その59
ガレージに戻ると、アルが帰ってきていた。彼は、マクシミリアンの不在にも、新しく増えた団員にも多くは触れなかった。それぞれ軽く自己紹介を済ませ、もう一人カラスという妙な名前の仲間、ポイットという謎の生き物がいるとだけ伝えると、アルは淡々と報告を始めたのだ。ウォーレンとフェイは不思議に感じたが、それがニコラスへの信頼によるものだと、その場の空気から読み取るのに時間はかからなかった。ニコラスが持つ奇妙な魅力を確信していたからだ。だから二人もここにいる。
「――私の報告は以上です」
アルは単独、デュイストーンズの偵察に向かっていた。コートはじっとりと雨を吸い、重たい色になっていた。
それによると、地区の警備は手薄。数人のビビッドを中心とする少数部隊が配備されているに過ぎないと報告された。《エピタフ》は、立地の悪いデュイストーンズからセントラルの新拠点に大部分の戦力を移し替えたと推測された。新たな縄張りが増えても、構成員までまるごと奪えるわけではない。頭数をやりくりした結果としては至極妥当で、ニコラスの想像に違わない報告内容だった。しかし、ここで妙なのは、墓場と葬儀場ばかりのこの地区に、何やら見慣れない工場のようなものが見受けられたことである。構成員は主にそこに配置されており、少数ながら警備は厳重、何の施設かまでは突き止められなかったと言う。デュイストーンズは不毛な土地で何かの生産に適しているとは思えない。その謎と過剰とも思える警備が合わさり、異様さが際立つ。だが、それは漠然とした不安のようなものであって、目下の危険事とも思えないのだった……。
「十分だよ、アル。《バンク》の方だが、こちらは少々厄介なことになった」
「それだよ。私はそれが分からない。交渉はうまくいっていたようだけど」
「表面上はね。聞いてくれ」
シャーリーに車椅子を押されて、ニコラスはテーブルに着いた。ビビッドたちもそれぞれ椅子に座る。それだけでテーブルはいっぱいだ。主にマクシミリアンが場所を占めているのだが。ウォーレンとフェイは、部屋の隅の空いた場所に椅子を備えて腰かけた。
ニコラスが口を開く。
「当初の計画では《バンク》と交渉し、一種の協力体制に持ちこむことが目的だった。対価としてソルトフリーズの南地区、《バケット》の掃除を持ちかけられることも想定内だった」
シャーリーが頷きながら聞いている。何が問題なのかという調子だ。
「《バンク》は我々を潰すつもりだ」
マクシミリアンのこめかみにビクリと血管が浮いた。シャーリーが口をはさむ。
「待ってくれニコラス。私たちを狙って、奴らになんの得がある」
「分からない。これは憶測だが、《エピタフ》が何か働きかけたのかもしれない」
「それはひとまず置いておくとしてもだ、変な言い方だが《バンク》はまっとうなギャングだ。交渉中にも言ってただろ、ギャング同士の約束について。やつらは約束を軽視しちゃいない。プライドにかけて、ギャング同士の約束は守ろうとするはず」
「私が引っかかったのはそこだ。ギャング同士が取り交わした約束の重さ、そんなものは今さら取り立てて言うことじゃない。暗黙の了解だ。思い出せるか? あの場でディーノは、我々をギャングと、もしくは七大ギャングのひとつと呼んだだろうか」
「いや、そう言われてみると。つまり……」
シャーリーが自分の頭の回転を呪うように舌打ちした。
「ようやくだ。《バンク》は、あたしらをギャングと認めていないのか」
「そういうことだ。あの交渉は見せかけだ。こちらを油断させ、一気に殲滅するための撒き餌ってことだね」
その話を聞き、マクシミリアンは歯噛みが聞こえてきそうなほど顎を緊張させていた。アルの表情にも深刻さが皺となって刻まれていた。状況を十割飲みこめなくても、空気の重さは新人の二人にもわかった。
「で、どうする」
沈黙をシャーリーが破った。
