まだ教えてあげない
「あのう、ちょっといいですか?」
体育祭を盛り上げる音楽と大声援の最中、トイレから戻ってきたわたしを呼び止める声がした。
かわいらしいピンクの携帯を手に持った二人の女の子が、はにかんだ笑顔を見せて立っている。
右側の子はポニーテール、左側の子はふたつにわけた三編みヘア。
ラメが入ったうるうるリップを唇に塗って、どちらもかわいくバッチリキメちゃって。
彼女たちが胸につけているゼッケンで、ふたりが一年生で同じ組だということがすぐにわかった。
はあ、またか。
今日一日だけで何回目になるんだろう。
わたしは、頭を抱えたくなった。
「わかってる、石村君でしょ? 呼んでくるから待ってて」
わたしは、ヤツの呼び出し受付係じゃないっつーの!
バイト料ふんだくってやるんだから!
でも、そんなことをおくびにも出さず、恋のモチベーションアップ中の二人に、わたしは笑顔で答えた。
うちのクラスの応援席に目をやった。
前方にひときわ目立つ、背の高いヤツがいる。
それが、石村流星。
彼女たちが写メを撮りたがっている相手だ。
音楽と声援にかき消されないように、わたしは手をメガホン代わりに口に当て声を張り上げた。
「いっしむっらくーん、七番テーブルでご指名でーす!」
「おーーーーーっ!」
彼は片手だけ上げると、こちらに振り向いてにっと笑った。
わたしのうしろから、彼女たちが喜んではしゃぐ甲高い声が聞こえた。
流が女の子にもてるようになったのは、高校に入ってからのこと。
それまでは、わたしと背が変わらないぐらいのチビで、先生に叱られてばかりのお調子者だったのに。
どういうわけか高校生になったとたん、ぐんぐん背が伸びて。
背が伸びると同時に、陸上部のハードル走の記録がぐんぐん縮んでいった。
それなのに、わたしのほうは……。
同じ年数ずっと陸上やってるのに、このザマだ。
右足首を痛めてドクターストップ。
痛々しげにテープが巻かれてあった。
家が隣同士だけでもうざいのに、学校も二年間同じクラスでうざいのに。
なんで、あいつだけ!
神様って、イジワル。
ホント、意地悪で最悪だ。
心の中で悪態ついた。
「ミュウミュウ、顔きょーあくだぞ」
わたしが座っている隣の席に、あいつが腰を下ろした。
「うるさい、その名で呼ぶな」
わたしは視線を前方に置いたまま言った。
わたしの名前の美優がうまく言えないまま、彼の中で定着しちゃったおかげで、流は小さいときからミュウミュウとわたしのことを呼んでいた。
さすがに高校に進学してから最近は、ふたりで会話するときしか呼ばれない。
わたしもまた、流のことを学校では苗字で呼んでいた。
運動場では、にぎやかに一年生の借り物競走が行われていた。
借り物競走は、恋する相手に自分をアピる絶好のチャンスだ。
お題の物を気になる相手に借りに行けばいいのだから。
それが公然と認められていた。
「そろそろ来るんじゃない?」
何気に聞いた。
「何が?」
彼はつまらなさそうに、ぼそっとつぶやいた。
「借り物のこと。『先輩、借りたいんですけどお』って、来るんじゃないかなあと思って」
「借りる方と貸す方はいいけどな。それ以外って、ただ見てるだけでつまんないじゃん。何?って感じで」
「うん、まあ、そうだけど。去年楽しかったじゃん? 誰が誰に借りに行くか、前もって相談しちゃってさ。抜け駆けなしってことにして――」
「ええっーーーーー! それでよかったの!?」
流が驚いた。
彼の身体が固まったように身動きせず、視線が空中を彷徨っている。
「そうか、そうだったのか。そうすれば、よかったんだ……」
そうつぶやきながら、見る見るうちに彼の顔が赤くなった。
「石村君、どうしたの? 顔真っ赤だよ!」
びっくり!
なんか、こっちまで恥ずかしくなっちゃうじゃん!
