【民間召喚術士の運命的な出逢い】
城を出る許可は意外なほどすぐに下りた。
とはいえ、城内の人間にとっては意外でも何でもない。
【空論の】ナミキこと吉沢奈美樹は、大学入試ですら微妙に潰しの効かない「政治・経済」に「倫理」という科目を、若干十六歳にして、十八歳レベルまで極めていた。その程度の人間であり、それだけの少女である。
その知識はマークシート方式の回答と表層的な解説に特化しており、実のところ単語の意味すら理解していない。所謂偏差値の上がる解説というものだ。
実際の国政に役立つようなものではないし、せいぜい、頭の良い人間には発想の足掛かりになるかも知れない、といった程度の力。
世界の平和と国家の威信、優秀な人材の魂をかけて召喚したにも関わらずこの体たらくでは、期待を裏切られた王からの逆恨みに合うのも(その正当性はともかくとして)無理からぬことではある。
何の役にも立たないのに経費ばかり嵩む賓客、異界の召喚者を追い出す口実は上層部が共通に求めていたものであったし、兵士や役人は上司の意に従うのみ。
また、元より特に悪感情など持っていない一般職員――コックや庭師、大半のメイドらは、噂の召喚者の顔も見たこともないので、引き止める理由もない。
召喚のために四十人の同朋の魂を差し出した聖職者ら辺りは怒りもしようかと思えば、神に魂を捧げられた時点で彼らの目的は叶っていたので、その後に呼び出された奈美樹の価値も存在も、特に興味はないといった風だった。
奈美樹の世話役兼監視役となったイザベルに頼まれて、実際の手続きや手回しの作業を行った彼女の身内の役人も、この対応には逆に不安になったとのことである。この短期間でここまで軽んじられることになった奈美樹の才覚、そのもたらす今後を心配するまであった。
何はともあれ、ことがスムーズに進むのであれば都合は良い。
イザベルには奈美樹の知識を活かすための宛てがあった。
ひとまずはそちらに渡りを付ける必要がある。これについては他人に任せるわけにもいかず、自ら城下のとある店を訪れた。
看板には【失せ物探しのアダム】とあるが、人通りの少ない裏路地に向いた看板を見ることができるのは近隣の住民くらいだろうし、近隣の住民に看板を見上げて歩くような者は一人もいない。元より用事があってこの店を目指して来た人間が、玄関に上がる前に一目確認するためのものだった。
「やってます?」
もしもその動きを見ていた者がいたとすれば、軽く上げた片手を虚空に翻す様は、そこに存在しない暖簾を幻視させたことだろう。
しかし、生憎店には客の一人もいないし、店主も表にはいない。
「……やっているかとは、何をだ」
店の奥の暗闇から、銀のざんばら髪をした男が、不機嫌そうに姿を現す。
反射の強い眼鏡の奥の両目は眇められ、不躾な侵入者に対する怒気と侮蔑が滲んでいる。
「うちは居酒屋でもおでん屋でも……って、イザベルさん!」
と、男は玄関口に立つ王宮メイドの衣装を認識した途端、大袈裟に仰け反り、瞬時に卑屈に見える笑みを顔に貼り付け、転がるように駆け寄った。
「へへ、やってますとも! 何をかは知りませんが、何でもやれますよ」
「相変わらず陰気な笑顔ですね、アダム君。初対面の頃はもっとマシな顔付きだったように思いますが」
「いやぁ手厳しい」
銀髪の男、アダムの猫背から見上げるように揉み手する様は流れるように美しく、短い髪は朝日を弾いて輝く川のせせらぎを思わせた。
イザベルはその様を興味なさげに見やりつつ、本題を切り出す。
「貴方、確かおかしな召喚術が使えたでしょう」
「おかしな、とはおかしなことを。原始召喚術の発展形としては、汎用性を失した宮廷式より、私の方が正統ですよ」
「使えるんですよね」
「はい、使えます」
頷くアダムに、イザベルは目も合わせず書類を手渡す。
「近日中にこちらへ召喚者の女性がお出でになります。その方のお話を元に、貴方には異世界の品物を召喚して頂きたいのです」
件の召喚者の資料かと、アダムは書類に目を落とす。手渡された書類は、イザベルが近所で押し付けられたピザ屋の広告ビラであった。大凡の文化レベルから隔絶して製紙技術と印刷技術の発展したこの世界では、こうしたチラシは非常に安価に作られ、出回っている。要は単なるゴミ処理であったが、受け取ったアダムは恭しく一礼し、懐へしまい込む。
「お任せください。イザベルさんの頼みでしたら」
「ありがとう。よろしくお願いします」
形ばかり慇懃に頭を下げ、イザベルは【失せ物探しのアダム】を後にした。
出入り口の扉に手を添えて閉じると、そのまま急ぎ足で城へと向かう。
