義兄の狂愛 2
あの言葉は嘘ではなく、少女は彼の父に引き取られ約五年が経過する。
今では義理の兄コルメインが立派な商人の跡取りとなって父の仕事を手伝っていた。
ある日、コルメインと散歩に出掛けた時のことだった。
突然背後から誰かが襲ってきたのだ。
「泥棒! 誰か!」
コルメインは何が起きたかわからない。手をつないでいたリュエは地面に倒れ、意識を失う。
「リュエ!」
そんな過去が10年前にあって、襲われたのは自分のせいだと彼は今でも後悔しているのだろうか。
リュエが襲われてからコルメインは人一倍警戒するようになった。
家のセキュリティを厳重にしたり、学び舎への送り迎えを欠かさないのである。
リュエは彼に感謝しつつも心配しすぎだと思っていた。
それでいて若くて働き盛りのコルメインが仕事より自分を守るためにいつも気を張っていて、申し訳なさが半端ではない。
わかってはいても、義妹思いなのはいいことだけれども、少し過剰気味だ。
その日は朝早くから急用でコルメインは出掛けていった。
両親はお仕事で違う国にいる。彼が帰ってくるまでの間、休日で暇を持て余していたリュエはふと興味本位で裏庭に出てみる。
そこには小さな畑があり、以前に出来心で家庭菜園のイチゴのつまみ食いをしようとして、クライアントからの商品だと彼に注意され、それから一切手をつけていなかった。
「肥料用かしら……」
野菜が手つかずのまま腐敗しているではないか。
せっかく育てた野菜達を腐らせてしまうのは勿体無いと思いつつ、口元を抑えて臭いを我慢する。
動物は買っていないが、農家への商品提供だろう。
それにしても、本来なら私は何かしなくちゃいけない貰われた子なのに、何も仕事をしないのは心苦しい。
「こら、イチゴはないよ」
「そ、そんなこともうしないから……!」
私の視線が異臭のする野菜にいく。すると思い出したようにコルメインがそれが何か気になるのかたずねてくる。
「ああ、それは肥料にしようとしていたんだよ」
「あ、そうだわ、おかえりなさい」
「ただいま」
コルメインは挨拶を返すと家の中に戻ろうとした。
しかし、私に背を向けたままで足を止める。
どうしたのだろうと首を傾げると、彼は振り返り真剣な表情で言うのだ。
「リュエは学校で友人はできた?」
「うん、それとローズブーケ先輩は大公様のお嬢様でとても憧れなの!」
「親しい人がいるのはいいことだ」
◆
「コルメインはとても理想的な夫になりそう」と家の前を通りかかった若い女が、その友人らに話しているのを部屋の窓から目にする。
義兄のことを街の女性たちに褒められて嬉しかった少女は誇らしげにうんうん頷く。
「今日は機嫌がいいですね。何かいいことでも?」
リュエの友人であるシアネは紅茶の入ったティーカップを差し出す。
彼女はリュエと同じ年頃の平民の少女だが、王子の細君候補で彼女の方がずっと大人びていて、こういう立派な淑女に少しでも近づけたらと思ったことは一度や二度ではない。
この学園では身分など関係ないのだが、やはり貴族出身者が多く、リュエのように平民出身というのは珍しい存在なのだ。
「実はね、義兄さんのこと街の女性達にほめられていたの! あの人は凄いでしょうって胸を張って自慢したい気分よ」
「まぁ、そうなのですか? でも、コルメイン殿がリュエさんの自慢をする姿はあまり想像できませんね」
リュエは少し考えて、確かに自分のことを話すような人ではないかもしれないと思う。
彼は常に優しくて紳士的だけれども、あまり自分のことを語らない人だ。
それにしても、どうしてこんなにも彼のことが気になるのかしら……。
最近、何故か妙にコルメインを意識している自分に戸惑いを覚える。
