10.もう引き返せない
それから数日が経った。
「もうすぐ国交五十年記念祭があるだろ。お前はどうするつもりだ?」
これは、朝食の時にアクシオが切り出したものだ。
国交五十年記念祭とはまもなく行われる式典である。
ガードレット王国と隣国ノスティルヤの国交正常化を祝って始まったものであるが、今年は五十年の節目を迎えるため、盛大に祝われることとなっていた。
さらに此度は、記念祭から一ヶ月後にセラティス王子とオルナの結婚式もある。他国からの注目度の高い中で行われるため、今年は特に注力しているようだ。
「まだ決めてはいませんが、必要であれば行くかもしれませんね」
「なんだ。今年は多くの者たちが集まるから行きたがるのかと思っていたが」
「行きたくなったとしても旦那様にご迷惑はかけませんわ。一人で行きますので」
誘われるのは面倒だからと、ヴィルエは先手を打つ。そのように注目を浴びる場でアクシオと共に参加すれば、夫婦仲が良いと判断されてしまう。それよりは夫婦仲が悪いと思われていた方が行動しやすい。
そのために告げたのだが、アクシオはなぜか苦い顔をしていた。
「……そう、だな」
彼にしては珍しく寂しそうな声音だ。はっきりと拒絶したことでアクシオを傷つけたのかもしれない。普段ならば気にせずいられただろうに、なぜかこの時は彼の反応にヴィルエの胸が痛んだ。
(そんな顔しなくてもいいでしょうに。もしかして私と一緒に行きたかったのかしら)
時折、アクシオの行動がわからなくなる。
はじめは、ヴィルエを監視するために接点を増やしているのだと思っていた。だがそれにしては隙が多い。監視のはずが、気の緩む時間が少しずつ増えている。実際に今も、監視という目的を超えた表情だと感じた。
そして自分自身にもわからなくなる。アクシオに監視されているというのに慣れが出てきた。だから今も、彼の反応にこうして考えこんでいる。『国王の耳』としては許されないのに、ヴィルエ自身の感情が揺さぶられている。
「まさか、私と一緒に行くつもりでした? こんな悪妻を連れて出かけても楽しいことなんてありませんわ」
しかし一度抜いた刃は戻せない。ここで怖じ気づいて、アクシオと共に出かけることになってはいけない。胸の痛みに気づかぬふりをし、ヴィルエは普段通りに振る舞う。
これにアクシオは何かを考えこんでいたが、何かを諦めたようにふっと笑った。
「……そのつもりはない。そもそも、俺も参加するつもりはないからな」
アクシオは社交的な場に出ることが滅多になかった。ヴィルエでさえ彼の名を聞いてはいても会ったことはなかったのだ。出不精なのだろうと片付けられるが、それでも今回は爵位を持つ者の参加が求められている。ニーベルジュ領を管理する者として顔だけでも出すのかと思っていた。
「なぜ参加されないのです?」
不参加の理由が気になり、ヴィルエが問う。
「あの場は貴族らの馴れ合いにすぎない。俺には向いていない」
「ですがガードレット王の要請はあったはずです」
参加を促す書状は貴族らのもとに次々と届いている。レインブル家にも届いたと聞いているので、アクシオも受け取っているはずだ。不参加であるならば相応の理由を提示しなければならず、『社交的な場が苦手』という理由では認められないだろう。
そのように考えていたヴィルエであったが、アクシオは頑なな様子であった。コーヒーを飲み干しても、彼は沈黙を選んでいた。
***
彼の行動に対する謎は解けないまま食事は終わり、ヴィルエは自室に戻る。
ヴィルエが戻ってくるのを待っていたらしく、ミゼレーが駆け寄ってきた。
「お待ちしていました。デールから手紙が届いています」
ミゼレーが渡したのは、ヴィルエ宛の手紙であった。だがレインブル家からのものではない。
ボトルグリーンの封筒には、紋章入りの封蝋が押されている。これはクラウザー家の紋章だ。手紙の主はデール・クラウザーだろう。
さっそく手紙を読み、ヴィルエは口の端を上げた。
「……ちょろい男ね。今日の夜、クラウザー家の屋敷にて待っているそうよ」
ヴィルエは手紙から視線を剥がし、ミゼレーに微笑む。
実はヴィルエはデールに手紙を置く言っていた。デールが新しい暗殺者を捜していると考え、信頼できる暗殺者の情報を渡すという取引を持ちかけたのである。案の定、デールはその提案に乗ってきた。
「今回は思った通りに事が運びそうだわ。これもミゼレーが『夜梟』の痕跡を掴んでくれたおかげね」
