間章2.その恋愛は光のもとで
ヴィルエはレインブル家へと向かっていた。
表向きは久しぶりの里帰りだが、実際の用件は異なる。今回の報告をするため、父に会いにいくだけだ。
そうして朝から馬車に揺られ、レインブル家に着いた頃には昼食時となっていた。
書斎に入ると、父が一人で待っていた。ヴィルエはミゼレーと共に頭を下げる。
「お久しぶりです。お父様」
「ニーベルジュ家での暮らしはどうだ?」
ヴィルエがソファに腰掛けると、父が言った。ヴィルエは曖昧な顔をしてこれに答える。
「特に変わりませんわ。夫ともうまくやっていると思います」
「それはよかった。ミゼレーからも話は聞いていたが、元気そうで何よりだ」
こうしてゆっくりと時間を取るのは久しぶりのことだ。ソファに腰掛け、久しぶりの実家に穏やかな気持ちを抱いていると、対面に座る父が真剣な表情で告げた。
「もう『国王の耳』として動くことを辞めても良いのだぞ」
これまで、父からそのような提案をされたことはなかった。
ヴィルエは『国王の耳』として動けるように育ってきた。『夜宴の黒花』として社交界に君臨しているのは、その努力の結果である。有力貴族らの名、関係性、好きなもの、あらゆる情報を覚え、それらを武器として使う。会話や振る舞い、人の心を読み解くための観察力だって鍛え上げてきた。
それがいま、父から辞めてもよいと提案されている。ヴィルエの表情は凍りついていた。
「……私では使い物にならないということですか?」
ニーベルジュ家に嫁ぎ、自由に動けなくなった。だから『国王の耳』として動くことはできないと言われているのかと疑った。
その意図に気づいたらしく、父は慌てて首を横に振った。
「そうではない。お前の働きはじゅうぶんに助かっている。ガードレット王だってお前のことを褒めていた。そして心配もされていた」
「ではなぜ、辞めてもよいと仰ったのです?」
これまで培ってきたものが失われてしまう。そんな予感からヴィルエの顔つきは険しくなる。
対する父は、ヴィルエがそのような反応をすると思っていなかったのか、しどろもどろになっていた。
「せっかく結婚をしたのだから……お前の、これからを……えっと……」
「お父様」
ヴィルエはすっと立ち上がる。そして父を強く睨み付けた。
「私は『国王の耳』として職務を全うすると誓いました。これに私の結婚は関係ありません。これからも辞める気はありません」
「そ、その……違うんだ。これは……」
「このようなお話であれば失礼します――ミゼレー、後の話はあなたに任せるわ」
何かを言いたげにしているくせに口ごもる父にも腹が立つ。
ヴィルエは苛立ち、ミゼレーに後を託して部屋を出て行った。
(まったく。お父様ったらあんな提案をするなんて)
レインブルの屋敷を歩くヴィルエの表情は曇っていた。書斎で聞いた父の話が頭から消えない。あのような提案をされるなんて思ってもいなかった。
そうして廊下を歩いていた時である。向こうから見慣れた姿が駆け寄ってきた。
「お姉様!」
風になびく金色の長い髪と水色のドレス。距離があってもわかる。愛しい妹だ。
彼女はこちらにやってくるなり、ヴィルエの腕の中に飛び込んだ。
「会いたかった!」
「オルナ。あなたも来ていたの?」
ヴィルエより小柄なオルナを抱きしめ、優しく問いかける。
「今日、お姉様がいらっしゃると聞いたの。だからお忍びで……こっそり会いにきてしまいました」
現在は王城で暮らしているオルナとは、婚約発表の後から会えていない。再会を嬉しく思う反面、ヴィルエの心には複雑な思いがあった。
ヴィルエにとって、オルナは可愛い妹だ。大切な守りたい存在である。
『国王の耳』として悪心を抱く者に近づくためといえ、オルナと対立している姉を装っているのだ。オルナに会うたび申し訳ない気持ちが生じる。
(……心を鬼にしないと)
ヴィルエは腕を解き、いつものように優しくオルナを宥めた。
