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1. ディアナ、灰色熊に遭う

「おい、そこで何をしている?」


 頭の上から、低い声が降ってきた。

 強い口調ではなかったが、床に座り込んで書類を読んでいた私は驚いて膝の上の箱を取り落としそうになった。


「おっと」


 大きな手が伸びてきて、箱を取り上げる。


 顔を上げると、目の前に大きな男がそびえ立っていた。

 後ろに撫で付けた髪は硬質な輝きを放つブルーグレーで、思わず『灰色熊だ』と思った。いや、本物の灰色熊なんて見たことないし、たぶん毛色も違うだろうけど。


「気をつけろ。大切な資料だ」

「あ、すみません。えっと……私は資料の閲覧中でありまして、この通り許可は取ってます」


 私は首から下げた資料室閲覧許可証を、両手で頭上高く掲げた。


「いや、そうではなくて」

 灰色熊さんは苦笑いを浮かべた。

「どうして床に座っているのかを聞いたのだ。そこにいくらでも椅子があるだろう」


「えっ? はっ! そうでした!」

 私は回りをぐるっと見回した。幸い他に人はいない。

「つい、夢中になりまして。お恥ずかしい限りです。誰にも見られてませんね。よかったです」


「俺に見られたのはいいのか……お前な、そんな黒ずくめで隠れるように座っていたら、どう見ても不審者だぞ」


「黒ずくめって――お言葉ですが、大学職員の制服が黒いのも、私の髪が黒いのも、不可抗力というものでございます」


「床に座り込むのも?」


「う、ぐっ、それは私の落ち度です……」


 灰色熊さんはクスッと笑うと、私に向かって手を差し出した。


「立て。もうすぐ閉館時間だ。続きは明日にするんだな」

「もうそんな時間ですか?」


 私は、灰色熊さんの手を掴んで立ち上がった。


「残念なことに、明日はダメです。ここ、休館日なんですよ」

「ああ、そうだったか。まあ、書類は逃げたりしないから心配いらんだろ」


 灰色熊さんはそう言って私から書類を取り上げると、パラパラと中身を確認して箱に入れた。それから迷うことなく、保管されていた場所に箱を戻す。


 王立図書館の司書かな? でも服装から見ると、騎士のようだ。軍所属でここにある資料が必要って、諜報員とか?


 ボンヤリ考え事をしていると、灰色熊さんが鍵をジャラジャラ鳴らしながら『行くぞ』と言った。

 慌てて後を追って資料室を出る。

 灰色熊さんは、入り口近くのレバーを引いた。明り取り窓に暗幕を張るための物だ。部屋の中が暗くなったのを確かめて、灰色熊さんは扉を閉め、鍵をかけた。


 それにしても大きいなあ。


 感心して眺めていると、振り返った灰色熊さんは面白がるように私を見下ろした。

 ん? よく見ると、なかなか美形ではないか。あ、左目蓋に白い傷痕発見。


「口が開いてるぞ」


 なぬ?


 慌てて唇を引き結ぶ。


「眼鏡もずれてる」


 あちゃー。


「それ、度が入ってないんじゃないのか?」

「えーとですね、これはアクセサリー的な何かです」

「『何か』って、眼鏡以外の何物でもないだろう」

「ええ、まあそうなんですけれど、度が入っていない眼鏡を眼鏡と定義していいのかとも思いまして――って、灰色熊さん! あなた、資料をしまい忘れてますよ!」

「ああ、これか?」


 灰色熊さんは持っている紙の束を軽く振った。


「借りて行くからいいんだ」

「いいわけないでしょう! ここの資料は持ち出し厳禁ですよ!」

「原則な」

「ええっ! 借りられる方法があるんですか?!」

「まあな」


 それ、知りたい。


「おーおー、目をキラキラさせてるとこ悪いが、一般人は借りられないぞ」

「えーっ! 職権濫用。権力の横暴反対」

「はいはい。何とでも言いな」


 私はブツブツ文句を言いながら、灰色熊さんの後ろを歩いた。


 資料室を出て細い通路をぬけると、王立図書館の職員カウンターの内側に出る。国の準機密文書を保管している資料室は、職員の目を盗んで勝手に出入りできないような作りになっているのだ。


「これ、ありがとうございました」


 私は閲覧許可証を首から外し、顔見知りの司書、リヒトさんに渡して、カウンターの外側に出た。


「お疲れ様です、ディアナさん。ご要望の本はそこに揃えてありますからね」

「ああ、何から何まですみません」


 六冊の分厚い本にほほずりしたい気持ちを抑える。一応、淑女だからね。


 灰色熊さんは、カウンターの内側で何かにサインを求められている。きっと、あれだ。資料の貸出し許可だ。


「お嬢ちゃん、ちょっと待ってろ。その荷物を運んでやる」


 灰色熊さんは、サインをしながら言った。


「『お嬢ちゃん』?」


 ムッとして聞き返すと、灰色熊さんは頭を上げてリヒトさんの手元を覗きこんだ。


「えーと……ディアナ・エリザベート・アデリア・ルイ・グラウシュタット嬢? 舌噛みそうな名前だな」

「ちょっ、灰色熊さん、人の貸出しカード見るのやめて下さい!」


 すると、リヒトさんがブフォっと噴き出した。


「あははは。灰色熊――リンツさんのことですか? あはっ……くっ、くっ、くっ、くっ、あー苦しい、腹痛い――」


 しまった! 心の声がだだ漏れしたらしい。


「リヒト、喧しい」


 灰色熊さんがリヒトさんのお腹をパンチした。軽く――たぶん、灰色熊さん的には軽く。でも、リヒトさんはお腹を押さえて呻いている。


 とにかく笑え、私。笑って誤魔化せ!


 私はへらっと笑った。


「大変ありがたいお話ではございますが、家の者が迎えに来るので、荷物持ちは要りません」

「あ? 王宮の寮にいるんじゃないのか」

「自宅通いです」

「へえ」

「それに、名前も知らない人に送ってもらうわけにはいきません」

「あー、そりゃそうだ」


 灰色熊さんはニッと笑うと両肘をカウンターについて身を乗り出した。緑色の瞳がやけに楽しそうだ。


「俺はジークフリート・リンツ。ジークとでも呼んでくれ。灰色熊でも一向に構わんがな」

「ディアナ・以下省略です。お会いできて光栄でした。さようなら」

「そうか。残念だな」


 灰色熊さんは、自分が借りた文書をこれ見よがしに振ってみせた。


「俺なら、色々便宜を図ってやれるのに」

「本当ですか?」


 疑わしげに横目で見ると、ジークさんはニッと笑った。


「俺は第三師団の団長だ。嘘だと思うなら、そこのリヒトに聞いてみろ」

「第三師団? 第三師団って……えーと、王都治安維持部隊でしたよね」


 私はコテンと首を傾げて灰色熊さんを見た。


「ああ。聖ルドヴィック騎士団だ」


 そうそう。王都のお屋敷街から下町まで警邏する庶民の味方、悪の敵。その団長は泣く子も黙る――


「――"雷神"ジーク・リンツ?」

「ご名答。賞品にディナーデートを出してやろうか?」

「滅相もございません! 命はまだ惜しいです!」

「なにげに失礼な奴だな」


 灰色熊――もとい、リンツ団長はカラカラと笑った。




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