12.取引の代償
クラウザー子爵家の屋敷は派手なものだった。ニーベルジュの屋敷に比べれば土地は小さなものの、内装は贅の限りを尽くしている。
屋敷は豪華なものだが、使用人の数は極めて少ない。侍女に若い女性はいなく、ほとんどが老いた者たちだった。そして怯えているかのように表情が暗い。
「まさか本当にヴィルエ様に来ていただけるなんて」
「あら。私は面白い話が好きなだけよ」
薄暗いデールの私室にて、彼と向き合う。デールが用意させたのだろう軽食がテーブルに並んでいた。
「今宵は素敵な夜になりそうね」
ヴィルエは微笑みを浮かべ、黒い封書を取り出す。それをテーブルの上にそっと載せた。
「ここにあるのは『夜梟』の情報よ。『夜梟』に依頼をしたいのなら必要になる情報でしょうね」
貴族らの間で話題になっている『夜梟』。最強の暗殺者と語られているが、その情報は少なく、どのようにして『夜梟』に依頼をするのかも不明とされていた。
だが今、彼の情報はヴィルエの手元にある。
デールからすれば『夜梟』の情報は喉から手が出るほどに欲しいものだろう。今回に限らず、別のところでも使うことができる。『夜梟』の情報を求める者は多いため、この情報を使っての交渉だって出来る。
デールは目を輝かせ、封書に手を伸ばそうとした――が、それよりも先にヴィルエがぱっと封書を手に取る。
「ふふ。まだお渡しできませんわ」
「……おや。ヴィルエ様は焦らすのがお上手らしい」
「あなたにお渡しする前に、そろそろ計画の内容を私にも教えてくださらない? ここまでしたんですもの、仲間はずれにされたくないわ」
それが、取引の内容。ヴィルエが求めるのはデールが計画している事柄の詳細である。
その意図を理解したらしく、デールはソファに座り直した。ヴィルエの方を真っ直ぐに見つめ、覚悟を決めたように口を開く。
「……私が計画しているのは、セラティス王太子の暗殺ですよ」
やはり、とヴィルエは心の中で呟く。セラティス王太子の暗殺を企んでいるのはデール・クラウザーで間違いない。
「どうです? ヴィルエ様の好みに合うお話でしたか?」
「満足したわ。これほど大きな計画となれば、きっとこれが役に立つでしょうね」
ヴィルエは満面の笑みで黒の封書をデールに手渡す。デールはこれを受け取ると早速封を開き、中に記されている『夜梟』の情報に目を通していた。
「なるほど。ネルデリア領に潜んでいたのか。どれだけ捜しても見つからないわけだ」
一通りを読み終えた後、デールが顔をあげる。
「『夜梟』の情報を持っているなんて、さすがヴィルエ様だ。あなたのおかげでこの計画は確実なものになるでしょう」
「ええ。私もあなたを応援しているわ」
「堅苦しい話はそろそろ終わりにしましょう。せっかくヴィルエ様がいらっしゃったのですからね」
彼は上機嫌な様子でそう話し、部屋を出て行く。聞こえてきた声から察するに酒を持ってくるように頼んでいるのだろう。
ヴィルエは彼が消えたドアの方をじっと睨めつけていた。
しばし待っているとデールが戻ってきた。その手にはワインが注がれたグラスが二つ。侍女ではなくデール自身が持ってきたのである。
彼はワイングラスを二つテーブルに並べると、先ほどと異なりヴィルエの隣に腰を下ろした。
「こちらはとっておきのワインでしてね。乾杯といきましょう」
「……まあ。私のために用意してくださったのね」
彼に笑顔を向けながらも、ヴィルエはワイングラスの中身を観察していた。見たところ普通の赤ワインに見える。グラスにも変わったところはない。
デールはというとワイングラスを片手に、こちらを見つめていた。
「早く飲みましょう。すっかり喉が渇いてしまいまして」
まだグラスに手をつけぬヴィルエを急かしている。彼の口元は嫌な予感を抱くほどにやついていた。
早く飲めと急かし、飲むところを確かめるかのようにじっと待っている。そんなデールの動きから、このグラスに何が含まれているのかは容易に想像がついた。
「それよりもデール様」
ヴィルエはあえて彼に迫り、その膝に手をのせる。身を乗り出し、彼に顔を寄せた。
「今日のドレスについての感想は教えていただけないの? デール様のために選んだのに」
そして胸元のリボンをするりとほどく。肝心なところは出さず、しかしデコルテや寄せた胸部の谷間がちらりと見えているはずだ。
デールの喉仏が大きく上下し、生唾を飲むのが分かった。彼の視線はヴィルエではなく、ヴィルエの胸部に向いている。
その間に、ヴィルエは彼の手からワイングラスを取り上げる。自然な動きを装い、それをテーブルに戻した。
「良いドレスです。黒と紅はあなたによく似合う」
「嬉しいわ。褒めてもらいたくて着てきたんだもの」
「ですが……ドレスよりもヴィルエ様の方が美しい。真珠のように美しい肌を覆ってしまうなんて勿体ない」
彼の反応は予想通りのものであったが、ヴィルエはなぜか物足りなさを感じていた。
(旦那様だったら、今頃顔を真っ赤にしていそう。視線を外して、見ないようにと努めるのでしょうね)