義兄は自分にとって父親代わりであり、恩人でもある。
そのことに間違いはないが、最近はなんだか変な気持ちになってしまうのだ。
「シアネが王子様の候補でよかったわ……」
彼女はリュエの良き理解者であり、親友である。
同じ庶民出身のため気が合うし、だからこそ恋愛本のような修羅場は遠慮願う。
リュエは現時点でコルメイン以外に好きな人がいなかった。
彼がもし他の人と婚約してしまったら寂しいけれども、仕方ないと思っている。
自分は彼と血の繋がりはないが、彼に相応しい女性がいつか現れれば、この身を引かなくてはならない。
◆
コルメインは朝早くから外出していた。
いつもならコルメインが出掛ける前にお弁当を持たせてくれるのだが、今朝は忘れてしまったようだ。
「貴族に嫁がせるから必要ないなんて、理想が高すぎるわ!」
自分でお料理をしないと、彼が奥さんと生活するってなったら困るから、帰宅したら練習しないとだ。
でも食材を勝手に使うと献立が崩れて迷惑がかかるかもだ。
夫婦喧嘩で奥さんが旦那にやられて怒ることが多いやつだもの。
「あれ、誰かしら?」
変な視線に振り向くと、不審な男がいて、シアネ目当てのやつかしら。
いつもはシアネと帰るのだが、今日は王子とのデートだから一人なのよね。
コルメインも今日は来ていないから、はじめてだけど一人で帰らないとだ。
貴族なら電話機でお迎えを呼べるけれど、平民は買えない代物だ。
それに兄を呼びつけるなど不躾にもほどがある。
リュエは男を無視して歩き出そうとしたが、男は慌てて追いかけてきた。
リュエは怖くて、走って逃げようとしたが、相手は体格が良く、すぐに追い付かれてしまう。
そして腕を掴まれてしまい、悲鳴を上げようとした瞬間だった。
リュエの前に見慣れた人物が飛び出してきて彼女を庇った。
「コルメイン!」
彼は昨日も遅くまで仕事で疲れていたはずなのに、私のために駆けつけてくれた。
リュエは涙目になって彼を見上げる。すると彼は安心させるように微笑んだ。
その笑顔を見て、ほっとしたのも束の間、コルメインが腕を掴んだ男の手を捻りあげる。
「はなせ!」
すると、相手の男は痛がって大声を上げるが、コルメインは容赦なく締め上げていく。
リュエが慌てて止めると、コルメインはやっと手を離してくれた。
すると、男は一目散に逃げていってしまった。
彼はリュエの手を引いて家に連れていく。
「何かされなかった?」
「コルメインこそ、けがはない?」
コルメインが怪我をしている様子はなかった。
「大丈夫、抵抗されてシャツをかすっただけだよ。心配性すぎ」
子供のように頭を撫でられる。
心配性の彼に言われてリュエはクスリと笑ってしまう。
同時に、まだまだ子供なのだとしょんぼりする。
「リュエに何かあったら、僕は生きていけないよ」
コルメインが真剣な表情でそう言ったものだから、リュエは照れ臭くなって俯いてしまった。
◆
学校で昨日不審な男がいたことを友人に話す。
「リュエさん、それもしかして……」
新聞を読むと、領主の息子が覆面の青年に腕を折られたと書かれていた。
この領主の息子を襲ったのが、昨日の男?
「大変……昨日の?」
「この男がボウカンですか?」
シアネが震えている。
「写真はないから、これだけじゃあ……」
「きっと私のことは記事にならないはずよ」
コルメイン達に迷惑がかかるわ。なんて、そんなことを気にする段階ではなくなっていた。
◆
「複雑な気分だ。不審な男への警戒はとりあげるべきだが、リュエは見世物にするわけにいかない」
「コルメインだな。領主様がお呼びだ」
「誰だ? ここが豪商のレゾンデドルの別邸だと知っての狼藉か?
