22 【忠告】
カウンターの端に、白髪の男性が座っていた。
その姿は昨夜は見かけなかった気がするが、どこか堂々としていて、ただ黙ってグラスを傾けながらこちらをじっと見ている。
俺は少し落ち着かない気持ちになりながらも、ママさんに向かって言った。
「ママさん、また来ますね。今度は彼女も連れてきますから」
するとママさんは嬉しそうに微笑み、
「うん、楽しみにしてるわ。彼女さんにもぜひ会わせてちょうだい。また遊びにきてね」
と優しく言ってくれた。
「はい、じゃあ今日はこれで帰ります」
軽く頭を下げて出ようとした、その時だった。
静かに酒を飲んでいた白髪の男性が、不意に低い声で言った。
「……気をつけろよ。甘くみるなよ」
唐突な言葉に俺は一瞬戸惑ったが、てっきり帰り道のことだろうと考えて、
「はい、大丈夫です。気をつけて帰ります」
と軽く返した。
だが、その男性は目を細めて、もう一度念を押すように口にした。
「……本当に、甘くみるなよ」
まるで別の意味が込められているかのような強い響きに、思わず息をのむ。
俺は曖昧に「大丈夫です。ゆっくり帰りますから」と答えるしかなかった。
ママさんが穏やかな笑顔で送り出してくれたのとは対照的に、男性の言葉だけが妙に胸に残り、扉を出てからも耳の奥で何度も反響していた。
帰りの車を走らせながらも、ハンドルを握る俺の頭の中には、あの白髪の男性の声が何度も甦っていた。
――気をつけろよ。
――甘くみるなよ。
「気をつけろよ」なら、帰り道の運転を心配してくれた言葉だと解釈できる。
だが「甘くみるなよ」という言葉だけは、どうしても引っかかった。
運転のことにしては、妙に強い響きだった。
一体、何を甘くみるなと言っていたのか。
事故に対して? それとも、昨夜聞いた幽霊の話に対して?
考えれば考えるほど答えが出ず、ただ胸の奥に不安だけが広がっていく。
そしてふいに――頭の中に、あの夜訪れた「お化け屋敷」の姿が浮かんできた。
あの重苦しい空気。理由もなく足がすくむ感覚。
そして友人が倒れた直後に起きた、あまりにも不思議な出来事。
――甘くみるなよ。
もしかして、あの言葉は……あの屋敷に向けられていたのではないか。
ハンドルを握る手に、じわりと汗が滲むのを感じた。