その8
「なるほどねェ……」
ドルフがニコラスの方をちらとも見ないで言った。
「悪くはない。悪くねェ取引だ」
「そうか、では……」
話を進めようとするニコラスに対し、ドルフは短く何度も舌打ちした。
「まだ話の途中だぜェ。悪くはねェが、おれにはもっといい考えがある」
「というと?」
「そうさなァ……」
ドルフは立ち上がり、両手をテーブルにばんとついた。
「一部じゃ物足りねェ。全部だ。《モノリス》の全部、寄こせよォ」
脂ぎった目にニコラスが映った。口元は下卑た笑いでゆがんでいく。ニコラスは相手をせずに微笑で返す。
「なあ、ドルフ。君もそれが通らないことぐらいわかっているだろう?」
「へっへっへ、ニコラス。おまえの気を変えるために、おれァ、おみやげを持ってきたんだぜ。おい、ギル」
ドルフがあごで合図すると、後ろのギルと呼ばれたクズリが何やら大きな袋を取り出した。中からはカチャカチャとぶつかり合う音がする。ドルフはそれを受け取ると、無造作にニコラスの前に放り投げた。
袋は滑り、中身をこぼしながら止まった。テーブルにはきらきらと光る結晶がいくつか転がっている。青、赤、緑……様々な色をしたジュースだ。
ニコラスは袋の中に目をやった。微笑が消え、表情が怒りに染まる。
「ドルフッ!」
ニコラスはこぶしでテーブルを叩いた。今までにない、激しい口調であった。
テーブルを伝わる衝撃で袋からこぼれ落ちたのは、銀の四角いバッジだ。ニコラス、そしてビビッドたちのえりにあるものと同じ、《モノリス》であることを示すバッジだった。
バッジが意味するところはひとつ。このジュースは《エピタフ》から持って来たものではない。ホワイトモノリスで『現地調達』したものだ。
「なあ、おれが言っているのは交渉じゃねえ。宣言なんだよ」
扉が外から蹴り破られた。紫の集団が現れ、部屋を封鎖するように展開する。
「ホワイトモノリスはなァ、すにで《エピタフ》が占拠してるんだ。《モノリス》は今日で終わり。おまえたちもなァ」
ニコラスの激昂を引き金に《モノリス》ビビッドたちの我慢のダムが音を立てて決壊した。
一番初めに動いたのはマクシミリアンではなかった。エル、アルの双子が疾風となってドルフの両脇についた。無駄の一切ない、素早い位置取りだった。
「一線を越えてしまいましたね、ドルフ」
「この、ケダモノめ」
「無事ではすまされません」
「息の根を」
「止めてあげます」
双子の手に金属の短刀が光った。ドルフには微塵の動揺もない。
「当代最強と謳われた《モノリス》のビビッド。どんなものかと思えば……」
「エル、アル! よせ!」
ニコラスの制止は遅すぎた。
芸術の域までシンクロした鏡映しの同時攻撃が繰り出される。狙う急所は別々である。ドルフが歯をむき出しに、にんまりとした。
「遅せェよ」
次の瞬間、アルが叩き伏せられた。床に激突し、肺から空気を絞り出し、苦悶の表情を浮かべて転がる。だが、エルに待っていた運命はより過酷だった。振り抜いたはずの短刀が、いや手首から先がなくなっている。ドルフはその場から一歩も動いていない。素早く腕を伸ばし、エルの脇腹をわしづかみにした。
「《モノリス》の時代はなァ“偉大な”ジェイラスとともに終わってんだよ。いい加減、気づけよニコラス。コミッションに誰も来ないんだからよォ。弱者にできることは何もねえ。大人しく……食いつぶされろや」
ドルフはもごもごやっていたが、器用に短刀だけを吐き捨てた。
「さすがに金属は食えん」
エルの視界が暗くなった。彼が最後に見たものはずらりと並んだ肉食獣の歯と、喉奥の底なしにさえ思える暗黒だった。
バクン!
ドルフの牙が突き刺さる。一気に骨まで砕く音がして、エルは色の粒となって消滅した。
「ごちそうさん」
エルの色を吸収したジュースが床に落ち、跳ねて転がった。
アルはわなわなと震えた。全く同じ容姿をした兄が目の前で死んだ。消えていった。
頭の上からごきりと音がして、アルは我に返った。
ギルが首の骨を鳴らして、這いつくばったイタチの片割れを見下ろしている。
「せっかくの双子だ。離ればなれは寂しいだろう。もう、その心配はいらないんだがな」
ギルの目からすっと感情がそぎ落とされ、消えた。それは一切の感情的取引を受けつけない絶望のまなざしであった。振りあげられた腕に長く鋭い爪が光る。ここまでか。アルは観念し、消滅した兄のことを思った。
そのとき、白い巨体が動いた。驚くべきスピードで二人の間に割って入ると、アルに向かう爪撃を顔面で受ける。鮮血が花咲いた。マクシミリアンの反撃が空をないだ。ギルはさらに二、三歩、ぴょんぴょんと軽やかに飛び退くと、血塗れた手をぺろりと舐め上げる。
「マ、マクス……」
「まごまごするな。立て」
マクシミリアンは目のあたりを手で押さえていた。指の隙間から血が滴り落ちる。アルはエルの残したジュースにちらりと目をやった。表情を引き締めると立ち上がる。
ニコラスの頭は状況判断をするべく、精密な小型機構さながらに規則正しく働きだした。コンマの世界で、現状を把握し適切以上の決定を下す準備が整った。だが歯車に砂粒が挟まったような違和感を覚えてもいた。
