10. ディアナ、灰色熊の友達になる
「騎士団長風情が、でかい顔するなよ! 今に吠え面かかせてやる!」
そう捨て台詞を残して、店に引っ込んだゴドフリート・グラーザー。
ちょっと、待て。月並み過ぎるだろう。
笑いが一気に込み上げてくる。
「灰色熊さん、今の――今の聞きました?」
「あ? 聞いたがどうした」
「おか……おかしくないんですか……?」
私はこらえきれずに笑いだした。
まるで、お芝居の悪役のような台詞ではないか。威勢がよい割に後退りで逃げるし。おまけに、私たちは呆気にとられて、並んで見送って……ああ、そうか熊だもんね。目を反らさず後退りで逃げるのは必須だった。
ひーひーと引き笑いを繰り返すと、リンツ団長は私の背中をポンポンと叩いた。
「かわいそうに。そんなに怖かったか?」
違うって、ヒステリー発作じゃないよ。あ、ダメ。勘違いされてると思ったら、ますますおかしい。
「あの、うちのお嬢様は大丈夫でしょうか?」
後ろからテルマの声がする。
「ああ、大丈夫だ。怪我はない。ちょっと衝撃を受けたんだろう」
衝撃じゃなくて、笑撃ね――って、テルマ、どこに行ってたんだろう?
振り向くと、肩で息をするテルマと、ルドヴィック騎士団の制服を着た若者が立っていた。こちらは汗ひとつかいていない。
「あの男、以前からうちのお嬢様を狙ってたんです。旦那様がキッパリ断ってらっしゃるのに、しつこく何度も縁談を持ち込んで」
はい? それ、初耳ですが?
ついでに、あの引きこもり親父と『キッパリ』の副詞が結び付かない。
聞くと、テルマは自分達だけではゴドフリート・グラーザーに対処しきれないと判断して、街中にいる聖ルドヴィック騎士団の団員に助けを求めに行ったのだという。
騎士達は、先日私と騎士団詰所を訪問したテルマの顔を覚えていて、一人がリンツ団長を呼びに走ったらしい。
「しかし、よく団員のいる場所が分かったな」
「騎士様たちの巡回経路は、下町育ちの者なら皆が知っております」
「いや、そうなんだが――は? 侍女殿は下町育ちか? てっきり、伯爵家に行儀見習いを兼ねて勤めている、郷士あたりのお嬢さんかと思っていた」
驚くリンツ団長に気をよくして、私はフフンと笑って彼を見上げた。
「テルマは、生粋の下町っ子なんです。でも、最初に奉公に上がった先の老婦人に娘のように可愛がられて、教育を受けて、そんじょそこらの貴族令嬢よりよっぽどお淑やかなんですよ」
「奉公人自慢か?」
「自慢ですが、何か?」
「お前、恵まれてるな。優秀で忠義心のある奉公人は貴重だぞ」
私は、『そうでしょ、そうでしょ』と笑顔で頷いた。
リンツ団長はクスリと笑うと、『俺もどうかしてるな』と、呟いた。
「はい?」
「いや。ところで、今日は買い物の予定だったのか?」
「そうなんです。来週、お茶会がありまして、ここで服を買うつもりだったんですが……」
「そうか。他に当てがないのなら、俺の知っている店に行くか?」
「花街のお姉さん用の服はちょっと……」
「阿呆、俺の身内が利用している店だ」
それは助かる。
貴族が利用する店は――なんと言うか――格式ばっている。
常連、もしくは常連の紹介がない者は、買い物できないという暗黙のルールがあるのだ。
「お願いします」
「お前のその潔さ、好きだな。ディナーデートはいつにする?」
「それについてはご容赦下さい。私もジークさんの引き際の良さ、好きですよ」
うふふと笑う私の後で、『団長と渡り合うなんて、マジすげえ』と呟く声が聞こえた。
リンツ団長が連れて行ってくれたのは、意外にも、王都で一番有名なデザイナーの店だった。
確か、王子妃殿下達のウエディングドレスもここの特注品だったはずだ。ああ、手がでないくらい高かったらどうしよう。
私の不安をよそに、リンツ団長は店の扉を開いた。
扉についているベルが軽やかな音をたてる。
「デリラ夫人はいるか?」
女性客だらけの店内に、堂々と声をかける灰色熊さん。
この人に、照れとか羞恥心とかはないに違いない。
「はい――あら、ジークフリート様? お珍しい」
「すまんが、俺の友人に茶会向きの服を見繕ってやってくれないか――ほら、遠慮してないで入れ」
リンツ団長は私の肩を掴んで、自分の前に立たせた。
金色の髪を後でひとつにまとめた女性が、にこやかに私に笑いかける。
うわ。飾り気のないドレスで、こんなにお洒落に見えるなんて反則だ。
自分がひどく場違いに思える。
いや、待て。私はリンツ団長の友人だ。
いつから友達になったのかは分からないが、騎士団長の友人だよ。場違いなんてことはない――はずだ。
騎士団長と友達だなんて、ちょっとかっこいいかも、と現実逃避をしてみる。
私も大学の同僚に『友人のリンツ団長よ』なんて言ってみたい。
「あら、あら、まあ、まあ。どこの揺りかごから拐ってらしたの?」
私の目の前に立つ女性が、からかうように眉を吊り上げた。
「そんなに年の差はない。グラウシュタット伯爵令嬢だ。よろしく頼む。手持ちの金子が足りないようなら、俺につけておいてくれ」
「かしこまりました」
私は上を向いた。
背後から私を見下ろしていた、リンツ団長の緑色の瞳と視線が合う。
「俺は仕事に戻る。うちの馬車を差し向けるから、帰りはそれに乗って帰れ」
「えーと、何から何まですみません」
「謝るな。友人に少しばかり便宜をはかるのは当然だろう?」
俺たちは友達だよな、という圧を感じて、私はコクコクと頷いた。
あ、首が痛い。
そして、こういう時に例のディナーデート話を持ち出さないリンツ団長は、本当に粋だなと思ったのだった。




