50 警戒心
ひなは、テーブルに残されたグラスを片づけながら、ふと視線を美歌の方へ向けていた。
その横顔はどこか考え込むようで、眉のあたりに小さな緊張が見える。
そして、カウンターの中で一息ついていたシュウの方へ、すっと視線を向けた。
「シュウ、ちょっとこっち来て」
そう言って、ひなは彼をバックルームへと連れていった。
薄暗いストックルームの中、ひなは扉を静かに閉めると、まっすぐにシュウを見つめる。
「ねぇ、さっきね……シュウの名前、聞かれたの」
「え?」
「“ひなちゃん、彼の名前は?”って。
なんか……すごく自然に聞いてきたんだけど、気になってる感じだった。
その目が、ただの興味って感じじゃなくて……何かを確かめようとしてるみたいだったの」
ひなの声にはわずかに不安が混じっていた。
まるで、言葉にできない違和感が心の奥に残っているような。
「なにもないよ。昨日、ひなと一緒にいたときに偶然会っただけだよ。
それ以外、特に関わってない」
そう言いながらも、シュウ自身、胸の奥がざわつくのを感じていた。
――なぜだろう。偶然会っただけのお客さんなのに、何か妙に引っかかる。
「でもね、なんか気になるんだよね……」
ひなは小さく息をついた。
「“美歌さん”って言うんだって。名前も綺麗だし、話し方も落ち着いてるけど……どこか見透かされてるような感じがして」
「そうなの……」
シュウは腕を組みながら、少し視線を外に向けた。
「別に、俺は関心ないけどな」
「ううん、でも美歌さんの方は、何か感じてるよ。
たぶんシュウのこと……ただの店員として見てるんじゃないと思う。
後で、挨拶くらいはしておいた方がいいかも」
その言葉に、シュウは軽くため息をついた。
「わかったよぉ〜……挨拶してくるよ」
口では軽く言いながらも、心のどこかでは警戒していた。
“なぜ、あの人は俺の名前を知りたがったんだろう”
そんな疑問が、じわりと頭の中に浮かんで離れなかった。
お冷のポットを手に取り、ひなに小さく頷く。
「じゃあ、行ってくる」
バックルームの扉を開けると、店内の柔らかな光が差し込んできた。
カラン、とグラスの音が響く中、
シュウは心の奥に小さなざわめきを抱えたまま――
ゆっくりと、美歌のテーブルへ向かって歩き出した。