「幸い、ディーノのやり方は露骨だった。金貸しという商売上、あからさまな嘘を避けてしまったんだろう。その癖のおかけで、気づくことができたんだから、やつの職業的几帳面さには感謝してもいいかもしれないね。さて、我々がどうするかだが、計画ではカラスを加え、時間をかけて《バケット》を落とす予定だった。だが《バンク》はすでに動き出している。カラスが戻ってくるまで待つ時間も、悠長に戦局を詰めていく余裕もなくなった。だから《バケット》を落とす」
一瞬、ニコラスが何を言っているか全員が分からないようだった。その動揺に畳みかけるように次の言葉が放たれる。
「電光石火でだ。そして、それを材料に再び交渉のテーブルを用意させる」
「危ない橋を渡って、ようやく振りだしか。悪くねえ」
とマクシミリアンが言った。
「それは違うぞ、マクス。手土産を持って、我々は再び《バンク》に行く。だが、交渉するとは言っていない。その場で、内部から《バンク》を落とす。ついでに我々を狙う理由も、聞き出してやるか」
巨漢はにやりと笑った。この作戦は彼の気に入ったらしい。つまり無謀で乱暴な作戦ということだ。
「まずは《バケット》だ。アル、早速情報を集めてくれ。相手は得体が知れない。慎重に頼むよ」
細身のビビッドは軽くうなずくと、コートの乾く間もないまま、風のようにガレージを出て行った。
「さて、あたしは火器の手入れでもしておくか」
シャーリーはちらりとマクシミリアンを見ると、
「少し時間がありそうだ。新人の訓練でも始めたらどうだい、兄貴」
ウォーレンとフェイも兄貴兄貴と湧き立った。大男はため息ひとつ立ち上がると、大きな手でがっしり二人の首根っこを押さえ、
「甘かねえぞ」
二人のはしゃぎっぷりは嘘のようにしゅんとしてしまった。ガレージの裏手で行われる訓練の厳しさは、想像して楽しいものではないだろう。
そういえばポイットはどうしたのだろう。妙に静かだ。この間、彼女はシャーリーの懐で、悪い夢でも見ているかのようにうんうんとうなされていたのである。
ソルトフリーズ南方の一角。
壁は朽ち、床のタイルも満足に一枚残っている部分がないほどの荒れ果てた部屋。色灯は見当たらず、穴のあいた天井から注ぐ日光が埃っぽい空気を通過し、薄暗い中、柱のように浮かび上がっていた。それを頼りに周囲を見ても、満足な調度品は見当たらない。生活感、いや生命というものがこの灰色じみた部屋にはないのだろうか。
そんな部屋でひとつ奇妙なのが、中央に据えられた透明な四角い物体だった。ボロボロの部屋には似つかわしくないかっちりとした、現代のものではないかのような未知の美を湛えた直方体だった。よく見ると、それは均質ではない。ジュース結晶版の箱に液体、おそらく水がたっぷりと満たされた物のようだった。その水中には淡い橙色をした、これまた妙なものがぷかりぷかりと浮遊しているのだった。
部屋に足音もさせず男が入ってきた。顔つきは一見して険悪で、目つきも鋭いが、その底には何かまた別の感情が見え隠れしている。
「ボス、見つけたぞ」
男は外見通りのいかつい声を発した。だが、この部屋には先ほどの箱とこの男以外、なにもないのだ。
「この地区の教会前だ。正直、眉つばだったが、実際に目にしてしまったんだからな」
箱の中では怪しい球体が微かに収斂した。ごぼごぼと水泡が沸き立ち、くぐもった声が響いた。
「大きな街で待っていて、正解だった」
収斂ではなかった。再び元の大きさになり、再び小さく……それを一定のリズムで繰り返している。これは脈動。男は強いて、箱の方を見ないように顔をそむけながら言った。
「さっそく行くのか」
「いや」
水面が盛り上がり球体が浮かび上がった。水の束が、膜が、それを中心として流れ落ちていく。まるでヒュープルの形をなぞるかのように。
「やつは来る。そんな気がする」
一際激しい水音がした。続いてぺたり、ぺたりと湿った足音。
「おお」
男は謎の短い言葉を発し、おぞましいものから、さらに目をそむけるように視線を落した。側近である彼にも、この男、エンゾのことは分からない。分かりたくもない。
肩にひやりとした掌を感じ、背骨の隙間一つ一つから冷水がしみ出したように、男はぞくりと身を震わせた。




