プロローグ:【現代知識が無双する】
大理石の列柱に挟まれ、赤絨毯の敷かれた謁見の間。
赤や緑の豪奢な絹衣を纏う高貴な男達に囲まれ、化繊の黒いブレザーと同色のプリーツスカートを身に着けた少女は、明白に浮いていた。
「して、その楽市楽座とはどのようなものか」
玉座の王からの問いに、少女は淀みなく答える。
「座・問丸・株仲間による独占販売権、非課税権、不入権を取り合げ、商業を活性化させる政策です」
教科書から抜き出したような答えに、しかし、国王や周囲の重鎮達は納得するでもなく、疑問の種が増加したのみであった。
「ザ・トイマル? カブ仲間? 何者だ、そやつらは」
「それより非課税というのはどういうことです。商業を活性化させても税が入らなくては意味がないのでは?」
次々に問いを発する、自分より二回り、三回りは年上の男達に、少女は何と答えれば良いのかもわからず、ただその混乱に当てられていた。
このままでは埒があかぬと判断した王は片手を軽く上げて場を沈め、少女に対し、こう訊いた。
「そのラクイチラクザについて、何か他に知っていることはないのか」
そのシンプルな問いに、ようやく少女は落ち着きを取り戻す。
「はい。楽市の所見は一五四九年の六角定頼、織田信長の楽市楽座は一五六八年です」
穏やかな笑みで、そう答えた。
王と重鎮らの表情に、失望と、怒りの色が宿った。
「ううっ、すごい怒ってる……ホッブズは著書『リヴァイアサン』において、自然状態を“万人の万人に対する闘争”の状態と捉えましたもんね……」
「オダノブナガもホッブズも知らぬ! 一五一六年とは何処の暦によるものだ! 帝国歴は今年で六〇〇周年じゃ!!」
「お言葉ですが陛下。一五一六年はトマス・モア著『ユートピア』の初版発行年です。一五四九年が六角定頼で、一五六八年が織田信長ですよ。あ、楽市だけなら一五六七年なんですけど…」
「知ったことか!! 誰か、この役立たずを部屋へ押し込めておけ!」
激昂する王と、王命に慌てて動き出すその周囲。
かくして少女は不満気な表情のまま、呆れ顔の衛兵に両脇から抱えられ、城内の私室へと連れられていった。
***
同刻。別の国の別の城、王族専用の厨房の片隅にて。
「お、美味しい! こんな美味しいもの、初めて食べました!」
ナイフとフォークで肉じゃがを口へ運びながら滂沱の涙を溢れさせる、一人の美姫の姿があった。
しかし、厨房の主である料理長は、その姿に困惑の表情すら浮かべている。
それはそうだ。普段自分達の作った料理を食べている相手が、何処の誰とも知らない者の作った、得体も知れない料理に対し、かくも無体なことを言うのだから。
対して、二人の後ろに控えていた黒髪に黒瞳の少年は、その様子を見て喜びに拳を握る。
自分の料理は異世界でも通用するのだと。
自分のやってきたことは、決して無駄ではなかったのだと。
振り返った姫の言葉に、確信する。
「素敵です! 結婚してください!!」
自分は、長年の夢と野望に向けて、最初の一歩を踏み出したのだと。