ホワイトモノリスは難攻不落とされていた。それは《モノリス》が強大な組織というだけでなく、ホワイトモノリス自体の構造にも理由があった。一枚岩のような外観のとおり、侵入経路が正面しかない。窓がないため、どこにどのような戦力が配置されているかもわからず、侵入者は昇降機単位に戦力を分割させた状態で、約三十階層分の待ち伏せを攻略しなければ最上階にたどり着くことができない。
それにもかかわらず、《エピタフ》によってホワイトモノリスはあっさりと陥落した。
コミッションのためにビビッド全員を同席させ、他の階の守りがおろそかであったこと。ジュース捜索によって構成員の士気と信頼を著しく損なったこと。原因ははっきりしていた。この日のホワイトモノリスは難攻不落の一枚岩ではなく、隙だらけでおいしそうな穴あきチーズだった。本気の攻勢をしかけられれば、制圧されるのは自明だった。
しかし、それは結果論で、ビビッドを上階に集中させるのも、ジェイラスのジュースが紛失したのも部外者には知り得ないことだ。
ドルフというのは粗暴で欲深い面が目立つが、それ以上に慎重なたちで、同時に疑り深い。ジェイラスの死で《モノリス》内部に何かと不都合が起こっていると予測するのは簡単だが、そんな不確定要素でドルフが動き出すとは到底考えられない。これが砂粒だった。
だが、これ以上、違和感にこだわっている時間は残されていないようだった。先代が築き上げてきたものすべてを手放すことに胸が痛まないではなかったが、ニコラスの決断はとうにすんでいる。
「ホワイトモノリスは捨てる。脱出だ」
ニコラスの号令がかかった。シャーリーが車イスの後ろにつく。
「この状況、逃げられるとでも? それともおれはお人好しかい」
ドルフがいやらしく顔をゆがめると、《エピタフ》の構成員が次々と火器をかまえた。ギルはマクシミリアンに標的を定めたらしく、ゆっくりと周囲を回り、隙を探っている。
「カラス、君もだ。ここにいては命はないぞ」
「ああ、そんな気はしていた」
命が惜しいとは思わないが、やれやれ、大事になったものだ、とカラスの心中は案外さっぱりしたものだ。
「メイナード」
「お任せを」
メイナードが初めて声を発し、扉周辺を固める《エピタフ》構成員の前へと進み出た。胸の前にかまえた手から結晶が伸び、一振りの剣となった。体内のジュースを低純度化し、結晶として体外に再構成しているのだ。それだけであれば、ギャングにかぎらず鉱山労働者でも身を守るために日常で使っている、一般的な能力だ。だがメイナードのそれは、精巧を極めており、まるで芸術品のようだ。切れ味は言わずもがな、恐るべき結晶練達度であった。
メイナードは全く間合いの外、その場で縦に剣を振るった。扉を固める構成員らはぎょっとしたようだが、慌てて火器の照準をメイナードへ合わせる。見えない射線を避けるようにメイナードが身をひねり大きく踏みこむ。回転しながら前方を横一閃になぎ払った。
「優雅なひとときを」
かまえを解くとゆっくりと扉へと歩を進めていく。構成員たちは驚きの表情のまま、すぐ横を通り過ぎていくメイナードに対して、なんのアクションも起さない。
メイナードが扉を開けると、周囲の構成員たちがダルマ落としのように等間隔にバラバラになった。光の粒となる。カラフルなジュースがいっせいに床に散らばり、にぎやかな音を立てた。斬撃をまぬがれた構成員は、背中を向けた相手にトリガーを引くことも忘れ、硬直している。部屋に動員した半数が一瞬で壊滅した事実を受け止めきれないのだろう。
カラスは動体視力に自信がある。だが、その目にもメイナードが剣を何度も往復させたようには見えなかった。これがメイナードの『カラー』なのか。
「道は拓けた。いこう」
とニコラス。それを合図に、マクシミリアンを先頭にして《モノリス》メンバーとカラスは駆け出した。再び扉前に集結しつつある構成員をマクシミリアンが腕の一振りではじき飛ばす。何人かはその場で絶命し、ジュースを残して消えた。一団はできた隙間を駆け抜け、部屋の外へ脱出する。しんがりはメイナードが務める。
ドルフはイスに腰を下ろした。背もたれに体重をあずけると、こらえきれなくなったように笑い出す。
「あがくねェ。けどなァ、部屋から出ても無駄よ。俺はなァ、この部屋じゃない、ホワイトモノリスを占拠したって言ったんだぜェ」
「追わないのか」
ギルが爪についた血をていねいに舐め取りながらきいた。ドルフは頭の後ろで腕を組み、完全にくつろぐ姿勢だ。
「どっち道、同じさ。やつらの戦力はよォく把握している。このビルからは出られやしねェよ」
「なら、追ってもいいんだな」
「好きにしろ」
ギルはぎょろりと周囲をねめまわす。構成員たちは毛が逆立つ思いで表情を引き締めた。
「聞いたか。おめえら、いくぞ」
残った構成員を引き連れてギルはニコラスたちを追っていった。
「やれやれ。ギルのやつァ、腕は立つんだが戦い好きがすぎる。悪い癖さ」
ドルフは懐から特注の金属ケースを取り出した。パクッと軽い音を立てて開いたケースの中には、薄紫の乾いた草で巻かれた細長いものが一ダースほど並んでいた。ドルフはそのうちの一本をくわえると、息を短く吸いこみながら先端を小型着火機構であぶった。次に大きく吸いこむ。ややしてドルフの口から大量の紫色の煙が吐き出された。ナッツの香ばしさと少しばかりの果実の甘ったるさを混ぜ合わせたような香りが煙とともに部屋に広がっていく。指にはさまれた物の先端から、細く紫煙が立ち上っている。草筒には《エピタフ》のシンボルと『RIPS』の文字があった。




