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魔王様、この『永遠に眠る呪い』は有給休暇扱いですか? 〜元社畜聖女は呪いを最高の福利厚生として全力享受する〜

作者: 羽哉えいり
掲載日:2026/02/04

「アカリ、聖女としてこの世界を照らす光になりなさい」


 その声を聞いたのは、たしか異世界に召喚された直後だった。目の前に立つ、いかにも王様らしい装束を纏った男が、私に仰々しくそう告げてきたのだ。

 私の名前は「あかり」。確かに光が失われつつあるこの世界で、人々を照らす存在になるにはぴったりの名前かもしれない。


 けれど内心では思う。

 前世の私、真壁あかりは、人々を照らすような尊い存在では断じてなかった。

 オフィス街のビル群、通称「不夜城」の一角でひたすらパソコンの画面と向き合い締め切りに追われる日々。私が灯していたのは世界を救う光なんかじゃない。

 あれは、サービス残業という名の、消灯を許されない悲しい明かりだった。


「はぁ……はぁ……、やっと、着いた……」


 今、私は魔王城の最深部、玉座の間に立っている。

 純白だったはずの聖女の法衣は、旅の途中でついた泥や血で汚れ、見るも無残な姿になっている。髪は乱れ、目の下にはもはやパンダのそれと変わらないほど、濃いクマが張り付いている。


 魔王城への道中、幾度となく魔物が行く手を阻んだ。しかし、私の心に本当の恐怖をもたらしたのは魔物ではない。

 私の後ろに控える、王国騎士団の面々だ。


「アカリ様、足が止まっておりますぞ! 疲労を感じたら回復魔法で即座に回復し、進軍を止めぬように!」

「アカリ様、祈りが足りませぬ! 我々の強化魔法が切れかけております! もっと心からの祈りを捧げてください!」

「アカリ様、聖女であれば不眠不休で世界を救うのが当然でしょう! この世界がかかっているのですよ!」


 ……ああ、もう、本当に許せない。

 魔王を倒すまで休息なし。倒した後も「平和になったお祝い」と称した祝賀行事で、連日連夜のハードスケジュール。私の手帳には、向こう三年分の予定が分刻みでびっしりと書き込まれている。

 この世界に召喚されてからというもの、「睡眠」という人間にとってあまりにも当然の権利は、聖女の回復魔法というチートじみた能力によって完全に奪われてしまったのだ。


 もう限界だった。

 今の私にとって目の前の魔王よりも、この戦いが終わった後に待っている「定時」のない明日の方が何倍も恐ろしい。


「……よくぞここまで辿り着いたな……、聖女よ……」


 玉座から地鳴りのような低い声が響く。巨体を揺らし、禍々しい魔力を放ちながら魔王が立ち上がった。普通ならその威圧感に震え上がるところだろう。

 しかし、今の私の目には、彼がこの地獄のような労働環境を終わらせてくれる「救世主」にすら見えていた。


「魔王……、お願い……、早く私を……」

「ほう、死を乞うか。だが、貴様に安らかな死など与えぬ」


 魔王がその醜悪な口元を歪める。その手には見たこともないほど不吉な、ドス黒い魔力の塊が凝縮されていく。


「恐怖に震え、後悔に狂え。貴様には、余が持つ中で最も残酷な呪いを与えてやろう……!」


 魔王の手から黒い奔流が放たれる。私はそれを避ける気など、毛頭なかった。


「――永劫なる孤独の監獄エターナル・スリープ!」


 魔王の咆哮とともに、視界が完全に塗りつぶされた。

 衝撃も痛みもない。ただ、すとんと世界から切り離されたような感覚。

 

 ――暗い。

 ここは、どこだろう。

 足元には感触がなく、上下左右の概念すら消失している。自分の体があるのかさえ定かではない、完全なる虚無の空間。

 そこには風の音も、騎士たちの口うるさい叱咤激励も、眩しすぎる魔法の光も存在しなかった。

 魔王の勝ち誇ったような声が、頭の中に直接響いてくる。


『クハハハ! 絶望せよ聖女! その呪いは貴様の精神を肉体という檻から引き剥がし、絶対的な静寂と闇の中に幽閉する。五感はすべて遮断され、貴様は己の思考という名の迷宮で永遠に彷徨い続けるのだ!』