何せ、時間は無限にあるわけではない。奈美樹の外出許可を取ったは良いが、逆に一分一秒でも早く城から連れ出せとせっつかれているのだ。おそらく、一度外に出たが最後、適当な理由をつけて城門を閉じ、一分一秒でも長く奈美樹を城外に追いやろうとするだろう。古来、数多の書物に残る召喚者の常として、外を出歩けば何かしら運命的な出会いをするという祝福もあり、それを以て奈美樹が城外に興味を持ち、自ら城を出ると言い出せば万々歳だ。
奈美樹が部屋に押し込められていたのも、実の所、奈美樹を城内で極力誰とも「出会わせない」ためであった。城内の誰かに懐かれて、城内に居つかれては困る。城内の重鎮からは「愛想の悪いメイド」としか見られていなかったイザベルが奈美樹の担当になったのも、非礼に当たらない程度に極力居心地を悪くしようという目算だったのだが――奈美樹はそのイザベルを通して外の世界に縁を結ぼうとしているわけだから、結果的には人事担当の思惑は想定以上に成功したことになる。成功に、先見や才知の如何は関わらない。
「どこにもない理想的な国ですね」
奈美樹から聞いて意味を想像した言葉を他人事のように呟きながら、その居室のドアを開いた。
「あれ! ノックは!? 私の自然権を確実に保証して欲しいんだけど!」
「私の価値尺度機能に照らせば、公金でただ飯を召し上がる人間、即ち公人である所のナミキ様は、知る権利の対象となり、情報公開法が適用されますので、法治主義の原則に従い無罪推定ですね」
「市民オンブズマン制度を要求したいんだけど……」
「構いませんが、その場合調査されるのはやはりナミキ様になりますよ」
寝台から頭だけ床に下ろして寝転がっている(どうも一人で退屈を持て余し、高難度の腹筋運動に挑戦し、一度も起き上ることができず呻いていた瞬間にドアが開かれたらしい)、という極めて間抜けな姿を見られた奈美樹は、ネタ元である自分自身より政経倫理用語を使いこなすイザベルに言い負かされ、そのまま床に転がり降りて、受け身と共に起き上った。
「おかえり、イザベルさん」
「はい、只今戻りました。そしてナミキ様、貴女は今すぐこちらの地図の場所へ向かってください」
「相変わらず自己完結が酷いね」
不満を口にしつつも、奈美樹はそのピザ屋のビラを受け取る。地図を見ると、ピザ屋から一本筋を入った裏通りに印がついていた。帰り道にも同じビラ配りから同じビラを渡されたイザベルが、カッとなって有効利用したものだった。
「この、ココって書いてあるところ?」
「はい。話は通してありますので」
無表情に頷くイザベルに、奈美樹も、ふぅん、と頷き返した。
元よりこの召喚者は、言葉の意味や、行為の理由には興味を持たない性質だ。結論を渡されるのであれば、従うことに否やはない。
「それじゃ行ってくるね」
どうせこの部屋には戻ることもないとメイドは知っていたが、手荷物すら持たずに召喚された少女に、私物らしい私物はなかった。
「はい、行ってらっしゃいませ、ナミキ様」
だから特に何も言い添えることなく、送り出す。
***
地図を片手に辺りを見回しながら歩く少女など、窃盗犯にも誘拐犯にも詐欺師にとっても良いカモに見えるものだろう。しかし、この薄汚れた下町にそぐわぬ上等な縫製の制服が、並み居る犯罪者に彼女へ手を出すことを躊躇わせた。
触らぬ神に祟りなし。王の威光というわけでもないが、王城の管理する者に掠り傷でも負わせれば、国の威信をかけて見つけ出され、潰される。この国では処刑には、鎖に吊るした鉄の板と石の床、重石代わりに罪人の親族や関係者を使うのだ。
近隣住民の怯えなど知らない少女は無事、地図に書かれた目的地の店に辿り着いた。
玄関口の上にかかった看板を見上げると、【失せ物探しのアダム】と書かれた、真新しい看板が見えた。
「こんにちは」
ノックもせずにドアを開き、薄暗い店内に声をかける。
程なくして、店の奥の暗闇から、銀髪に眼鏡の男が姿を表した。
「何の用だ」
「ここに行けと言われて、地図を渡されたのですが」
睨み付ける男に気圧される様子もなく、少女は答えた。
「ああ、そうか。あの人がわざわざ頼みに来るというから、一体どんな大人物が来るのかと思えば……貴様のような小娘か」
貴様という二人称で呼ばれたのは初めてだ、と、少女は未知の体験へ僅かに心を躍らせた。
「それで、ここは何の店なんですか? 表には失せ物探し、とありましたけど」
「看板を見たなら、書いてあることを信じれば良いだろう。失せ物探しの店だよ」
「失せ物なんて覚えがないですよ」
「なら、物探しだ。失せ物か、物探し。どちらかだろう」
くすりともせずにそういうのだから、これは本気で言っているのだろう。言語教育の重要性を強く認識する。
「しかし、物探しと言われましても。私はただここに来るように言われただけですしね」