この計画を進めるにあたって一番の難関は、『夜梟』に関する情報が得られるかどうかであった。
しかし、蓋を開けてみれば楽に情報を入手できた。以前、暗殺者についての話を得たネルデリア領の酒場にて『夜梟』の噂を聞いたという。彼はネルデリア領のスラム街にアジトを持つという。場所の詳細も手に入れた。
「狙い通りではありますが、デールについては安心できませんね。ヴィルエ様に何をしてくるかわかりません」
ミゼレーが案じているのはヴィルエの身についてだろう。デールはヴィルエに下心を抱いている。そのようにさせたのはヴィルエ自身であるのだが、ついに手を出そうと考えているかもしれない。
「大丈夫よ。それぐらいの対策ができなければ『夜宴の黒花』なんて名乗れないもの」
まだ不安が晴れないのだろうミゼレーを宥めるように、柔らかく微笑んで頷いた。
***
日が沈み、出発の時刻が近づいていた。外にはミゼレーと馬車を待たせてある。
問題はアクシオだったが、彼は忙しいらしく朝食以降は部屋から出ることがなかった。念のため、ミゼレーに外からの監視を依頼し、アクシオが玄関以外から外出すればわかるようにしてあった。報告がないということはアクシオは部屋に籠もっているのだろう。
(変な疑いをかけられる前に屋敷から出ないとね)
アクシオが出てこないのを確かめてから階段を降りる。
そうして誰にも会わず屋敷を出る予定であったが――玄関にて壁にもたれかかる人物に気づき、ヴィルエは足を止めた。
そこにいるのはアクシオだった。こちらに気づいているらしく、ゆっくりとこちらにやってくる。
「そんなにめかし込んでどこへ出かけるつもりだ?」
「旦那様には関係のないことでしょう」
「夜になって出かける妻を案じない夫はいない。せめて行き先ぐらいは教えてほしいものだな」
こちらを追い詰めていると確信を持っているのか、アクシオの態度に余裕が感じられる。すぐに返答できないヴィルエを見て優位だと感じているのかもしれない。
だがこちらも負ける気はない。今宵は絶対にデールのもとに向かわなければ、この計画が破綻してしまう。
「無粋なことを聞くものですね。旦那様のことだからおわかりでしょう?」
「それなら俺がここにいた理由もわかっているはずだな?」
「残念ですね。私、旦那様には興味がないので、どのようなお考えなのか存じません――もうよろしいかしら。馬車を待たせていますの」
話を打ち切り、ヴィルエは彼を無視して歩き出す。
「……今なら引き返せる」
彼の前を通り過ぎようとした時、切なさを秘めた声が聞こえた。その声音が持つ不穏なものにヴィルエは咄嗟に振り返る。
「何をするつもりかわからないが、良からぬことをするのであれば……俺はお前を許すことができない」
睨めつけるまなざしは真剣だが、悲しみが隠れているようにも感じた。まるで懇願だ。こちらの手を掴んではいないのに縋り付かれているような心地になる。
それほど、デールのもとに行ってほしくないのだ。これがアクシオの願いなのか『夜梟』としての頼みなのかはわからない。
(行くなと素直に言えないなんて、不器用な人ね)
引き返せるなんて格好をつけた文句を並べたくせに、寂しがる子犬のような顔をしている。その温度差が可愛らしく笑ってしまいそうになる。『わかった』と答えて頭を撫でてみたい。そのようにからかえば、きっと彼は嫌がるのだろう。もしくは顔を赤らめるのかもしれない。
(……でも、引き返せない)
今日を逃せば、二度とデールと接触するチャンスは巡ってこないかもしれない。そう考えればアクシオの願いを聞き入れることはできなかった。
ヴィルエとアクシオ。『夜梟』と『夜宴の黒花』という互いの立場がある。彼がどのような目的を持ち、どの方角を向いているのかわからない。対峙する関係かもしれない。けれど相手がアクシオだからと矛先を変更するわけにはいかない。
「私に興味を持たないと仰ったのは旦那様です。今さら嫉妬なんてされても困りますわ」
彼の顔を見ず、ヴィルエは告げる。
「他の男のところに行こうが旦那様には関係ありません。だからこれ以上引き留めないでくださいね」
その言葉を聞いた彼がどのような反応をしていたのか、ヴィルエは知らない。それを視界に入れてしまえば感情が揺さぶられてしまう。彼に背を向け、逃げるように外へ出た。
アクシオが追いかけてくることはなかった。