領主様の名を騙るというのなら、貴様の同行は不要。すぐに本人の屋敷に己が足で出向こう」
コルメインは威圧感を出して睨み付ける。
「ええい! いかに大きな商家であれ、領主様は忙しいのだ」
領主の使いと名乗る男は少し怯むものの、負けじと言い返した。
その態度から、コルメインは相手が貴族の出であると察する。
しかし、彼はこの国の貴族ではない。コルメインは貴族とは関わり合いになりたくなかった。
だが、相手はコルメインの事情を知らない。下手に出て引き下がるような人物ではなかった。
「ではこうしよう。自分で領主様のところへ歩く。貴殿はこちらの後ろから監視としてついてくるというので手を打とう」
コルメインはあえて相手の提案を受け入れ、自分の要求で上乗せした。
そして、彼の言う通りに後ろに控えさせておきながら、隠れていた集団がやってきて背後から襲ってくる。
護衛を雇わなかったことを後悔した。
コルメインは振り向きざまに相手を殴り飛ばすと、殴られた男は地面に倒れ込んだ。
「領主様、お目通りが叶い大変喜ばしいです」
「おお、そうか……して、此度の件なのだが」
「ええ、ご子息に不運がおありだそうで……昨日の夕刻だそうですね」
「耳が早い。さすがはレゾンデドルの後継者だ」
「領主様のご子息は、同い年でしたか、お見掛けしたことが一度もないのですが繊細な方なのでしょう」
コルメインは嫌味を込めて返す。
すると、領主は不快そうな顔をしながらも、平然と受け流している。
これが貴族というものだろうか。それとも、自分が舐められているのか……。
どちらにせよ、コルメインは腹立たしかった。
「そなたが昨日、息子に会ったと聞いたがどういうことなのだろうな?」
「……! これはこれは、おかしいですね。その時間は義妹が不埒な汚らしい野蛮で気味の悪い同年代の男に後をつけられてはたはた迷惑していたのです。あんな輩を野放しにしているとは、警備兵の怠慢と堕落が見てとれます」
「しゃべりすぎだな」
「うっうるさい! 誰が汚い男だと!?」
領主の息子が怒り狂いながらズンズンとコルメインに詰め寄った。
「うちはこれでも庶民なので、畑で野菜を腐らせて肥料をつくっているのです。その野菜、だれかお食べになりましたか?」
「この!」
領主の息子が腕を振り上げて殴ろうとする。コルメインはそれをさけて、領主の息子がそのまま握り拳でツボを破壊した。
「馬鹿者が! いくらしたとおもっている! ただでさえ王への上納金が!」
「ところで、先ほど認めましたね、自分が義妹に付きまとった汚い男だと」
「あ……」
「出ていけバカ息子! 貴様などいらん!」
領主が怒鳴ると、領主の息子は慌てて部屋から出ていった。
「さて、話を戻そう。 あんなクズでもワシの一人息子なのでな。 息子が少女に付きまとった証拠はないが、そなたが腕を捻ったのは写真があるのだ」
「おや、そんな都合のいいことが通ると?」
コルメインが余裕の笑みを浮かべて返すと、領主は鼻で笑って言い返した。
「領主様! 隣国から王の兵が!」
「王族の血を継承する豪商レゾンデドルを下級貴族に舐められるとは、精進しなければ」
コルメインは写真を領主にチラリと見せた。
「夕方、新聞をお買いになるのをお忘れなく」
コルメインはそう言って立ち去った。
◆
コルメインが帰宅すると、リュエが心配そうに駆け寄る。
「問題はすべて解決したよ。なにも心配はいらない」
「よかった!」
安心して笑顔を見せるリュエに、コルメインも自然と頬が緩んだ。
「あのね」
「どうかした?」
「コルメインが送り迎えやお弁当を作ってくれたりは毎日じゃなくてほんのたまにでいいのよ?」
その言葉にコルメインは少し驚いた。
リュエはいつも喜んでくれると思っていたからだ。
「迷惑? 食事の味付けが気に入らない?」
「ち、違うの! 私を大切にしてくれるのはうれしいけれど、こういうのは普通の女の子にすることじゃないわ」
彼にしてみれば彼女が普通の存在ではないからこそ、コルメインにはわからなかった。
彼女は自分のことをただの義妹だと思っているのかもしれない。
コルメインにとって、彼女を守ることは喜びで、彼女が幸せであるように願っていた。
それが、彼女の肉親を救えなかった彼が唯一できる贖罪であり、彼なりの愛の形だから。
「わかったよ、その話は今日の夕刊の後でいいかな?」
「何かあるの?」
◆
「こうして、悪事が暴かれた領主の座を獲得したレゾンデドルはますます繁栄するのでした」
「すおーい!」
「グリューヌ、ルミュエーラ」
「ぱパいわねマまにご本を読んでもらうていたのでしゅ」
「よかったね。じゃあ次はパパが当時の新聞を……」
コルメインは、二人の娘の頭を撫でながら言った。
「それは早いんじゃない?」
新聞には素性は伏せられたリュエのこと、男の覆面を脱ぐ証拠写真、その場所が領主の屋敷である。
「ほんと、謎だわ」
誰がこの写真を?
当時のことは親友シアネとルカリエンデ王子殿下が知っている。
二人は私たちより先に結婚したのよね。
「まあ、それはいいじゃないか。持つべきものは友ってことだね」
「……そう、かしら?」
私は彼が過保護なだけでどこも狂ってない、普通より愛が重いだけだと思っていた。
「最後にお外へ出たのいつだったかしら……?」
まあ出られなくても友人達にも会えるしいいか、私はとても幸せだわ。