 魔王の説明によれば、この空間には「時間」の概念すら存在しないらしい。

 一分が千年に感じられ、一秒が永遠に伸びる。

 過去、この呪いを受けた最強の英雄たちも、あまりの孤独と情報の欠如に耐えきれずにわずか三分、精神時間にして数百年ほどで精神が崩壊し、廃人と化したという。


『さあ、狂うがいい! 誰の声も届かず、誰の体温も感じられぬ暗闇の中で、己の無力さを呪いながら永遠に眠り続けるがいい!』


 魔王の哄笑が遠ざかっていく。

 呪いが完全に定着し、私の意識は「世界の果て」へと放り出された。

 静かだ。

 本当に、静かだ。

 暗闇が、心地よい毛布のように私を包み込んでいる。


 ……あ、これ。

 ひょっとして。


「…………遮光カーテン、いらず……?」


 私の唇から(実体があるかはわからないけれど)、ポツリとそんな呟きが漏れた。

 

 前世の不夜城では、デスクのパーテーション越しに上司の視線が突き刺さり、常に誰かのキーボードを叩く音が鼓膜を震わせていた。

 異世界に来てからは、回復魔法の副作用で無理やり覚醒させられた脳が、休むことを忘れて常に熱を持っていた。

 

 それが、どうだ。

 ここでは、スマホの通知音ひとつ鳴らない。

 「ちょっといいかな?」と話しかけてくる上司もいない。

 祈れと急かす神官も、戦えと叫ぶ騎士もいない。

 聞こえるのは、自分の穏やかな鼓動の音だけ。

 見えるのは、目に優しい漆黒だけ。


 ……魔王様。

 あなた、もしかして……、神なの?


「……最高……。なにこれ、最高じゃない……っ!」


 絶望しろと言われた空間で、私の心はかつてないほどの多幸感に満たされ始めていた。


「……え、待って待って。これ、もしかして天国?」


 私は虚無の暗闇の中で、じわじわと込み上げてくる感動を噛み締める。

 静かだ。あまりにも静かだ。

 前世であれほど私を追い詰めた、あの忌々しいチャットツールの『ポポポンッ!』という通知音が聞こえない。深夜二時に「今起きてる?」と送ってくる上司のチャットも、進捗を詰め寄るクライアントの電話も、ここには一切届かない。


「真っ暗……。最高。ブルーライトに焼かれない視界がこんなに優しいなんて……」


 ディスプレイの光に怯える必要もなければ、常に不機嫌そうにフロアを見渡す上司のギョロ目を気にする必要もない。

 おまけに立っている必要も、祈るポーズを維持する必要すらないのだ。

 感覚が遮断されているということは、重力からも解放されているということ。つまり、全細胞が「横になっている」と錯覚してもいいわけだ。


「座らなくていい、立たなくていい、返信しなくていい……。なにこれ、防音完備、遮光100%、連絡遮断の『究極の完全個室』じゃない……!」


 魔王はこの呪いを「孤独に狂う監獄」と呼んだ。

 だが、不夜城の歯車として、そして異世界の使い捨て聖女として働き詰めだった私にとって、これは「監獄」などではない。


「これ、最高の『有給休暇』よ!」


 その瞬間、この世界を支配する「呪い」の理に、未曾有のバグが発生した。

 

 本来、この呪いは対象に「耐え難い精神的苦痛」を与えることでその精神を崩壊させる。しかし、今の私はこの状況を「この上ない報酬」であり「極上のインセンティブ」であると骨の髄から認識してしまっている。

 苦痛という概念が、快楽というデータに上書きされた。

 

