クリスタルマン
「いいぞ~クリスタルマ~ン」
俺は巨大怪獣と格闘しているクリスタルマンを応援していた。
俺が傍観している公園は離れているものの、怪獣の咆哮とクリスタルマンの気合のこもった声はここまで聞こえてくる。
空で旋回している自衛隊のF16Jが真一文字に怪獣に突っ込むとミサイルをぶっ放す。
怪獣の背中で炸裂するミサイル。
だが怪獣はびくともしなかった。
20××年、突如日本各地に現れた巨大怪獣の群れ。
その力は自衛隊の攻撃をものともせずに猛威を振るっていた。
このままでは日本は壊滅する。
日本国民の誰もがそう思った。
だがそこに突如一人の巨大ヒーローが現れる。
何処からとも無く現れたその超人は、暴れる怪獣を退治すると颯爽と空の彼方に去っていったのだ。
そしてそれ以来、新たな怪獣が現れるや否や、超人は何処からともなく飛んできて退治していった。
いつしかその輝く勇姿から、超人は「クリスタルマン」と呼ばれるようになっていた。
誰が呼び始めたのか分からないが、多分某テレビ局が命名したのだろう。
その日も六本木の工事現場から一体の怪獣が現れ、東京タワーが破壊されようとした。だがその寸前、空から飛んできたクリスタルマンが怪獣の前に立ち塞がり、格闘の末に阻止した。
「やったぁ~~」
クリスタルマンのプロレス技に痛めつけられて動きの鈍くなった怪獣の心臓部に向かって、クリスタルマンの十字に組んだ手から眩い光の束が怪獣に向けて発射される。
光線を受けた怪獣は、堪らず悶絶してしまった。
「じゅわ!」
独特の掛け声と共に飛び去っていくクリスタルマン。
そう、彼はいつも怪獣を倒すと何も言わずに去っていく。
その颯爽とした姿は、いつしか日本国民のヒーローになっていた。
「すげえな~」
俺は自宅近くの公園で、空に飛び去るクリスタルマンを見送っていた。
だが、その時公園内に一陣の風が吹き去った。
「え?」
驚いて辺りを見回すと、公園内の俺がいる場所とさほど離れていない地点に、俺とさほど変わらない背丈になったクリスタルマンが立っていた。こちらに背中を向けたまま、俺には気づいていないようだ。
「ええ? ク、クリスタルマン? 本物なのか??」
俺は慌てて木の陰に隠れた。
「空の彼方に飛び去ったんじゃなかったのか。それにしても、なんでこんな場所にクリスタルマンが来るんだ!」
だが驚かされたのはそれだけではなかった。凝視する俺の目に、クリスタルマンの背中に付いたファスナーのような継ぎ目が飛び込んできた。巨人の時には確かそんなもの見えなかった筈なのだが、確かにクリスタルマンの背中にそれはついていた。
「あれってファスナー……だよな。クリスタルマンにファスナーがあるなんて、でもどう見てもファスナーだな。どういうことなんだ?」
そんな俺の疑問を他所に、クリスタルマンは己の右手首をぎゅっと左手の親指で押した。
次の瞬間、クリスタルマンは全く別の姿に変身していた。
それは見覚えのあるセーラー服姿の美少女だった。
「し、椎名じゃねえか。クリスタルマンの正体は椎名だったのかよ」
それは先月怪獣騒ぎが始まった頃クラスに転校してきた椎名亜矢だった。
彼女は俺に気づく様子もなく、肩が凝ったかのようにこんこんと自分の肩を叩いていた。
「ふぅ~、今日は手こずったな。全くあいつら、何体この星に逃げ込んできたんだ。いつまでもこんなことを続けていたら身が持たないぜ。早く任務を終わらせて帰りたいもんだな……って、おっといけない、言葉、言葉、こほん、あ~あ、全く疲れちゃうわ」
かわいい声で一人ごちる椎名亜矢。そこに、40歳くらいの女性が歩み寄ってきた。
「お疲れ様、亜矢」
「おう!」
「おう! じゃないでしょう。あなたはここでは女の子なんだから、言葉や仕草に注意しなければ駄目よ」
