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その46

 ゆったりした動作に見えて、フニペロの受付処理は迅速だった。このままでは大混乱と思われた室内の騒ぎは、すでに落ち着きを取り戻し、誰もが決闘の開始を今か今かと待ち望んでいた。

 中二階のビビッド、もじゃ毛のバルトロと派手なロザリンダも、いつの間にかチケットを手にしていた。

「どっちに賭けた?」

 と珍しくバルトロから声をかける。その手には薄緑のチケットが数枚握られていた。

「あたくしはこっち」

 ロザリンダは濃緑のチケットを翼のように広げて見せ、

「あんたが大穴狙いとは珍しいわね」

 と含み笑いした。

「たまにはね。久しぶりの決闘だ。そういうあんたこそ、手堅いではないか」

「うっふっふ。気にいちゃってね、あの子。なんだか可愛いわ」

 熱っぽい視線がカラスを捉えた。

「《ハウス》は男漁りの場所じゃないからな」

 ため息をつくバルトロだが、ロザリンダは取り合わず、またジュースを空にした。

 頃合いとみたのか、エルピディオがまた手を打ち鳴らした。板の前にいたコンパニオンが二人、今度は金属のドームが乗った台を彼の前に運んできた。カラスにはそれが何か分からなかったが、部屋の空気が変わったことは分かった。誰が言いだすでもなく、部屋の中央に大きなスペースができ、丸い人垣が形成された。そして、残りのコンパニオンが部屋の隅で何か複雑な操作をすると、鈍く何かがこすれ合う音が響いた。すると部屋に驚くべき変化が起きた。ヒュープルが作る円を中心に、床がすり鉢状に引っこんで行く。ガコン、と大きな音が響くと、即席のリングと観客席が『騙し部屋』に出現していた。

 床全体が下がったのに対し、ベアトリスの机は元の位置を保っていた。全体を容易に見渡せる高さがある。プライムの特等席だ。

 コンパニオンたちは、それぞれの仕事を終えると再び板の前に集結し微笑んだ。

「両者、前へ」

 やはりよく通る声でエルピディオが言った。

「さあ、行ってこい」

 背中を軽く叩いたカシミロに、カラスはしっかりとしたうなずきで返した。相手側のチリーノもボビーに対して何か言っているようだったが、ボビーの目は血走っていて、はたして言葉が届いているのかどうか怪しい。カラスは構成員の間を縫うように、ボビーは半ば跳ね飛ばすようにして、ヒュープルで作られたリングの中に出た。

 ボビーは鼻息荒くカラスを睨みつけた。カラスはそれを静かに受け止めていた。

 エルピディオがその間に入り、

「両者やる気十分、だな。とっとと決闘のルールを解説しちまおう。ルールは簡単だ。相手を戦えなくしたら勝ち。それだけだ。肉体的でも、精神的でもな。シンプルに床に伸ばしてやってもいいし、これは勝てないと相手に降参させてもいい。『カラー』を使ってもかまわん。さあ、この鐘を鳴らしたら開始だぞ。適度に距離を……ああ、それでいい」

 二人の位置取りに満足げにうなずくと、鐘が置かれた台のところへと戻っていった。

 後は鐘が鳴るのを待つばかり。部屋の空気は過度の興奮をはらんでいるのと裏腹に、静まり返っていた。身じろぎの音でさえ大きく響きそうな緊張感が部屋を支配していた。そんな中でもフニペロだけはマイペースなもので、鐘の置かれた台の端に腰かけ、いかにも楽しそうに足をぶらぶらさせていた。

 カラスとボビー、二人が相対してみると体格差は歴然としていた。一回りという言葉では表現しきれない。実に倍の差があると見てよかった。

「ひねりつぶす」

 ボビーが我慢できなくなったように言った。カラスは動じない。やれることは、もう決まった。

 エルピディオが高く腕を振り上げ、金属製の鐘に向かって勢いよく振り下ろした。高く済んだ音が響き渡り、決闘開始の合図に観客達は歓声を上げた。だが、それは長く続かなかった。ボビーが倒れていたからである。

「何が起きたのさ?」

 ロザリンダは目を見開いて問うた。驚きのあまり、ジュースが空になったことも気づいていない。ずこずこと空気を出し入れしながら、結晶の底をストローが彷徨った。訊かれたバルトロも難しい顔で唸るだけだった。