 システムが混乱する。

 ダメージ判定はエラーを起こして消失し、本来なら精神を削るはずのドス黒い魔力は、あろうことか私を優しく包み込む「低反発マットレス級の癒やし」へと変換されていく。


『……な、なぜだ!? なぜ発狂しない!?』


 頭の中に魔王の動揺した声が響く。うるさいわね、今、眠りにつく前のゴールデンタイムなんだから静かにして。


『返答せよ聖女! 貴様の精神は今、数百年分の孤独に晒されているはずだぞ! なぜ精神が崩壊するどころか、そんなに艶やかに、瑞々しく潤っているのだ!?』


 知るもんですか。

 私はただ、数年……、いや、前世を含めれば十数年ぶりに訪れた「完全なオフ」を全力で享受するだけ。


「魔王様、静かにして……。福利厚生のろいの質が落ちるでしょう……?」


 私は深い深い安眠の海へと、吸い込まれるように落ちていった。

 そして漆黒の虚無の中で、前世で培った「現実逃避のイメージ力」をフル稼働させる。


「そうよ、ここは私の精神世界。なら、望むままの寝具が出せるはず……。出てきて、最高級の羽毛布団。それから超感触の抱き枕も。あと、耳栓代わりの静寂をマシマシで」


 漆黒の空間にふかふかの特等席が完成する。私はそこに吸い込まれるように身を投げ出した。


「あぁ……、最高……。前世じゃオフィスの椅子の背もたれを倒して寝るのが関の山だったわ。それに比べてどうよ、この静寂。魔王様が言ってた『発狂するほどの孤独』って、現代社会じゃ月額5万円くらい払わないと手に入らない『究極のデジタルデトックス』じゃない。これは実質1泊30万の高級リトリートよ」


 私の精神は孤独を噛みしめるどころか、急速に細胞レベルで修復されていった。




「おい、見ろ。聖女の指が動いているぞ」


 魔王の側近が怯えながら指を差す。床に転がっているあかりの右手が、寝ながらにして空中で何かを操作するような動きを見せていたのだ。


「な、何をしているのだ?  呪いに抗う秘術か?」

 

魔王が恐る恐る顔を近づけて耳を澄ますと、あかりの口から小さな寝言が漏れた。


「それは……、全削除……。未読無視……。……承認は……、出しません……。ムニャムニャ……」

「こ、こいつからは何故か絶望のカケラも感じられぬ! なんという強固な精神だ……」


 魔王は戦慄した。本来精神を削り取るはずのドス黒い魔力が、あかりの顔をツヤツヤと輝かせる「美容液」のように吸い込まれているのだから。


「おい、起きろ聖女! なぜだ、なぜ貴様は、そんなに幸せそうな寝顔をしているのだ!?」


 魔王は床に倒れ伏しているはずの聖女の姿を見て、激しく狼狽していた。

 本来ならば顔面は蒼白になり、苦悶に歪み、口からは泡を吹いているはずだ。過去の英雄たちがそうであったように。

 だが、あかりの顔は違った。

 血色はむしろ良くなり、目の下のクマはみるみるうちに薄れていく。口元は微かな笑みを浮かべ、まるで高級ホテルのスイートルームで眠るセレブのように、実に気持ちよさそうに寝息を立てているではないか。


「絶望しろ! 孤独に打ちひしがれろ! 貴様の精神は今、永遠の闇の中だぞ!」


 魔王が、苛立ち紛れにあかりの肩を揺さぶる。

 すると、あかりは「んぅ……」と寝返りを打った。


「……んぅ、……あと五万年……、五万年寝かせて……」

「ご、五万年!? 正気か貴様! 呪いを延長希望するだと!?」


 魔王は混乱する。自分の開発した最凶の呪いが、最高の安眠グッズとして機能しているなど、悪の帝王としてこれほどの屈辱はない。

 後ろで様子を見ていた騎士団も神官たちも呆然としている。


「おい、起きろ! ここは闇の精神世界だぞ! 苦しむべき場所なのだぞ!」

「……うーん……」


 あかりは魔王の言葉など耳に入っていない様子で、さらに深く寝息を立てる。まるで、夢の中で極上のサービスを受けているかのようだ。

 魔王は頭を抱えた。

 恐怖で世界を支配したい魔王にとって、この状況はあまりにもシュールすぎたのだ。


「貴様……! 余の威厳を愚弄するか!」


 魔王は仕方なく、力づくで呪いを解除しようと、あかりの体に手をかざす。

 すると、あかりの目がカッと見開かれた。


 その瞳は休息によって完全にリフレッシュされており、社畜時代の死んだ魚のような目とはまるで違っていた。ギラギラと、獲物を狙う猛禽類のような、深夜にシステム障害の連絡を受けたエンジニアかの如く凄まじい殺意を宿している。


