表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

3 お化け屋敷

そのときは、ただの興味本位だった。

昼間の海での話題が、ほんの遊び半分の延長のように続いて、

「じゃあ、行ってみるか」という軽いノリで車を走らせた。


材木座の海から、車でわずか五分ほど。

街灯の明かりが途切れがちになる住宅街の外れに差し掛かり、

近くの空き地に車を止める。

夜の空気は昼間の熱気をすっかり失い、少し肌寒く感じられた。


「……あれだ」

智也が先頭を歩きながら、指差した先に見えるのは──

ぱっと見は、ごく普通の一軒家だった。

白い外壁に、二階の窓。庭先には古びた植木鉢。

表札すらも、生活感のある字体で刻まれている。


けれど、その家だけが周囲の空気から浮き上がって見える。

人の気配はなく、窓は暗く、玄関のポーチライトも消えていた。


「ここな……昔、この家で──」

智也が少し声を落として語り出す。

失踪した家族、夜ごと聞こえるうめき声、誰も住んでいないはずの部屋の明かり……

そんな話を、面白がるように淡々と続けた。


メンバーはそれぞれの反応を見せた。

アキラは「マジかよ、それ本当か?」と笑いながらも目を輝かせ、

健三は「おいおい……やっぱやめたほうがいいって」と小声でぼやく。

典子と洋子は、半分顔を見合わせ、半分は家から目を離せずにいた。


そして──。


……何も、起こらなかった。

風の音と、自分たちの呼吸だけがやけに大きく響く。

拍子抜けするほど、静かな夜だった。


車に戻ると、洋子が助手席に腰を下ろしながら、

「……ほらね、結局なんにもなかったじゃん」

と笑った。肩の力が抜けた声だった。

「ほんとにあれ、お化け屋敷なの?」


すると、後部座席にいた智也が、前かがみになって言った。

「お前ら、あの家の噂、ちゃんと知らないだろ?」

その声は、さっき家の前で話していた時よりも、妙に真剣に聞こえた。


「……あそこに引っ越した家族、何組もいるんだけどさ、全員、最終的に誰かが……おかしくなるんだって」

「おかしくなる?」と典子が眉をひそめる。

「うん。家族の誰かが突然暴れて、家族を殺したり、自殺したり。で、生き残った人は……みんな行方不明」

その場の空気が、またひんやりとした。

「しかも、無事に住み続けられた家族は一度もない。取り壊そうとしても、工事中に事故が起きて、結局誰も壊せないんだとよ」

智也はそう言って、ポケットからスマホを出し、「週刊誌にも載ってたんだよ」と画面を見せようとした。


しかしその瞬間、運転席のアキラが笑い出した。

「おいおい、また始まったよ智也の怪談。ぜ〜んぶ雑誌の盛り話だって!ありえねーから!」

ハンドルを叩きながら、わざとらしく大げさに笑う。

「だってよ、家が壊せないって、RPGの呪いの城じゃねーんだからさ!」


智也は「マジだって!」と笑い返し、車内は再び軽い笑い声に包まれた──

……けれど、窓の外の暗闇は、何も言わずにじっとこちらを見ているようだった。



しばらく車を走らせていると、運転席のアキラがふいに口を開いた。

「……悪い、ちょっとコンビニ寄っていいか?」

いつもより声が低く、妙に張りがない。


助手席に座っていた俺は、横目でアキラの顔を見た。

街灯の光が一瞬だけ照らしたその横顔は、やけに青白く、額にはうっすらと汗がにじんでいた。

「……アキラ、気分悪いのか?」

問いかけると、彼は小さくうなずいた。

「あぁ……なんか……吐きそうな感じがするんだ」


それだけ言うと、アキラは道路脇に車を寄せ、ブレーキを踏み込んだ。

エンジン音が静まり、車内に微妙な緊張感が広がる。


アキラはシートベルトを外すと、足早に外へ出て、近くの街路樹の影へ向かった。

そしてその場で、胃の奥から絞り出すように吐き出した。

吐瀉音が嫌でも現実感を強める。


俺も慌てて車を降り、アキラな背中に手を置く。

「大丈夫か……?」

背中越しに伝わる体温は高く、肩は小刻みに震えている。

息も荒く、時折、喉の奥でひゅっと空気が引っかかるような音がした。


……さっきまであんなに笑っていたのに。

何が、アキラの体をこんなに急に弱らせたのか──そのときの俺にはまだ、見当もつかなかった。



俺はアキラの肩を抱えながら、声を張り上げた。

「健三ぉー!来てくれぇ! アキラが……!」


その叫びに、車の後部座席から健三が飛び降りてきた。

「どうしたんだ!?」

「急に気分が悪くなって吐いたんだ。そのあと……力が抜けたみたいにぐったりして……」


俺と健三は、互いに目を合わせ、一言もなくアキラの両脇を支えた。

体は思った以上に重く、まるで水を吸った毛布のように動かない。

息は浅く、額からは冷たい汗が流れ落ちていた。


どうにかして後部座席に横たえると、洋子と典子が顔をのぞき込む。

「え……なにこれ……どうしたの……?」

洋子は声を震わせ、典子は一瞬ためらいながらも、クーラーボックスから保冷剤を取り出し、あきらの額にそっと当てた。

「……冷やしたほうがいいよね……」

彼女の声もわずかに上ずっていた。


しかし、静かに横たわっていたあきらの唇が、わずかに動いた。

次の瞬間──


「……くるな……くるな……」

低く、掠れた声。

その声はすぐに大きくなり、叫びへと変わった。

「やめろぉ……! こっちにくるなぁーーーっ!!!」


車内に響き渡る絶叫。

その目は見開かれ、何かを凝視している──だが、そこには何もない。

窓の外の闇に向けて、両手を必死に振り払うその動きは、

まるで“何か”が今にも触れようとしているのを防いでいるかのようだった。


俺たちは凍りつき、ただその場で息を呑むしかなかった。




あきらの絶叫が途切れ、まるで糸が切れたように静かになった。

目を閉じ、浅い呼吸を繰り返すその姿は、気を失ったようにも見える。


俺と健三は顔を見合わせ、同時にうなずいた。

「……とにかく、病院だ」

その言葉に異論はなく、全員が即座に動き出す。


洋子はもう携帯を握りしめていた。

「鎌倉救急病院が一番近いみたい! ここからならすぐ!」

声は震えていたが、その指は迷いなく画面を操作している。


「番号は?」と健三が聞く。

洋子が読み上げた数字を、健三はすぐにカーナビへ入力。

小さく「OK」とつぶやき、画面に表示されたルートを指で示した。


「運転は俺がする!」

俺はそう言ってハンドルを握り、ナビの指示に従いながら車を発進させる。

その間、後部座席では典子がすでに病院へ電話をかけていた。

「はい、大学2年の男子なんですけど……急に吐き気と意識がなくなって……はい、はい……」

落ち着いた声で状況を説明する彼女の額にも、汗が光っている。


車内には、さっきまでの混乱はもうなかった。

誰も指示を出していないのに、全員が自然と自分の役割を見つけ、動いていた。

言葉は少なかったが、それぞれの行動が噛み合い、ひとつの流れになっていた。


ナビの案内が「目的地まであと500メートル」と告げた頃、

前方に病院の白い建物が見えてきた。

到着まで、わずか5分足らずだったが──その時間は異様に長く感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