廃校における物体Xとの邂逅について
夏の夕暮れの頃だ。茹だる様な暑さの中、柏木真緒は溶けたアイスを片手に、額に汗を浮かべて田舎道を歩いていた。学校指定の青みのかかったカッターシャツはズボンから出て、ボタンも2つ開いており、胸元から黒い色のついた下着が覗いていた。
「暑い、暑い!やってられっかぁ!はやく冬になってくれ!」
隣を歩く彼の友人、秋月燈火はそう叫びながら、食べ終わったアイスの棒を畦へと投げ捨て、今にも溶けてしまいそうな歩みを止めた。彼女の頭にかかるピンク色の如何にも女の子らしいタオルからは、黒と金の混ざる虎のように染められた、汗の滴るしっとりとした髪が覗いていた。
「去年の冬には夏になってくれって、鼻水垂らしながら言ってた癖に。両極端だよな、燈火は。」
「夏と冬があるのが悪いの!とーかちゃんはか弱い乙女だから気温の変化に弱いの!」
「お前の大好きな夏祭りも無くなるけどな」
ゲェ、と燈火は一気に悲壮感漂う表情に変わる。
「燈火、暑いから早く帰ろうぜ。」
しかし彼女は呼びかけには応じず、後を追う気配もない。僕は暑さと苛立ちを言葉に乗せて、振り向きざまに彼女を急かした。
「なあ、燈火!燈火?」
返事はない。ただ、振り返ると彼女はじっと一点を見つめていた。それは廃校だった。僕達が生まれる前に閉鎖した小学校。二階建ての木造の校舎は永い年月のせいで傷んでしまい、校門と校舎の入り口にはKEEPOUTの黄色いテープが張られていた。グラウンドは手入れがされておらず、雑草まみれだ。離れの用具倉庫に至っては去年の台風で屋根が剥がれてしまっている。
「なあ、ちょっと冒険してこうぜ?」
彼女は言った。何かに魅せられたかのようにただ廃校ばかりを見て、こちらに見向きもしない。
「は?おいおいおい!あぶねえって!」
「いーじゃん!ちょっと陰で休んでこーぜ!」
にへら。彼女は笑った。僕は溜息を吐いた。先ほどまでの暑さも忘れ、上機嫌に校門をよじ登る彼女を、僕は止めなかった。
廃校の中は涼しかった。キツい夏の夕日が割れた窓から差し込むにも関わらず、コンクリートで囲まれた地下室のように冷えた空気が漂っていた。ここ数年、人の出入りが無かったのであろう。降り積もった埃には足跡は無く、燈火は自分の足跡を残しては舞う埃に咳込む。
「ゲホッ、ゲホッ。すげえ埃だぁ。真緒、マスクくれ!あと、鍵かかってる。ガラス破るか?」
口元を押さえ、彼女はマスクを要求するが、当然普通の男子高校生が風邪もひかずにマスクを持ち歩く訳はなかった。ねえよ、と一言。要求を蹴った。校舎に入ってすぐ、この小学校は玄関ホールが二枚扉になていて、その内側には鍵がかけられていた。フム。僕は周囲を見回す。50枚ほど扉のついた靴入れ、枯れて土だけが入った植木鉢、20年は昔の劣化してボロボロになった連絡用紙の張られたコルクボード。僕は迷いもせず、靴入れの扉の一つ、縦二列目、横六番目の扉を開いた。この学校のすべての鍵が纏められたリングがそこには置かれていた。
「あった。」
リングを彼女に投げ渡す。彼女は目を丸くして僕を見た。
「すっげ、なんで一発で当てるんだ。来たことあんのかよ?」
「さあね、でも来たことなんか・・・」
頭痛がした。同時に脳裏に浮かぶ光景。ロッカーを開けて鍵を取る動作が、何度も脳内で繰り返された。今行った動作だからだろうか?
