40 始まり
その夜、家に戻った俺は、なんだかいつもより身体が重く感じていた。
急いでシャワーを浴びて、散らかった部屋を軽く片付けて、明日の準備もそこそこに済ませる。雑用をこなすだけで、もう気力をだいぶ使い切った気がして、時計を見るとまだ早い時間だったけど、もうベッドに横になりたくなった。
布団に潜り込むと、ふぅっと息が漏れる。
「やっぱり、今日はバイトが忙しかったせいかな……」
全身がじんわりとだるくて、力を抜くとそのまま布団に沈み込んでしまうようだった。
それでも、不思議と気持ちは重くない。
むしろ頭の中には、ひなとのやり取りが次々と思い出されていた。
すぐ拗ねて頬を膨らませたり、ちょっとしたことで怒ったり……でも結局は笑顔になってくれる。あの素直さと、可愛らしさが、どうしようもなく愛おしい。
「ほんと……怒りんぼなのに、可愛いんだよなぁ、ひなって」
そうつぶやいた瞬間、自然と口元が緩む。
楽しかった会話や、店を出るときに見せたひなの笑顔を思い浮かべながら、心地よい余韻に包まれる。だるさよりも、あたたかい想いのほうが胸に広がっていく。
そのまままぶたが重くなり、気がつけば俺は静かに眠りへと落ちていった。
ぼんやりと意識が浮かび上がり、ゆっくりとまぶたを開ける。
すると目の前に広がっていたのは、見覚えのある公園だった。
「あれ……? どうしてここに……」
頭がぼんやりしていて、思考がうまくまとまらない。
さっきまで家にいたはずなのに、気がつけばベンチに腰掛けている。
「今日って……鎌倉に来てたんだっけ?」
そう思った瞬間、自分でもわからない違和感が胸に広がる。記憶がところどころ霞んでいて、鎌倉に来たのかどうかすら定かじゃない。
「なんで……俺、こんな公園にいるんだ?」
小さく呟いた声は、夜の空気に溶けていくばかりで返事は返ってこない。
ふいに、背中に軽く衝撃を感じた。
トン、と小さな手で叩かれたような感触。思わず振り返ると、そこには――あのときの、見覚えのある小さな男の子が立っていた。
無邪気な笑顔を浮かべ、ただじっとこちらを見つめている。
その姿はどこか現実感が薄く、けれど確かにそこに存在している。
俺は息をのんだ。
「……なんで、君がここに……?」
気づけば、公園の景色が少しずつ揺らめいているように見えて、まるで夢と現実の境界が混ざり合っていくようだった――。