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2. ディアナ、灰色熊に釣られる

 結局、私が借りた六冊の本は、リンツ団長の腕に収まった。


 彼は、淑女に重い物を持たせられないという、やや時代錯誤な騎士道精神の持ち主らしい。

 まあ、是非とも持ちたいというなら仕方がない。べつに王立図書館の貴重資料閲覧のチャンスに釣られたわけでは――おほほほほ。


「グラウシュタットといえば名門の伯爵家だろう。どうして、いい家のお嬢様が大学の職員なんてやってんだ?」


 図書館の出口に向かいながら、リンツ団長が訊ねた。


「学問が好きだから」


 簡潔に答える。


「それなら学生になった方がいいんじゃないのか? 女子に門戸を開いているところもあるだろう」

「大学の課程は三年前に修了しています」

「冗談だろ? お前、まだ十八、九じゃないのか?」

「十八ですよ。飛び級したんです」

「それはすごい! 頭がいいんだな」


 純粋な誉め言葉がくすぐったい。


 誉めらてるところ申し訳ないけど、私はのっぴきならない理由で血を吐くほど勉強したのですよ、灰色熊さん。


 確かに我がグラウシュタット家は、王家と同じくらい古い家柄だ。その一方で、学者肌で世渡り下手な者が多い。

 現伯爵の父は典型的なグラウシュタット家の人間だった。

 国政の職務には就かず、かといって事業をするわけでもなく、屋敷の書斎にこもって研究三昧の日々を過ごしている。

 しかし王都での生活は経費が嵩む。伯爵家としての体面を保とうとすれば尚更。

 お金が勿体ない――私が必死で勉強して飛び級したのは、そんな世知辛い理由からだった。

 そして大学に通っているうちに、ここの職員なら貴族の娘でも、家計が火の車だと悟られることなく働けると気づいたのだ。


「俺はダメだな。じっとしていられない(たち)だから」

「ああ、そんな感じですね」

「いいかげん腰を落ち着けろと、よく親父に言われる」

「ジークさん、それ意味違いますから。結婚しろってことですよ?」

「そうなのか?」

「――あ、さては分かって言っていますね?」

「さあな」

「結婚は人生の墓場だと思っているタイプですか……」

「勝手に決めつけるな」


 リンツ団長は小さく笑った。


「それはそうと、お前は何の研究をしているんだ? 古代史、地質学、園芸、料理? 借りてきた本はバラバラだ」

「何にでも興味があるもので」

 私は肩をすくめた。

「大学で学んだのは一般錬金術です。専門は色彩の合成」

「うーん、よく分からん世界だな」

「そうですか? 意外と実用的なんですよ?」


 とりとめもない話をしながら歩く。


 閉館間際の図書館は、人影がまばらだ。でも、すれ違う人が全員二度見するのは気のせい――じゃないな。

 ガタイのいい騎士様に本を持たせて歩くなんて、どこのお姫様よ、私。


「俺は通常、王都内の詰所にいる。資料を見に行きたい時は、そっちに連絡をくれ。都合をつけるから」

「えっ。別に一緒に来なくても、一筆書いてもらえれば」

「それだと今日と同じレベルまでしか閲覧できない。俺に同行すれば、奥の書庫の文書も見られる」


 リンツ団長の声が笑いを帯びる。


「マスクと白手袋が必要なレベルの、だぞ?」

「お供させていただきます」

「清々しいほど、現金だな!」

「長いものには巻かれる主義です。とはいっても、全くの世間知らずじゃありませんからね? 私といることによるジークさんの利点は何ですか?」

「そりゃあ、あれだ。可愛いくて魅力的な女性とお近づきになりたくない男がいるか?」

「いないでしょうけど、性別以外、私には当てはまりません」

「分かった、分かった」


 リンツ団長はクックッと笑った。


「頭のいい女ってのは面白いもんだな。要するに両親の見合い攻勢から逃れるために、女性の影が必要なわけだ」

「言っちゃ何ですが、ジークさんモテるでしょう?」

「花街のお姉さんにモテても駄目なんだよ」

「そうですね……あちらも、金払いのいい男性が好きなだけでしょうし……」

「しみじみ言うな。切なくなる」


 廊下の角を曲がると、正面玄関の戸口に見知った男が立っていた。

 白髪頭の初老の彼は、うちの従者兼、馬丁兼、庭師のヨハンである。我が家のような貧乏貴族にとってはありがたい、マルチな才能の持ち主だ。


「うちの従者が来ていますので、ここまでで結構です。ありがとうございました」


 私はリンツ団長を見上げて、本を受け取ろうと手を差し出した。

 が、私の手に本が乗せられることはなく、リンツ団長は大きな手で、私の頭をポンポンと軽くたたいた。


「またな。いつでも連絡してこい――従者殿、お嬢様の本だ」


 リンツ団長はヨハンに本を預けると、片手を軽く上げて出ていった。


「お嬢様、あの方は?」


 ヨハンが顔をしかめて言う。


「聖ルドヴィック騎士団の方よ」

「左様でございますか。しかし、父上様の許しなく若い殿方と親しくされるのは如何なものかと」

「分かってる」


 その父上は、娘の交遊関係どころか、今夜の夕食にも無関心じゃない。


 心の中でつっこんで、私は家路についた。


 家でやることは山ほどある。


 父に無理矢理ご飯を食べさせて風呂場に追い込んだり、使用人の給料を払うために帳簿とにらめっこしたり、お付き合いのある家からの夜会の招待状に欠席の手紙を書いたり――


 なぜ、私は毎日こんなことをしているんだろう?


 田舎に引っ込めば、領地からの税収でささやかでも暮らしていけるのに。


 目を上げれば、正面の壁に掛けられた亡き母の肖像画が飛び込んできた。

 柔らかに微笑む金髪美人。あの陰気な父には勿体無い。


『ディー、お父様をお願いね』――それが、母の最期の言葉だった。


「ああ、もう! しょうがないなあ!」


 私は頭をガシガシと掻いてから立ち上がった。


「今日もやりますか!」


 誰も聞く者がいない虚空に向かって、私は諦めたようなため息をついた。



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