「わ、わかってるさ。でも何で俺たちこんな姿をしてなきゃいけないんだ?」
「この星に逃走した怪獣を全部倒すにはまだまだ時間がかかるでしょう。それまであたしたちはこの星で怪しまれないように暮らさなければいけないの。あたしたちが一緒にいるには、お互いこの姿でいるのが一番なのよ」
「一番ねえ……それにしたって奴らと戦うのは専ら俺のほう、お前は見てるだけじぇねえか。おまけにお前が俺の母親だって? 納得できんな」
「お前じゃないでしょう。あたしのことはママって呼んでもらなきゃ。さあさあ怪獣も倒したことだし、亜矢、お家に帰りましょう」
そう言いながら彼女はポンポンと亜矢の肩を叩いた。
「ちぇ~、全く」
ぷっと頬を膨らませながらも、亜矢は母親と連れ立って公園を去っていった。
「椎名が……クリスタルマン」
俺は目の前で起こった出来事に、呆然と立ちすくんでいた。
そしてその日以来、俺は度々その公園を訪れるようになった。もしかしたらまたクリスタルマンが現れるんじゃないかと思ったのだ。
勿論学校で椎名亜矢の正体を暴こうとクリスタルマンについてあれこれ聞こうとするのだが、クリスタルマンの話題になるといつも俺の問いかけは無視された。
「あや……しいな」
いや、彼女の名前のことではない。
俺はあの日見たクリスタルマンの背中のファスナーが気になってしょうがなかった。クリスタルマンをヒーロー視していた俺にとっては、ファスナーを見せ付けられたことは、それが裏切られたような気分だったのだ。
誰かがクリスタルマンの皮を被っている。おまけにそいつはさらに普段は椎名亜矢という美少女に変身しているのだ。あの中には誰が、いや、何が入っているのか……宇宙人……未知の地球外生物!?
恐怖にも似たぞくりとした感覚が俺の背中を駆け抜ける。
だがそれを確かめる機会は意外と早く訪れた。
数日後、怪獣とクリスタルマンが格闘しているとニュースで報じられると、俺はいつものように件の公園を訪れた。そしてその日も怪獣を退治し終えたクリスタルマンが現れた。
どうやらクリスタルマンは怪獣を退治し終えると、いつもこの公園で変身を解いている……いや、椎名亜矢に変身している……うーん、どっちなんだ? まあいずれにしても姿を変えているらしいのだ。
俺はクリスタルマンの背中からそっと近づくと、背中に付いたファスナーの取っ手を一気に引き下ろした。
「じ、じゅわ!?」
ファスナーを開くのと全く同じように、クリスタルマンの背中がぱかりと開く。中には、黒いぶよぶよしたものが詰まっていた。
「な、何だ、こりゃあ」
「じゅ、じゅわああ」
背中を開かれて苦しみだすクリスタルマン。
だが、俺はそれに構わずウェットスーツにも似たクリスタルマンの上半身を一気にめくり開けてしまった。
中からは両生類を思わせるような黒くぬめっとした物体が現れた。そしてクリスタルマンの皮をめくられたそれは、苦しみつつその場に倒れ付してしまった。
「じゅわぅ、ぐぐぐ」
下半身も抜け出て全身がすっかり顕わになった黒い生物が、地面で苦しそうにのたうつ。
それを呆然と見下ろす俺の後ろから女性の悲鳴が上がった。
「あ、あなた、何てことをするの!」
振り返ると、そこには椎名の母親と称していた、いつかの女が立っていた。
「そのスーツはこの星で暮らすのになくてはならない私たちの生命維持装置、宇宙服みたいなものなのよ。一度脱がせてしまったら活動はおろか、息さえできなくなるのに。ぐずぐずしていられない、早くしないと」
女性は黒い物体を抱きかかえると、慌てて駆け去っていった。その場にクリスタルマンのスーツを残して。
「俺、もしかして大変なことしちゃったのか?」
俺は残されたクリスタルマンのスーツを取り上げておろおろするしかなかった。
今怪獣が現れても、クリスタルマンはいない。
そしたら、日本は壊滅!?
