第六章:やりたい事とやるべき事
第六章:やりたい事とやるべき事
1.
「待たせて悪かった。行こう」
波音は帰り道もずっと明るく振舞った。
俺にはやはりその笑顔が痛々しく見えて仕方なかった。
「今、職員室に言って聞いてきたんだ。今年の部員募集期間中に規定人数がそろわなかったらしい。 というか、入部希望者は一人もいなかったらしくてな。で、四月中旬にヨット部は廃部なんだと。 俺、この話知ってた。誰かが言ってたのを、後になって思い出したんだ……」
さっき教師から聞いた通りに。
そして、思考に引っかかっていた事を素直に打ち明ける。
嘘をついても、優しく言ってももう取り返しの付かないような気がしたから。
「そう、ですか……。仕方ないです。興味あっただけですから、いいんです。えへへ…」
再び取り繕うような笑顔。
無理も無いのかも知れない。
やっと何かをしてみたい思ったと言うのに、それは形の無い一瞬の幻だったようなものなのだ。
大きな罪悪感が胸に圧し掛かるようだった。
何よりも、こうなったきっかけを作ったのは俺だ。
「なぁ、波音。俺がこんなこと言うのはアレだけどさ、
諦めないでくれないか?きっとどうにでもなる。俺も手伝うから……だからっ!」
うつむいて俺は足を止める。
その先の言葉が出てこない。
「だから、だからっ…ゴメン」
俺がこんな事を口にしていなければ、こんな事にならなかったのに。
それ以上に情けなかった。こんな自分が。
今、こいつの目の前で俺はどんな顔をしているのだろう。
「藤崎さんっ」
暗かった視界に、急に波音の顔が飛び込んでくる。
「なんで藤崎さんが謝るんですかっ。私、諦めませんからっ!」
笑顔。今度は涙を目の端に溜めている、素直な笑顔に見えた。
ただ、気になる事が一つ。
「そっか、それは嬉しいんだけどさ。……でもな、波音」
「は、はい?」
目をこすって、波音が俺を見る。
「顔、近い」
気が付くと、練習中の部員達の目がこちらに集中していた。
波音がはっとして、慌てて距離をとる。
端から見ればおかしな二人組みなのだろう。
そのまま、途中の公園まで黙って歩く。
「なんかさ、不思議っつーか可笑しな話だよな」
公園のベンチに腰をかけて波音に話しかける。
波音も隣に座って首を傾げる。
「だって、俺らが初めて会ってからまだ指で数えられるくらいだろ?
それなのに、なんつーか……ここまでベッタリ一緒にいるってさ」
うわっ。何言ってんだろ、俺っ。
言ってから、自分がどれだけ恥ずかしい事を口にしているか気づく。
波音も、少し顔が赤いような気がした。
「そ、それもそうです…。でも、あんまり『違和感』とかは無いです」
そう。振り返る必要も無いくらいの時間の中で俺達の色々な物が変わったような…。
でも、確かに言われてみると違和感など微塵も無い。
「明日からは、ヨット部再建、始めなきゃな」
波音の頭に手を乗せる。
そこで、俺の言葉を聞いて口を開こうとした波音を手で制する。
「どうせ、『迷惑じゃないか』とかだろ?聞き飽きたってのそう言うの言いっこ無しだ。俺がやりたいんだ、やらせてくれよ」
笑いながらそう言ってやると、波音は少しほっとしたような表情になる。
「はい。ありがとうございます。……でもっ…」
「しつこい奴だな。言いっこなしだっ。今日はもう解散な。もうすぐで暗くなるだろうし」
立ち上がって、諭すように言う。
それ以上は何も言わずに、波音も帰路に付く。
時間はまだ六時にもなっていないことから、まだ家には戻れない。
つまり、俺の行き先は決まっている。
俺は踵を返して古いアパートに向かう。
とある馬鹿(もとい友達)が住むアパートの一室にて。
「藤崎、起きてる?」
ベッドに寝転んでいる野田が俺に問いかける。
俺は堂々とゴミやらを避けて横になりながら雑誌のページをめくる。
「別にまだ眠くねーよ。……ここのタテの鍵わかんねぇ」
クロスワードを考えながら答える。
「いや、ずっと静かだったから。飯、食いに行かない?もう八時だ。店、閉まっちゃうよ」
自分の腹の虫と相談。
「行くか。ったく、そろそろこの辺りにも一日営業の店できねぇかな……」
愚痴をこぼして雑誌を投げ捨てる。
そのままアパートを二人で出て弁当屋で弁当と飲み物を買い、近くの公園のベンチに座る。
「なぁ、藤崎」
弁当を開けて割り箸を折りながら野田が俺に話しかける。
「あんだよ?」
「おまえさぁ、ここ一週間くらい付き合い悪い時あるよね?」
野田の言葉に、俺は石のように固まる。
波音とつるんでるのがバレる……。
それだけは前からずっと避けたかった。
こいつならその事で俺に茶々を入れたり、波音に危害加えるかもしれないからだ。
「そんな事ねぇだろ。
んな何日か昼を一緒に食わなかったからって気にすんなよ。ホモか、おまえは」
俺はその場から逃げるように、急いで弁当に手をつける。
「ホモじゃないやいっ。でも、僕はてっきり彼女でもできたのかと思ったんだけどね~」
……こいつは本当にアホなのだろうか?
野田はアホに見える。いや、実際にアホだ。
だが、たまにやたら鋭い指摘や勘を発揮する。もちろん波音は彼女ではないが。
その鋭さに自分の『野田はかなりアホに決まっている』という説が稀に揺らぐ。
「いや、彼女ができたらまずおまえに自慢するさ」
「ホントにやりそうッスね、アンタ!」
その後は二人で黙々と弁当を食べる。
俺は弁当と一緒に、今自分が過ごす惰性の日々を噛み締めていた。
そうして気付いた。
諦めていいのか?
このまま惰性に生きて、日々が過ぎ去っていくのを見過ぎして良いのか?
いいわけない。俺はあいつの、波音の為に何かをするとばかり思っていた。
でも違ったんだ。
俺は波音を踏み出させるんじゃない。
波音と一緒に、踏み出すんだ。
叶えたい。自分が歩き出す一歩として、あいつの夢を、希望を叶えたい。
そう心から思っている自分に、この時気付いたんだ。
「…なあ、野田」
弁当をモグつきながら、野田が振り返る。
「何?」
「…やっぱ何でもね」
どうしても言い出すことに抵抗があった。
それに、他人に話してもどうにもならないだろう。
「俺はもう行く。じゃな」
立ち上がって野田に背を向ける。
そのまま帰ろうとして、思い出したように降り返る。
「悪いけど、しばらくは昼飯とか、放課後は付き合えないかもしれない。そこんとこよろしくな」
それだけ言って踵を返す。
今、できる事が何かを深く考えながら、俺は帰路に付く。