「真緒?なあ、真緒大丈夫?」
頭痛が引いて、フラッシュバックが治まった。気が付けば心配そうに肩を揺する燈火が居た。
「気温でやられたかも。大丈夫。少し休めばすぐ戻る。」
彼女の肩を叩いて、彼女よりも先に扉を潜る。さらに埃っぽい木造の床に、腐った床は軋みをあげて今にも踏み抜いてしまいそうだった。一年生とかかれた教室に先ほどの鍵を使って入る。机や椅子などの備品はそのままで、僕達は夕日差す窓際の席に座り込む。日が当たろうが、外程の暑さが無いどころか、校舎内の妙に冷えた空気から僕らを暖めてくれさえいた。
「此処、もう何年も誰も入ってないみたいだね。」
教室を見渡し、僕は言った。
「どっかのヤンキーでも入ってそうなんだけどなぁ。今は俺達の城って訳ね。」
「そのヤンキーってのは燈火の事だろ?あと僕を混ぜるな。」
にっこりと、笑顔を見せる彼女に僕は僅かばかりの反論を行う。満更ではなかったのだが、それは決して口には出さなかった。
「幽霊なんか出てきたりして?住処を奪いに来た燈火を呪ってやるって。」
「や、やめろよ真緒!そんな、幽霊なんて居るわけないし。」
幽霊のマネをして、怯える彼女を笑ってやる。百戦錬磨、喧嘩だけなら誰にも負けない燈火も、幽霊だけは苦手なようだ。
ギシリ、ギリシ・・・トットットッ。
そんな話題を出した直後の話だった。床の軋む音、廊下から誰かの足音がした。心臓が跳ね、僕達は慌てて振り返る。此処に入るところを誰かに見られて、大人たちに通報されたのだろうか?しかし、誰もいない。足音も続かず、誰かが覗く気配もない。
「今、誰かいた。子供だった・・・ちょっと見てくる!」
燈火が飛び出した。子供の姿など僕は見ておらず、そもそもとして此処に子供が入ってくること自体おかしな話だった。僕も慌てて立ち上がる。ズキリ。また頭痛だ。同じような光景、今のやり取りを何度も繰り返したような・・・すぐに頭痛は治まる。
「ま、待て、燈火!走ったら床が抜ける!行くな!」
「なら猶更あの子を連れ戻さないと、二階に行った!」
燈火は止まらない。僕が走り出したのは、燈火の背中が教室から消えた後の事だった。床の目に見えて劣化した部分を避け、慎重に足を進める。彼女の足跡は廊下へ、そして階段へと続き・・・そこで気が付いた。階段に足跡が一人分しかないのだ。振り返り廊下を見ても、燈火の分と僕の分、そしてこれから上る階段には、燈火の足跡ただ一つ。冷や汗が首筋を伝い、足が自然と早くなる。階段を上りきると、漸く彼女の背に追いついた。
「燈火!」
呼びかける声は半分叫ぶように、彼女に近付いて肩を掴んだ。反応はない。
「燈火!おい!」
激しく彼女を揺する。すると今度こそ・・・反応することはなかった。動作は振り返るように見えた。しかし、彼女の首だけが180度此方を向いたかと思えば、ゴトリと音を立てて床に落ちる。恐らく何にも気が付くことなく、先程背を追った時と変わらぬ表情のままだった。それを追うように体が崩れた所で気が付いた。目の前に少女が居た。
「キヒッ、だめだよぉ?此処は立ち入り禁止なんだから。」
少女は独特な見た目をしていた。髪は緑で、漫画のようなファンタジックなゴスロリ服。人形のように肌は白く、触れるだけで折れそうな程四肢は細い。瞳の色も、金と緑と、俗に言うヘテロクロミアという奴だ。何よりも、足元の血だまりと、手にした血の付いた刀に目を奪われる。血の粘着質な足音を立てながら、少女は僕に足を進めた。
「あ、とー、か・・・?なんで、なん・・・」
足が竦む。後ずさる事も忘れ、刀を振る少女を呆然と見ているしかできなかった。腹部に走る熱は痛みに変わり、刺しこまれた刀が内臓をぐちゃぐちゃにかき回す。刀を引き抜かれると同時に口と傷から血が溢れ、体が傾き、階段へと崩れる。その時だった。弱弱しくも振った手は少女の腕をつかみ、少女を巻き込んで一緒に階段を転げ落ちる。踊り場に体が着いた頃には少女の腹部には自らの刀が深々と刺さり、四肢どころか、首の骨まで折れ、180度回転した顔が此方を覗いていた。しかし、その顔は未だに笑っており、瞬きさえも行う。手放しかけた意識の中最後に見た物は、少女の金色の瞳に浮かんだ時計の針が、逆回転をする光景だった。
頭痛がする。一瞬だけ意識が飛んでいたのか、今燈火と何を話していたのかさえ思い出せなかった。
「なあ、ちょっと冒険してこうぜ?」
何かに魅せられたかのようにただ廃校ばかりを見て、燈火はそう言った。
「は?おいおいおい!あぶねえって!」
「いーじゃん!ちょっと陰で休んでこーぜ!真緒、今調子悪そうだったし。」
にへら。彼女は笑った。頭痛がする。先ほどまでの暑さも忘れ、上機嫌に校門をよじ登る彼女を、僕はその背を掴んで引きずり下ろした。
「う、わぁっ!!あぶねーな!!」
何故か彼女を止めないといけない気がした。運動神経の良い彼女は地に足をつけ、唸るように僕に怒りの表情を見せつける。
「んなとこ寄る暇があったらさっさと帰ってかき氷食おうぜ。練乳買い足しといたからさ。」
「マジ?なら早く言ってくれよな!行こうぜ、練乳が待ってる!」
「かき氷がメインだろ、ったく・・・」
単純な女だ。などと心の中で呟き、早速走り出した彼女に溜息を吐いた。ふと、思い立ったように廃校を見た。自分は何故彼女を止めたのだろうか?考えてみれど、すぐに興味を失って廃校に背を向けた。その背を見つめ、手を振る少女の姿にも気付かずに。