「う、うわぁあ!!」
廃墟と化した東京の姿を想像して、俺は思わず悲鳴を上げた。
覆水盆に返らず、後悔先に立たずだ。
だがその時、俺の頭にある考えが浮かんだ
「こ、これってクリスタルマンの皮、いや? 確か地球で活動するためのスーツって言ってたような。ってことは……」
俺はクリスタルマンのスーツを広げてみた。
それはどう見てもクリスタルマンの皮そのものだ。しかもまるで中に入れと言わんばかりに背中が開いている。
「もしこのスーツを俺が着たら……」
俺は大きく開いたクリスタルマンのスーツの背中に恐る恐る手を入れてみた。
中はひんやりとしているものの、何も障害物も無い。
「よし!」
俺は意を決して服を脱ぎ捨てると、開いているスーツの背中に足を突っ込んだ。それは見た目そのままのウェットスーツのようなごわごわとした感触だった。
下半身から上半身とスーツの中に体を潜り込ませる。そして俺はクリスタルマンの仮面を両手で持ち上げると、その中に自分の頭を突っ込んだ。仮面の目の部分にはちゃんと外が見えるように窓があるようだ。
頭を調節していると、ぱっと視界が開ける。
俺は背中のファスナーを引き上げ、開いている部分を全て閉じてみた。途端にごわごわした感触のスーツは一気に柔らかくなり、そして俺の体にぴたっと密着した。
俺の姿、それはまさにクリスタルマンだった。
「俺、クリスタルマンになっちゃった!」
腰に手を当ててクリスタルマンのポーズを取る。
「じゅわ!」
まさかと思いつつも、あの掛け声とともに飛び上がるようにジャンプしてみる。すると、俺の体は空中に飛び上がっていた。そしてぐいぐいスピードを上げて空高く上昇していく。
「う、うわっ、止まれ、止まれ!」
慌てて念じると、俺の体は空中でぴたりと止まった。
「す、すげぇな」
ゆっくりと再び公園に着陸する。
俺はクリスタルマンの腕をクロスに組むと、大きく広げてみた。途端に体がぐんぐんと巨大化していく。
俺は身長50mほどの巨人になっていた。
足元に灯りのついた家々が並んでいる。
「こ、これって!」
そうなのだ、どうやらこのスーツがクリスタルマンの超能力を発動するらしいのだ。
生命維持装置って言ってたけど、いろんな機能を備えた、あの宇宙人たちの星の超科学で作られた超能力スーツとでも言うべきものなのだろう。
俺は左右の手を十字に組んでみた。途端に空に向かって眩い光線が発射される。
「す、すっげ~」
おっと、こんな姿でいたら騒ぎになってしまう。
再び元の大きさに戻ると、ふと思いついた俺は、右手首を左手の親指でぎゅっと押してみた。
次の瞬間、自分の下半身が急にすーすーするのを感じる。
体を見下ろすと、俺は何時の間にか短いプリーツスカートのセーラー服を、つまりうちの学校の女子の制服を着ていた。おまけに両胸は大きく膨らみ、スカートの裾から手を潜り込ませると……。
「お、おんな! 俺、女になっちゃった!」
叫んでいる自分の声も自分のものではなく、女の子のように甲高い。
俺は慌てて口を押さえた。
慌てて公園のトイレに駆け込むと、トイレの鏡には椎名亜矢が映っていた。
「これって……椎名亜矢。ほんとに彼女になっちゃったよ」
ほっぺたをつねると、鏡の椎名がほっぺをつねる。にこっと笑うと椎名が俺に向かってにっこりと笑い返す。
クリスタルマンが手首を押さえて彼女に変身したのを見てもしやと思ったのだが、本当に俺が彼女の姿になってしまうとは。
この姿は地球でこのスーツを着て暮らすために設定された姿なんだろう。