「……今、私の貴重な有給休暇を、邪魔したわね?」


 周囲の空気がピキリと凍りついた。

 魔王はそのあまりの気迫に一歩後ずさりし、ゴクリと喉を鳴らす。


「な、何を言っている……!  呪いは解いてやったのだぞ!  感謝して絶望しながら死ね!」

「黙れ安眠妨害犯。上司もいない、電話も鳴らない、光もない……、あんな最高の福利厚生を強制終了させるなんて、万死に値するわ。魔王、……あんた、労働基準法って知ってる?」

「は……?  ろ、ろうどう……?」

「貴様のような存在は、労働基準法第37条、時間外、休日及び深夜の割増賃金……、いや、ここはもっとシンプルに、物理で黙らせるのが一番だわ!」


 あかりは聖女の杖をまるで金属バットのように構えると、勢いよく地を蹴った。

 聖女の全魔力を「筋力増強」だけに注ぎ込んだ一撃が、魔王の脇腹にめり込む。聖女の杖が空気を切り裂く鋭い音を立てた。


「これは深夜三時に『ちょっといいかな?』ってチャットしてきた腐れ部長の分!」

「ぐはっ!」

「これは貴重な休みの日なのにグループLINEを動かしてきた無駄に意識高い系後輩の分!」

「ぐふぁっ!? な、なんだこの威力は……、回復職の振るう杖じゃないぞ!」

「そしてこれは前世のサービス残業代! それから有給未消化分!  そしてこれが私の安眠という名の聖域を土足で踏み荒らした、あなたのコンプライアンス違反への違約金のぶーーん!」


 ドゴォォォォン!! と、魔王城の壁が物理的に粉砕される。

 あかりは杖をフルスイングし、魔王を城の端から端までボコボコに叩き伏せた。魔法など使わない。ただの純粋な、睡眠を奪われた女の怒りによる暴力である。


「いい、魔王?  納期を守れない奴はクズだけど、他人の有給を邪魔する奴はそれ以下の産業廃棄物なのよ!」

「 悪かった! 余が悪かった! もう二度と貴様を呪わない! むしろ二度と顔を見たくないから、頼むから今すぐ帰ってくれぇぇ!」

 

 ガタガタと震え、涙目で許しを乞う魔王。

 あかりはふん、と鼻を鳴らし、肩に乗った髪をさらりと払う。


「二度と呪わない? ……冗談言わないで。次は一万年コースの呪いを用意しておきなさい。さもないと、この城、更地にするわよ?」





 ――数日後。

 王国に帰還したあかりを待っていたのは、鳴り止まない喝采と、――さらなる絶望だった。


「おお、アカリよ! よくぞ魔王を退けた! さあ、休んでいる暇はないぞ。次は隣国との和平交渉、魔物被害の復興祈祷、さらに新聖女の育成だ。さあ、今すぐ執務室へ!」


 王様が不敵な笑みで分厚い書類の束を積み上げる。

 あかりは無言でその束を眺め、それから一点の迷いもなく踵を返した。


「おい、どこへ行く!? 仕事は山積みだぞ!」

 

 あかりは振り返らず、軽やかに手を振って言い放った。


「魔王城に有給のストックを忘れてきたのでー。ちょっと、おかわりを取りに行ってきます」

「えっ、おかわり!? 」

「今度は終身雇用(永劫の呪い)で契約してくるわ。探さないでください」


 異世界に召喚されし聖女・真壁あかり。

 彼女が次に「出勤」してくる日がいつになるのか。

 それを知るのは、今ごろ魔王城で「聖女様御一行、再来」の報に震えているであろう、不憫な魔王のみであった。




 ――更に数日後、魔王城の正門。


「開けなさい魔王! 契約更改に来たわよ! さあ、私を呪いなさい!」


  門をドンドンと叩きつける聖女の姿に、城内の魔物たちは一斉に震え上がった。


「ひ、ひぃぃ!? 帰れと言っているだろう! 警備兵、門を閉めろ! 聖女を入れるな! 結界を最大出力で張れぇぇ!」


 玉座の間で頭を抱える魔王の叫びが響く。


「無駄よ! 私、もう王国に『退職届(聖女引退)』出してきちゃったんだから! 早く呪って! 終身雇用(永劫の監獄)してよ!」


 世界を滅ぼそうとした魔王が、一人の元社畜聖女に追い回される。

 あかりにとっての「最高のホワイトな職場」を探す旅は、まだ始まったばかりなのだった。



(完)

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