこれに激怒したようだが、第一次大戦で英国も約束していた土地だけに、強くは出なかったらしい、下手したらイタリア海軍を敵に回す訳だから、避けたんだろうね。しかも、英国はリビアの石油を使ってるわけだから、強く出るにも限界がある。

 イタリアとヴィシー政権は「不可思議な戦争」と呼ばれる第二次世界大戦とはまた異なる戦いを行っていた。その中でイタリアはコルシカ島を占領し、英国にいた自由フランス政府をも激怒させ、自由フランスからも宣戦布告されることとなる。

 しかし、自由フランス軍は行動することは無く、英国による仲介もあってフランス解放後にイタリアが返還するという条件で合意している。


 ヴィシー政権との戦いはコルシカ占領によって事実上終了し、以後はにらみ合いが続くこととなった。

 ドイツもそんなイタリアを警戒してアドリア海周辺では大規模な軍事作戦を避けている。

 その結果、史実で北アフリカに渡るはずだったロンメルはソ連侵攻に参加しており、グデーリアンがレニングラードを、ロンメルがモスクワを目指すという状況になっていた。

 北アフリカに物資を割いていないドイツ軍は冬将軍到来以以前にレニングラードだけでなくモスクワ包囲も完成させ、スターリンはモスクワを脱出することとなった。


 しかし、ドイツ軍の極北作戦は不調に終わり、ムルマンスク確保に失敗している。

 1942年にはドイツ軍はウクライナへとその攻勢点を向け、クリミアの攻略へと進む。

 この頃イタリアはドイツ側での参戦も模索しているが、問題はヴィシー政権との対立だった。ドイツからの参戦条件はコルシカの返還。このまま英国が負ければコルシカはイタリアものになるという状態でドイツの要求を飲むようなアホな事は出来なかったようだ。

 中立を貫くイタリアに対してドイツは譲渡したユーゴスラビア領土の返還を要求し、ギリシア方面の作戦を念頭にトリエステの使用容認まで求めてくることになる。当然そんなものは認められるはずがなかった。

 1942年秋には明らかにドイツ側の不利が明確になると、ドイツはイタリアに対し攻撃を開始した。最初の目標とされたのはコルシカだった。こうして否応なしに連合国側として参戦したイタリアは「不思議な戦争」から、普通の戦争へと引き戻され、英米軍の支援を受けて、バルカン半島へも進行していくことになる。コルシカに関してはしぶしぶ英国の要求を飲むしかなかった。

 結果、それ相応の犠牲と共にそれ以後は史実よりも急速に連合軍の進行が早まることになった。ただ、イタリア軍はハンガリー、スロバキア方面へと進軍した事もあって一部ではソ連と衝突することとなる。更には仇敵ともいえるイタリア軍に対する現地住民の反発まであり、戦線は混沌としてしまう。

 そこを突いて反攻作戦に出たドイツ軍の攻勢を受けて一時後退し、中欧は長くドイツ軍が残留することとなった。1944年12月にはベルリンも陥落しているが、オーストリアやチェコに残留したドイツ軍とソ連軍、さらには双方と戦うイタリア軍という状態がそこに出来上がり、結局戦争が終結したのは1945年5月に入ってからだった。

 

 なんだろうか、コレは。イタリアの戦艦以外の艦艇も色々変化していた。巡洋艦、特に軽巡洋艦は戦艦の副砲と共に変化しているらしい。重巡洋艦や駆逐艦は技術的な物で恩恵を受けたんだろう。かなり充実したものになっている。空母が僅かなのは仕方がない。それは史実でも一緒だ。


 他に目を転じると戦闘機のエンジンがベンツからマーリンへと変わっている。これも当然の結果だ。ドイツではなく英国の影響下にあったわけだから。

 全く関与していないはずの戦車にも影響は出ていた。イタリア戦車と言えば日本戦車と並んで貧弱なシロモノなのだが、この世界では少し違う。

 1941年頃まではほぼ同じなのだが、突如としてクリスティ式サスペンションとガソリンエンジンを搭載したT34モドキが登場している。搭載砲も英国製の6ポンド砲で、それまでのイタリア戦車とは隔絶している。エンジンはマーリンエンジンを車載用にデチューンした600馬力のシロモノ、走行系は英国面からの支援によるもので、当時英国が実現できなかったミーティアエンジン戦車を先取りする形となっていた。重量は26トンになっているが、600馬力の出力で60kmの速度を誇った。

 P40と命名され重戦車に分類されたが、さらなる改良型では50口径76ミリ砲を採用し、重量30トンになるが、それでも53㎞を発揮している。


 なんともすごい変化が起きているものだ。

 


 


 

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