頭に浮かぶのはアクシオのことだ。アクシオならばどんな反応をするだろうかと考えてしまう。
デールを弄んでいても楽しいと思うことはない。むしろ彼の一挙一動に軽蔑さえする。だがアクシオならばと想像すれば好奇心が疼く。彼はどんな反応をし、どのように困るだろう。彼の反応が、見てみたい。
「ヴィルエ様?」
名を呼ばれ、ヴィルエははっと我に返る。考えごとに耽り、不自然な間を空けてしまった。それを埋めるべく、ヴィルエは再び蠱惑的な笑みを浮かべた。
目的は果たしている。ヴィルエはさっと彼のそばから離れる。これ以上、近くにいるつもりはない。
「やっぱり飲み物をいただこうかしら。私も喉が乾いたわ」
***
ワインに口を付け、それからしばしの雑談を挟み――ヴィルエはため息をついて立ち上がる。隣にはソファにもたれかかって眠るデールがいた。
楽しく喋っていると思いきや、デールは突然眠ってしまったのである。だいたい見当はついている。ヴィルエは彼を冷たく見下ろした。
(私のワインに、睡眠薬を混ぜていたのでしょうね)
彼が自分でワインを運び、テーブルに置いていたのも、薬入りのワインを飲まないようにするためだろう。
そのためヴィルエはわざとデールに近づき、彼の注意を引いて、ワイングラスを入れ替えた。それも知らずにデールは飲み干し、まんまと眠ってしまったのである。
(眠らせて好き勝手に遊ぶ計画でしょうね。私がそんな手に引っかかると思ったら大間違いよ)
『夜宴の黒花』として名が広まり、そんなヴィルエと一夜を共にしたいと思う男性は少なくない。あの『夜宴の黒花』に触れたと誇れるからだろう。もしくはヴィルエが持っている情報網を狙うべく、弱みを掴みたいのだろう。今回のように危機を脱するのも初めてではない。
眠りこけるデールから視線を外し、ヴィルエは歩き出す。今のうちに彼の部屋を物色したい。他の共犯者に関するものが得られるかもしれない。
見たところ、デールはがさつな男だ。ヴィルエという来客が来るというのに、デスクに書類が散らばっている。デスクに近寄ると、その書類に視線を落とす。何か気になる情報はないか、と探していた。
(今回の計画に関するものは書面に残していないとはわかっていたけれど……隣国に関する書類が多いわね)
まもなく行われる国交五十年記念祭。その隣国であるノスティルヤの書類がやたらと多い。中にはノスティルヤの領地に関するものもあった。
(計画の後に亡命するつもりで調べていたのかしら)
それ以外に気になるものはなく、ヴィルエはデスクを離れる。後はこのまま立ち去るだけだ。
ようやくデールという男から離れられると安心し、扉に向かう――はずであった。
「……『夜宴の黒花』は手癖が悪いらしいな」
それは扉ではなく、窓の方から聞こえた。予想外の声にヴィルエは急ぎ振り返る。
カーテンが揺れていた。先ほどまで閉じていたはずの窓が開いているのだ。その窓を背にし、男が侵入している。
梟に三日月の紋様。彼の顔を覆い隠す仮面はよく知っているもの。
『夜梟』が、現れたのだ。
まさかアクシオが『夜梟』として現れるとは思ってもいなかった。
驚きのあまりその場に立ち尽くして固まりそうになる。それでも、何とか声を絞り出す。
「……あなた、どうしてここに」
『夜梟』はというと、デールが眠りこけているのを一瞥した後、仮面に覆われていない口元を緩めた。
「偶然立ち寄っただけだが――面白い状況だったから、声をかけてしまった」
「暗殺者のくせに偶然立ち寄ることがあるのね?」
彼はずかずかと室内に踏み入り、ぐっすりと寝ているデールの顔を覗きこんだ。
「こいつが雇っていた暗殺者は俺が殺した。だから反応を見に来ただけだが……まさか寝顔を見ることになるなんてな」
「あら。よかったじゃない。この縁で、あなたに仕事の依頼が来るかもしれないわよ?」
「それならありがたいな。金になる話は引き受けるつもりだ」
淡々とした返答であったが、ヴィルエは息を呑む。彼はセラティス暗殺計画を引き受けるつもりなのだ。そのように進めたのはヴィルエでもあるのだが、アクシオが敵であるとはっきり告げられているようで、ヴィルエの表情は曇る。
『夜梟』は再び窓へと近寄る。その途中で、振り返った。
「お前がここにいたいのならば止めないが、その扉からは出られないぞ」
はっとし、ヴィルエは扉のドアノブに触れる。外側から鍵がかかっているのかドアノブを回しても扉が開く気配はない。
これもデールの仕組んだことだろう。目当ての女性に薬を飲ませるだけでなく、逃げられないようにしていたのだ。ワインを持ってきた時にはもう扉は封じられていたと考えられる。
「私、閉じ込められていたのね」
「ここを出るつもりなら手伝ってやる」
窓のそばにて立ち止まり、『夜梟』はヴィルエを見つめている。帰るのならば協力する、とヴィルエの決断を待っているのだろう。
ヴィルエはふっと笑った後、彼の方へと歩み寄った。
「じゃあ、助けてくださる?」
彼に、手を差し出した。




