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4. ディアナ、灰色熊に捕獲される

 落ち着け、私。


 変装は完璧よ。

 顔を上げすぎて、ストールはずり落ちかけているけれど、店の灯りは暗いし化粧もしてるし、第一、この人とは知合ったばかりだもの。絶対ばれっこないって。

 ああ、でも緑色の目がまん丸になってる――


 リンツ団長は私の顎に手をあてて上を向かせると、顔を近づけてきた。


 近い、近い、近い、近い!


「ディアナ・エリザベート・アデリア・ルイ・グラウシュタット、ここで何をしている?」


 あ、フルネームを覚えてた?

 とってもいい笑顔でささやくように言われたのだけれど、こっ、怖い。灰色熊さん、目が全く笑ってません。


「ワタシ、コノクニノ言葉、ヨクワカリマセン」


 とっさに外国語で答える。隊商が話す、はるか南方の国の言葉だ。

 私は、ディアナじゃないのよ~。そっくりの他人よ~。


「心配スルナ。俺ハ、ソッチノ言葉モ話セル」


 やだ。この人。


「モウ一度訊ク。ココデ何ヲシテイタ?」

「……商売。香料ヲ売リニ来マシタ」

「はあっ? ああ……いや……後ロニアルノハ、オ前ノ金カ?」


 私は首を横に振った。


「店ノ売上ゲ。数エテテマシタ」


 リンツ団長の視線の先には、まだ酒の残ったグラスが二個。ええ、二個ですよ。


「客ハドコダ?」

「ズット前ニ帰リマシタ」

「俺達ガ来ル前ニ?」

「ハイ」

「なるほど」


 リンツ団長は私の顔が隠れるように頭のストールを直すと、腰に手を回して抱き寄せた。


「エミール! 少し外すが、いいか?」


 リンツ団長の声が上から聞こえる。


「いいかって……むしろ、もうお帰り下さい」


 呆れたような口調で、エミールと呼ばれた男が答えた。


「夕方から非番なのに勝手について来たんですから。巡回くらい俺達だけでできますって――って、団長、お持ち帰りですか? 立場を笠に着ての強要はダメですよ」

「阿呆! 誰が公私混同をするか! 知り合いの娘だ。家まで送ってくる」

「ああ、そうでしたか。つまらない」

「生憎だったな」

「全くですよ。三十ニにもなって浮いた噂もないなんて。ま、仕事はきっちりやっておきますので、やはりお帰り下さい」

「そうだな……では頼む。明朝、報告をしてくれ」

「承知いたしました」


 ええっ、待って。送ってくれなんて誰も頼んでない! しかも正面玄関に送りつけられたら、家を抜け出したのがバレるじゃないの。ヨハンとか、ヨハンとか、ヨハンに。

 抜け道がバレたら、絶対塞がれる!


 慌ててリンツ団長の服を引っ張ると、『どうした?』と身を屈めてきた。


 だから――近いっての!


 父親でもこんな近くに来ることはない。体温と香水か何かのほのかな匂いを感じて、変に意識してしまう。


「あの……アノ……デキレバ、裏門カラ帰リタイデス」

「承知した」


 リンツ団長は、笑いをこらえてそう言った。



 店の外に出ると、騎士見習いの制服を着た少年がしゃちほこばってリンツ団長に馬の手綱を渡した。

 私をチラチラ見るの、やめてくれないかなあ。


「俺はこのまま帰る。お前はエミールと同行せよ」

「し、承知いたしました!」

「張り切りすぎて怪我をするなよ」


 リンツ団長は少年の肩をポンとたたくと、私の両脇を抱えて馬上に横座りにさせた。


 まるで王女様を扱うような丁寧さ、恐れ入ります。でもね、私、今は下町の怪しい小娘なわけで。

 うわぁ。男の子の視線が痛い。

 崇拝する騎士団長が、こんな女に?って目だ。


 はあ、と、私はため息をついた。


 リンツ団長が、私の後ろにひらりと乗る。


「まわりを見るな。遠回りで帰るぞ」

 耳元でささやかれた言葉は意外なものだった。

「うちの巡回で野次馬が出て来ている。まっすぐ屋敷街に向かうのも変だろう」


 ああ、そうですね――なんて思った私は甘かった。


 リンツ団長は馬で遠回りしながら、『誰に貢いでる?』と訊いてきた。


「貢ぐって何ですか」

「好きな男に際限なく金品を渡して愛情表現することだな」

「誰が言葉の意味を教えてくれと? 貢いでなんかいませんよ。どこからそんな考えが誕生するんです?」

「名家の令嬢が大金を必要とするなんてそれくらいだろう? まあ、ドレスや宝石に散財する娘もいるが、お前を夜会で見かけたこともないし」


 ジークさん、夜会とか行くんだ。


「お嬢様だって、親に内緒の小遣いくらい欲しいと思わないんですか?」


 リンツ団長は鼻で笑った。


「お前、働いてるじゃないか。大学職員の給料がどのくらいか知らんが、うちの騎士見習いよりは高給のはずだ」


 ぐっと言葉に詰まる。


 『貢いでいる』というのはあながち間違いではない。

 私は貢いでいるのだ。貴族の見栄に。グラウシュタットという家に。そして、父に。


「ただ単にお金儲けが好きなのかも」

「それなら最初っからそう言うんじゃないのか?」

「追究がしつこいです!」


 そして厳しい。


「仕事だからな」


 リンツ団長は悪びれずにそう言った。


「私は犯罪者ですか」

「すまん。そういうわけではないのだが。あまりの不自然さが気になってな」

「悪い恋人なんていませんよ。お金は……ちょっと欲しいものがあって……高価なんで……貯めているんです」

「ああ、希少物の本かなにかか? 大概にしろよ。あんな物、骨董商が値をつり上げているだけだ」


 それ、うちの父にそのまま言ってくれませんか?


「はあ。無理をしないようにします」

「それに治安がよいとはいえ、若い娘が夜に出歩くのは感心しない。さらってくれと言ってるようなものだ。もうするな」

「えーっ」

「次に見つけたら、正面玄関から父君のもとに送りつけるからな」


 うげ~っ。


 父は怖くない。

 ヨハンだって、本気で怖くはない。

 本当に怖いのは―――



 あー、来月の支払いできるかな……



 月末一括払いで食料品と日用品を納めてくれる、商家の集金人が一番怖い私であった。



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