それにしても、俺が椎名に、こんな美少女になるなんて。
恐る恐る胸に触ると、そこにはちゃんと柔らかい膨らみがあった。
両手でぎゅっと揉んでみると、揉んでいる感触も、自分の胸が揉まれているという感触も伝わってくる。
「あ、あはん」
胸の先が付けているブラジャーの生地にこすれて妙に気持ちいい。
俺は思わず嘆息を漏らしていた。
「あ、あなた、誰!? さっきの男の子?」
「え?」
聞き覚えのある声が後ろから上がる。
そこに立っていたのは、さっきクリスタルマンの中に入っていた黒い物体を抱えていった、椎名亜矢の母親を演じている女だった。
俺はこくりと頷く。
「大変なことをしてくれたわね」
「え? あ、あの、俺」
「危うく彼の命は取り留めたけれど、しばらく宇宙船内で集中治療しなければ復帰できないわ。おまけにそのスーツを地球人に奪われるなんて、全く失態だわ」
「ご、ごめんなさい」
俺は椎名の声で女に謝っていた。
「怪獣たちは今この瞬間にも出現するかもしれないのよ。そしたらもう誰もそれを防げない。日本は壊滅するわ。まあそれはあなたという地球人が仕出かした事の結果なんだから、自業自得ということで構わないんだけど」
女は腕組みしながら射すくめるようにじっと俺を睨む。
「構わなくないですよ。ごめんなさい。そんなことになったら俺……何とかしてください」
女はふう~っとため息をついた。
「仕方ないわね。これからしばらくあなたに怪獣退治を、この星でクリスタルマンって呼ばれているヒーローをやってもらうわ」
「俺がクリスタルマンを?」
「そうよ、怪獣が現れたら、あなたがクリスタルマンに変身して退治するのよ」
「そんな、俺が怪獣と戦うなんて、そんなの嫌だよ。ごめん、俺が悪かった」
俺は慌ててクリスタルマンのスーツを脱ごうと髪を掻き分けて後頭部をまさぐった。だが、そこにはファスナーらしきものは何も無かった。
「無駄よ、そのスーツは一度着たら誤って脱げないように、本人の手では脱げないようになっているの」
「ええ!?」
「だから誰かがそれを脱がせるまであなたがクリスタルマン。そして普段は椎名亜矢を演じてもらうわ。あたしの娘として一緒に暮らすのよ」
「だ、だって俺、家に帰らなきゃ。俺がいなくなったら母さんも父さんも心配するし」
「大丈夫よ、身代わりロボットを立てといてあげるから」
「身代わりロボット?」
「クリスタルマンの正体がばれないように、人間そっくりに変身できるロボットよ。あなたの姿と記憶を持たせて家に帰らせてあげる。勿論帰るのはロボットのほうよ」
「そ、そんなぁ」
「それじゃあ亜矢、家に帰りましょう」
「あ、あの」
「ほら、『はい、ママ』って言うのよ」
キっと女が睨む。
「は、はい、ママ」
こうしてその日から俺は普段は椎名亜矢として、そして怪獣が現れるやクリスタルマンに変身して戦うという生活をさせられる羽目になってしまった。
学校に女の子として登校する。
教室に、転校してきた美少女として入る。
「おはよ~、椎名さん」
教室の中にはちゃんと俺がいた。
入ってきた俺を見て、もう一人の俺がにこっと笑う。
「お、おはよう、真也……くん」
「昨日ネットゲームをやりすぎて宿題できなかったんだ。ねえ椎名さん、見せてくれよ」
くっそ~、このロボットすっかり俺に成りすましてやがる。
そして……
怪獣が出たぞ~
(出撃よ! クリスタルマン)
頭にあの女の声が響く。
辺りに人がいないことを確かめると、今日も俺は手首を押してクリスタルマンに変身した。
「じゅわ!」
(終わり)