ただ単に行けと言われて来ただけの彼女にとって、心当たりのようなものは、あるようでない。店主は顔は良くとも愛想が悪く、知的ぶった眼鏡キャラの割には教養もない。あまり話していて楽しい相手でもないのだ。顔は良いが。と、重ねて考える。
愛想の悪い無教養眼鏡は溜息をついた。
「何か、普通には手に入らない物で、欲しい物があるんだろう。でなければ、あの人もこんな所を紹介したりはすまいよ」
こんな所、という自覚はあるのか。自覚のある人間は好ましいものであるから、少女は男の評価を少々上方修正した。
「蓬莱の枝か、火鼠の衣か、名前がわかれば大抵の物は探せる」
そんな妄言も笑って聞き流せる。
「何か、欲しい物があるんだろう?」
問われた言葉に、薄笑いを残したまま答えた。
「地位」
振り返り、
「それと――」
重ねて、
「名誉、ですね」
そう自嘲する。
男は頬を赤く染め、呆けたような顔で少女を見つめていた。
まさに運命の出会いだったと、男は後に語ることとなる。
***
「と、これが、私とイザベルさんの出会い。黎明の頃だな」
「それで何で惚れるんですかね」
「強いて言うならば、窓辺から漏れ入る光に照らされた、あの柔らかな笑顔か」
「顔かぁ」
奈美樹は【失せ物探しのアダム】で埃まみれの椅子に腰かけ、店主が真顔で語る益体もないイザベル話を聞いていた。確かに共通の話題はそれしかないのだが、「黎明編」の前に延々聞いていた「生命編」「太陽編」「未来妄想編」からもベタ惚れ具合はよくわかる。
当時は王城から来た厄介者扱いだったイザベルも、休日に青空教室等を開くうち、今では下町にすっかり馴染んでしまった。ピザ屋のビラ配りなど、目の前を通る度に同じビラを渡すほど愛されている。
「それで、異界の召喚者殿は何をしにこんな所に来たんだ?」
「イザベルさんと同じですよ。言われたから来ただけです」
「イザベルさんと貴様を同列に並べるな。無礼だぞ」
「うーん。無礼ですねぇ」
恋する人間には何を言っても無駄と、奈美樹は皮肉一つで引き下がった。
確かに【失せ物探しのアダム】の店主、アダムなんとか氏はイケメンではある。逆ハーレムを作るために政治経済を学んできた奈美樹にとって、頭の良さそうな馬鹿というのは、タレントとしても魅力的なものがある。何より、アダムという名も『国富論』っぽくて良い。見えざる手だ。意味はわからないが、需要と供給に関連するキーワードだ。そこまで知っていて、意味はわかっていないのだが。
しかしそれでも、奈美樹は寝取りも寝取られも専門外なのだった。
「それじゃ私がお二人の仲を取り持ってあげましょう!」
「いや、本当に何しに来たんだ?」
首を傾げながら、座った椅子を引きずってアダムが身を寄せる。
「まず、アダムさんの得意分野って何ですか?」
「召喚術だな」
「ではそれでPEAを召喚しましょう!」
「何だ、そのピーイーエーというのは」
「よくわかりませんが、恋愛感情をどうにかするホルモン的な奴らしいですね。倫理の資料集に載ってました」
「ホルモン……なるほど、イザベルさんは臓物好きなのか。あの人にも好きな食べ物なんかあったんだな」
「いや知りませんけど。何でも美味しそうに食べますし」
「何でも味しないような顔で食べてないか?」
「顔はそうですねー」
噛み合わないながらも、テンポだけは早い会話が折り重なってゆく。
そうして、四時間ほどの時が流れた。
「うわ、もう外真っ暗じゃないですか」
異世界の夜は暗い。この世界で電気が通っているのは【サンダードラゴン】の棲息地くらいのものであり、王都に【サンダードラゴン】はいない。そんなものが居れば都が消し飛ぶので、両者は同時に存在し得ない。
「随分話し込んだな。今から王城まで歩いて帰るのは流石に危ないが、送っていくのは億劫だし、うちに泊めるのも面倒だ」
「自由放任にも程があるでしょ」
四時間の交流で程々に気心の知れた二人は、溜息すらつかずに言い合った。
なお、本人がそのつもりでいるので、話を聞いていたアダムも奈美樹は王城へ帰るものだと思っていたのだが、実際彼女が今から王城に戻っても既に門は閉じているし、その居室だった貴賓室も既に完パケされている。
実の所、王城に戻れた所で、最早そこに彼女の居場所はないのだ。真夜中に辿り着いて締め出されるよりは、早い段階で諦めがついたことは、どちらかと言えば幸運だったのかも知れない。
「歩いて五分の所に宿がある。イザベルさんに任された以上、宿代くらいは出してやろう」
奈美樹はアダムから受け取った思いやり予算で宿の一室を借り、その夜を過ごした。
翌日になって自分が王城から締め出されたことを知った彼女は、結果としてそれから丸一ヶ月、その宿屋での生活を送ることになり、アダムが宿代を立て替えることになったわけだが。