6. ディアナ、灰色熊の縄張りに入る
「お、本物だったか」
門番小屋の固いベンチにテルマと並んで座っていた私の顔を見るなり、リンツ団長はそう言った。
今日も無駄にでかい。首が痛くなる。
「ニセ者の私がいるとは知りませんでした」
すると、リンツ団長はニッと笑って、『メモの名前が短かったから使いの者かと思った』と、言う。
「街に出る用事があったので、ついでに寄りました」
「ああ、それで今日はお嬢様な格好なわけだ」
今日の私は、青と黄色のチェック柄の外出着だ。フリルやレースなんかはついていないし、それほどお嬢様っぽくはないのだが。
「私にお話があると、リヒトさんから伺いましたけど?」
「おう、それよ。ここで話すのもなんだから、俺の執務室に来ないか?」
うわっ。まさかの取り調べ?
あの香料に、違法成分は含まれていないはずなんだけどなあ。
「あの……ここでいいです」
「何を警戒してるんだ。いきなり襲ったりしないって」
「いきなりじゃなかったら、人を襲うんですか?」
やはり熊。
「そこは段階を踏んでだな――じゃなかった――美味い茶と菓子があるが?」
「ジークさん、お菓子なんて食べるんですか?」
「俺は食わんが、甘党の団員が毎日買い込んでいる」
「それ、ジークさんのじゃないでしょう。ダメですよ」
「ああ、そう言えば」
門番のオジさんがポンと手を打った。
「さっきエミール副団長が、『緑の丘』の箱を持って帰って来てましたね」
なんですと?! 『緑の丘』といえば、王都の女性に人気の有名菓子店ではないか。
「やはり、執務室におじゃまします」
「相変わらず清々しいな!」
『お嬢様、それは……』と、テルマが呟いた気がしたが、気にしない。
「じゃ、行くか。途中で、エミールから菓子を奪取しなきゃな」
リンツ団長はそう言って、軽くひじを曲げた腕を私に差し出した。
どうしろと?
私は両手でリンツ団長の腕にぶら下がってみた。
おー! びくともしない。面白い。
後で門番のオジさんがブフォっと吹き出し、リンツ団長も声を上げて笑った。
「お前な、こういう時は軽く腕をかけるんだよ。歩く時のエスコートだ」
ああ、それ?
リンツ団長は私の手を取ると、自分の腕に引っかけるように添えさせた。
灰色熊さんは、手もでかい。
けれど、そのしぐさはとても優しくて、見かけによらず繊細な人だなと思った。
私は門番のオジさんに礼を言ってから、リンツ団長と一緒に門番小屋を出た。
少し離れてテルマがついてくる。
「本当にエスコート慣れしてないんだな。歩き方がぎこちない」
「実践したのは一度きりなんで」
「一度きり?」
「社交界デビューの王宮夜会で。エスコートは父でした」
「は? だが、その後は?」
「どの後ですか?」
「デビューの夜会の後だ。誰もエスコートしてくれなかったのか?」
「いえ、それが最初で最後の夜会です」
「嫌な思いでもしたか?」
気遣わしげな声に、私は笑顔で頭を横に振った。
「いえ、行く機会がないもので。うちは母がおりませんし、父は引きこもりのようなものですし」
「そうか」
少し間があった。
「オーレン侯爵家の夜会にでも行ってみるか? あそこのデザートは美味いぞ」
オーレン侯爵って、国政のお偉方だったよね。
「ジークさん、お付き合いあるんですか?」
「ああ、招待状ならいつでも手に入る」
「騎士団長って顔が広いんですね」
ちょっぴり行きたい気もする。
デビューの時のドレスでもいいかな……
「ジークさん」
「なんだ?」
「さっきから気になっているんですけど」
「ああ」
「どうして行き交う騎士団の方は、『団長が女連れ』と囁き合っているのでしょう?」
「挨拶だと思え」
「はあ……」
ほどなく私達は、大きな三階建ての建物に入った。
玄関ホールから左側には大テーブルと椅子が並んでいる。食堂かなと思ったのだが……
ホールとテーブルのあるスペースを仕切っている低い壁と観葉植物の間から、いくつもの目がこちらを見ている。
『団長が堅気の女子と話してる』
『マジか』
『よせ。押すな』
『彼女、びびってないか?』
『全然。むしろ笑ってる』
『すげえ。剛の者だな』
『剛の者だわ』
頭の上でスッと息を吸い込む音がした。
「そこのお前ら、今すぐ修練場を十周して来いっ!!」
雷が落ちた。
「は、はひいいいぃっ!!」
情けない声を上げて、出てくる出てくる。
「凄いですね」
「躾がなってなくてすまんな」
「あんな狭い所に、何人隠れてたんでしょう?」
「そこか!」
リンツ団長はケラケラ笑って、『お前の着眼点が謎過ぎる』と言った。
失敬な。これでも学生時代は、『着眼点がすばらしい』と絶賛された天才だからね。