「オルナ。いつも言っているでしょう。私と仲良くしていては誤解されてしまうわ」
「もう。お姉様はいつもそう仰ってばかり。でも屋敷の中なら良いと話していたじゃありませんか。だからお忍びで来たんですよ?」
「あなたはセラティス王太子の妻となるのだから一人で動き回ってはだめよ」
「一人ではないわ」
そう言って、オルナは廊下の向こうに声をかける。すると現れたのはセラティス王子だった。ヴィルエは急ぎ、ドレスの裾を掴んで礼をする。
「王太子もいらっしゃっていたとは。大変申し訳ございません」
「そのように畏まらないでください」
二人が揃ったことから話が見えてくる。今日はセラティスとオルナの二人でここに来ているのだ。となればオルナがわがままを言ったのだろうか。ヴィルエはため息をついた後、オルナに向かって告げる。
「オルナ。王太子まで連れてくるなんて、あなたは本当に……」
「会いたいと話していたのはオルナだけではありませんよ。僕だって幼馴染みと久しぶりに会いたかったのですから」
幼馴染み。その言葉によって、ヴィルエの胸中に懐かしさがこみ上げる。
「こうやってレインブル家に来るのも久しぶりです。昔と変わらず、安心する」
「幼馴染みはお姉様だけではないでしょう? 私だってセラティスの幼馴染みよ?」
「もちろん。でも今は幼馴染みではなく、僕の大事な妻だ」
二人の微笑ましいやりとりを眺めていると思い出す。
(昔は……セラティス王子がよく遊びにきていたものね)
セラティス王子と初めて会った時を、ヴィルエは今も覚えている。
九歳のヴィルエと六歳のオルナは、父に付き添って王城に行った。
今にして思えば、父が『国王の耳』としての報告をするため王城に行ったのだろう。その時は子どもであったため、ヴィルエは何も知らなかった。
父の用事が終わるまで客室で待つことになっていたのだが、気づいた時にはオルナがいなくなっていた。
(あの時、迷子になったオルナを捜して、中庭に行ったのよね)
父が戻る前にオルナを見つけなければ。そんな思いで王城を捜し回り、ようやく中庭で見つけたのだが――その時の光景を、ヴィルエは忘れられない。
迷子で泣いているオルナに手を差し伸べる、セラティス王子。
太陽の光が降り注ぐ、白薔薇の庭園。見つめ合う幼い二人の姿は何よりも美しく、輝いて見えた。
その時のオルナも、今日と同じように水色のドレスを着ていた。金髪の長い髪を編み込み、それを留めるリボンが揺れている。それはまるで、絵本に出てくるお姫様のようでもあった。
そしてオルナを見つめるセラティスも。白いシャツに薄水色の髪はよく目立つ。王子と聞いて想像したものが現実に現れたかのような姿であった。
声をかけてはいけないと思った。
二人は眩い光の中にいて、けれどヴィルエのいる場所は屋根に遮られて光の当たらぬ渡り廊下。ヴィルエの黒い髪も、好んで着ている紅のドレスも、あの二人とは違う。
(あの出会いから、二人は恋に落ちて……今日まで続いている)
二人は惹かれあい、セラティスがお忍びでレインブル家に来ることもあった。
とはいえ『国王の耳』であるレインブル家の令嬢に恋をしたなんて許される話ではない。二人が結ばれるまでには大変な道のりがあり、王が認めるまで時間がかかった。セラティスのもとに娘を嫁がせようとする貴族がオルナの命を狙ったことやセラティスを殺そうとした者だっていた。
そういったものを全て撥ね除けてきたのが、ヴィルエだ。
なぜそこまで出来るのか。『国王の耳』として生きられるのか。
その答えはオルナとセラティスにある。
(幸せになってほしい。幼馴染みと大切な妹だからこそ、私が守ってみせる)
二人が光のもとで愛を育むのなら、ヴィルエは闇に徹しよう。
憧れるほどに美しい、二人のために。
その思いがヴィルエを動かしているのだ。
(だから私は『国王の耳』として生きる。これからも二人を守るために)