思わず、両手で顔を挟んだ。
「あ、あのさ、今頃なんだけど……」
流は、隠れるように長い身体を折り曲げて、ちょいちょいと手招きした。
「な、なによう」
ドキドキする胸を抑えつつ、わたしも身をかがめる。
「去年……、去年の今頃さ。ミュウミュウ、いっぱい物失くした、って言ってただろ?」
流は落ち着かない様子で、もじもじしながら話し始めた。
「ああ、うん。そうだけど……」
わたしは、頭の中の記憶を探った。
確か……。
「ハチマキとか、ハンカチとか、タオルとか、いろいろ失くしたんだよね……。でも、体育祭が終わったら、いっぺんに戻ってきたんだけど。小人さんが借りに来たかと思ったりしてさあ……」
すると、流がいきなり手をぱちんと合わせた。
「ごめん! オレなんだっ」
は、はあ? なんですと……?
「オレ……、オレが持ってって隠したんだ。それで、それで……返しておいた……」
流の目は大きく見開いて、うるうるしていた。
「な、なんで!? なんでそんなことしたの? わたし、イジメられてるのかと真剣に悩んでたんだよっ」
納得!
どおりで、流に相談しても平気な顔してると思った!
「小人さんは、あんただったのね! あのとき『気のせいだよ』って言っておきながら、陰で面白がってたんだ!」
「ち、ちがうって! 面白がってやったんじゃないんだよう」
「じゃあ、なんなのよ。はっきり言いなさいよ!」
答えによっては、ぶん殴る!
「あのさ……、オレ、とられたくなかったんだよ! 借り物のとき、ミュウミュウの物、他のヤツに借りられたくなかったんだ!」
流の顔は、ますます赤くなった。
ど、どっひゃあ……!
思わぬ告白に、わたしも身体が固まってしまった。
も、もしかして、それって……?
「あのお、すいません。ちょっといいですか?」
ふいに声をかけられたので、流もわたしも身体を起こした。
声がしたほうを見ると、今度は女の子ではなく男の子が立っている。
目がパッチリとして幼い顔立ちで、結構かわいい。
さっきの女の子たちと同じように、彼もはにかんだ笑顔を浮かべていた。
「あのう、借り物で、先輩に借りたい物あるんですけど……」
彼はそう言いながら、わたしの顔を見た。
「わ、わたし……!?」
自分で自分の顔を指差して聞いた。
そうしたら、彼は「はい」とうなずいた。
彼がうなずいた瞬間、流が勢いよく椅子から立ち上がった。
「ダメ、絶対ダメ!! こんな男、絶対ゆるさあああああーーーーーん!」
流が両手を振り上げて叫んだ。
おまえ、わたしのお父さんか!
そうツッコミ入れようとしたけれど、周りの視線に気づいた。
同じクラスの子も、隣のクラスの子も、付近を通り過ぎる子たちも、皆わたしたちに注目している。
あぜんとして口を開けている生徒もいれば、にやにやして見守っている生徒もいた。
げっ、どうしよう!?
「ちょ、ちょっと! 流、皆見てるよっ」
あせって流の袖を引っ張ったけど、ムダだった。
「ミュウミュウの髪の毛一本、お前になんか、絶対渡さないからなあああああーーーーー!」
流のダメ押しの声が響いた。
しばらくの沈黙のあと、皆がいっせいにはやし立てる声や口笛が聞こえて……。
どうなったか、覚えてない。
「なあ、ミュウミュウ、ごめんよ。ごめんって」
家に帰る間中ずっと、流は謝り続けた。
ごめんじゃない!
皆の前で、あんなこと言うなんて!
「恥ずかしくて学校行けないじゃん! この、バカ!」
わたしは、流を思いっきりにらんだ。
こいつ、ホントお調子者。
わたし、流のこと好きって言ってないのに。
込み合う電車の中、流は人込みに背を向けていた。
壁に身体を預けているわたしを守るようにして、流は立っていてくれている。
流は、わたしの足のことを心配して……。
とってもうれしくて、恥ずかしい。
電車が揺れて、流の広い胸に自分の唇が触れそうになるたびに、ドキドキしてしまう。
でも、このことは、まだヒミツ。
ささやかな仕返しなんだから。
まだ、教えてあげない。
体育祭をテーマに書いてみました。
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