9. ディアナ、街に出る
収入の目処が増えて、怪しい副業をする必要がなくなり、二つ目の報告書を学長に渡した頃、それはやって来た。
テルマが持ってきた手紙の束から、私の名前が書かれた白い封筒が出てきたのだ。
基本、我が家に来る封書は父宛だ。
たとえ、他家からの招待状や領地からの陳情の返事を書いているのが私だとしても、グラウシュタット伯爵は父である。
ただひとつ、私個人に来るものといえば……
封筒を開けて金箔が押された白いカードを取り出す。
「お茶会の招待状だ……」
差出人は、コルネリア・アングラード伯爵令嬢。同時期に社交界デビューした女の子だ。流麗な文字で書かれた招待状の余白に、コルネリア直筆の丸い文字が並んでいる。
――婚約しました。彼を紹介したいので是非いらしてね
おめでとう。いや、コルネリアが幸せならいいよ。
思わず遠い目をしたくなる。
この手のお茶会に何度か行ったが、寄ってくる男性を捌くのに大変な目にあうのだ。
はっきり言って、私はモテる。
残念ながら、輝かんばかりの美貌のせいではない。グラウシュタット伯爵の唯一の子供であるせいだ。
受け継ぐ爵位がない次男三男といった貴公子達が、入婿になりたがるのだ。
面倒だが、欠席という選択肢はない。病気でもない限り、祝いの席に出ないなど、喧嘩を売っているようなものだ。
それに、もうひとつ問題がある。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
よっぽど浮かない顔をしていたのだろうか、テルマが心配そうに声をかけてきた。
「テルマ……困った」
「な、何がでございましょう?」
「着ていく服がない!」
日中に開かれるお茶会は、夜会に比べれば格式が低く、場合によっては子供も参加することもある。服装規定は略式だから、大学職員の制服でもいいわけだけど、さすがにそれは、ね。
たかがお茶会、されどお茶会。どうしよう。
「あ、一張羅の略式ドレス、あれでもいいか」
「先月の学長夫人のお茶会でお召しになりましたよね」
「まずいかな」
「ダメに決まっています。お茶会はいつですか?」
「来週」
テルマは人差し指で唇をたたきながら、何事か考え込んだ。
「仕立てる時間はありませんから、買いに行きましょう」
「いや、何か小物で雰囲気を変えるとか――」
「お嬢様。貴婦人達がどれほど着る物に注目しているか教えて下さったのはお嬢様ですよ?」
テルマの言う通りなのが辛いところだ。
なんて面倒くさい。一生大学職員の制服でいたい。
仕方がないので、テルマを連れて下町にある馴染みの店に行くことにした。
馴染みと言っても、年に一度行くか行かないかという程度だ。ここ半年くらいご無沙汰だったのは確かだが――
「テルマ、店の雰囲気、変わったと思わない?」
「はい。何だかきらびやかになりましたわね」
落ち着いた上質の仕立てを信条としていた老舗のウィンドウに鮮やかなエメラルドグリーンのドレスが飾られている。スカートの部分に真珠を散りばめているようだが、やけにピカピカしている。
「ああ、グラウシュタットのお嬢さん」
店の入り口が開いて、中から声をかけられた。
「えっ? あ? グラーザー様の?」
三区画先の男爵家の息子だ。
「ゴドフリートです。次男の」
そんな名前だったか。次男なのは知ってるよ。
「お買い物ですか? 光栄です。どうぞ中へ」
奇妙なことに、まるで店の主人であるような言い方をする。ここの親戚だっただろうか。
「あの、このお店はグラーザー様の?」
「ええ。三ヶ月ほど前に、父が前の持ち主から買い取りましてね。店の方は私が経営しております」
チョコレート色の髪と、人好きのする笑顔を浮かべた顔は、父のグラーザー男爵にそっくりだ。
騙されんぞ。
うちの父は、男爵に高価な壺を売りつけられたことがある。父曰く、『食らいついたら、猛犬のように離さない』のだそうだ。
「さ、遠慮せずに」
「あ……いえ、ちょっと見ていただけですので」
「そのドレスですか? 素敵でしょう? 真珠がアクセントになっているんですよ」
所詮ドレスの飾りだから本物である必要はないが、賭けてもいい。あの真珠は模造品だろう。
「試着だけでもどうです? お似合いだと思いますよ」
どこが、だ。地味な黒髪に、そのキラキラしさは浮くぞ。
「や、本当に先を急ぎますので、また今度っ!」
すると、男爵家の次男は、私の手をがっちりと掴んできた。振り払おうとしたが、びくともしない。
おいっ!
助けを求めて肩越しに後ろを見ると、テルマがいない。なぜ? 何がどうして、こうなってる?
「前々からお近づきになりたいと思っていたのですよ、美しい方。夕食でも一緒にいかがですか? 貴女になら、ドレスの二、三着くらいプレゼントしますよ」
要らんわ! その汚い手を離せ!
王都の路上でそう啖呵を切ろうとした時、横から腕がぬっと伸びてきて、グラーザー家の息子の手を捻りあげた。
「押し売り、路上の客引きは違法だぞ」
のんびりとした声が頭上から降ってきた。
目を上げて、さらに上を見て、リンツ団長の見慣れたブルーグレーの髪を確かめて、私はホッと息をついた。
「押し売りだなんて人聞きの悪い事を言うな。ただの痴話喧嘩に口を挟むなんて無粋だろっ!」
「無粋なのはどっちだ。知らなきゃ教えてやるが、痴話喧嘩ってのは、恋人同士がするもんだ。それにな、こいつはお前より前に俺とディナーデートの約束があるんだよ」
「いえ、約束はしてませんよね」
思わず口を挟むと、リンツ団長はカラカラと笑ってゴドフリート・グラーザーの頭を軽く小突いた。
「ほらな、こいつを口説くのには一筋縄ではいかないんだ。お前は俺の後ろ。順番はちゃんと守れよ?」