 何が起こったのか把握できているのは、およそベアトリス一人だった。彼女は、おもむろに拍手した。エルピディオが、慌てたように鐘を乱打する。終了の合図だ。

「しょ、勝者はカシミロ!」

 鐘の音の余韻がいつまでも残っていた。床が滑らかにせり上がり、元の平面に戻っていく。

「バッジは正式にカシミロのものだ。改めて、プライムから受け取れ」

 カシミロが急いで前に出ようとしたが、

「いや」

 ベアトリスが鋭く言った。

「決闘した本人に取りに来させな」

 これは異例のことらしい。カシミロの顔にも明らかな動揺が浮かんでいた。とにかく早くいけ、と身ぶりでカラスを急かしていた。

「名前は」

 前に進み出たカラスにベアトリスは尋ねた。

「カラス」

「そうか。カラス、これであんたは正式に《ハウス》のメンバーだ」

 差し出した手の上にバッジがきらりと光る。すると、ようやく事態に追いついたのか、部屋中からせきを切ったような歓声が起こった。カラスを迎える声とカシミロを称える声だった。

 その中、カラスはバッジに手を伸ばした。一瞬のことだった。ベアトリスのもう一方の手がカラスの胸ぐらをつかみ、グイと引きよせた。そして耳元で、

「手ぇ、抜いたね」

 と囁いた。複雑な瞳孔が異様に輝いた。カラスは強靭な精神力で平静を保った。それでも、こめかみを一筋の汗が伝うのまでは止められなかった。

「まあ、いい」

 ベアトリスの手が緩み、肩を優しく叩いた。

「《ハウス》にようこそ」

 カラスは努めて慎重に、彼女の手からバッジを受け取った。

 そこにとてとてとカシミロが駆け寄ってきた。

「よくやったカラス! おめえ、強えじゃねえか! そんで、プライムに何言われてたんだ?」

「後で話す」

「まあいい。気になるのは……」

 エルピディオが咳払いした。それだけで部屋が静かになった。

「次はチリーノの処断だ」

 チリーノは足を引きずるようにしてやってきた。すでに心はここにないようにさえ見える。

「チリーノは決闘に負けた。その際どうするかは皆が聞いた通りだ。後はベアトリスに任せよう。さて、どうされる?」

 エルピディオが振り向いた。ベアトリスは少し考えるように顎に手を当てていたが、

「フニペロ、チリーノは今、誰についている?」

「えっと~」

 フニペロはズボンの中から、おもちゃみたいな巻物を取り出した。慌てて床に広げてしまったような動きだが、的確に情報を見つけてはいるらしい。

「エルネストの下ですねぇ」

「それじゃ、移動だ。今後、チリーノはカシミロの元で働くこと。いいね」

 ベアトリスがチリーノを見た。チリーノは細かく震えていた。

 内心、チリーノは屈辱で発火しそうだった。カシミロの下で働くなんて……。だが、ここで「そんな命令ならいっそ殺してくれ」とは言えない。冗談じゃなく、本当にそうなるからだ。

「チリーノはカシミロの下、っと」

 フニペロは早速巻物を書き直している。それが終わると、素早く巻きとりズボンに投げ入れた。

 ベアトリスが立ちあがった。その動作一つにも優雅さがあった。

「《ハウス》の諸君! 今回の『スカウト』、ご苦労だった。久しぶりの決闘は楽しんでもらえたかな?」

 大きな歓声。ベアトリスの視線が部屋中をなでた。

「《ハウス》はこれからも力をつけていくだろう。それは諸君らの力でもある。情勢は不安定であるが、心配はいらない。なぜなら私がプライムだからだ」

 さらに歓声が高まった。

「諸君らには、今までと変わらない尽力を期待している。以上だ」

 ベアトリスが部屋の奥へと消えても、快哉を叫ぶ声は止まなかった。

 小さい安堵のため息がカシミロから漏れた。

「なんとかなったな。ベアトリスの温情に感謝しなくちゃ」

 部屋の隅にポツンとチリーノが座っていた。カシミロと目が合う。そこには反抗的な色が宿っていた。

「あいつのことは今じゃないな。それより、カラス、あんたの制服を選びにいこう」

 二人がグロスレイの中を進んで行くと、あちこちから声を掛けられた。おおむね温かいものだ。

「さあ、こっちだ」

 カシミロは、涙ぐんだような困ったような顔をしていた。

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