2 夏の冒険
大学生の修は、ウインドサーフィンのサークルに所属していた。
夏といえば海、海といえばサーフィン──というほど、彼にとってこの季節は特別だった。
その日も朝から日差しが強く、真夏の空気がすでに車内にも入り込んでいた。
いつものように、サークル仲間数人と車を乗り合わせ、
鎌倉・材木座のゲレンデに向かっていた。
窓を開ければ潮の香り。カーステレオからは夏の定番ソングが流れ、
助手席のやつがリズムに合わせて窓枠を指で叩いている。
「今日、波どうかな〜?」
「風、ちょっと弱めらしいけど、昼から上がるってさ」
「じゃあがっつり乗れるな!」
後部座席では、水着の話やら、昼飯にどこのカレーを食べるかで軽い口論が起きていた。
まるで子どもの遠足のような騒がしさ。けれど、それが夏らしくて心地いい。
そんなとき、不意にひとりが言った。
「なあ、お前ら……夜ってさ、海の音が人の声に聞こえることあるじゃん?」
「は? なにいきなり。ホラー?」
「いやマジで、去年の夏、夕方にひとりで板片付けてたら、誰もいないのに“ねぇ”って声聞こえたんだよ」
「出たよ……そういう話、得意なんだよな、智也」
「でも実際あるって。
それで思い出したけど、さ……。
ちょっと気になるお化け屋敷があってさ。都内じゃない、もっとヤバいやつ」
「え、なになに? 本物系?」
「俺、知ってるんだよ。マジで“出る”って噂のとこ。
場所もあんまり公にはされてないんだけど……行ってみる?」
車内が一瞬、静かになった。
そして次の瞬間には、興味と怖いもの見たさで盛り上がりが加速する。
「え、マジで!? 面白そうじゃん!」
「サークル肝試し企画、ありでしょ!」
「ひなも誘ってさ、全員で行こうぜ!」
じゃあ、今日は下見な
修は、そんな話を聞きながら窓の外に目をやった。
まだその時は、ただの夏の思い出のひとつになる──そう思っていた。
昼間の海は、まさに夏そのものだった。
青空の下、材木座の海にはサークルメンバーの笑い声が響き、
修たちは風を受けてボードを滑らせながら、江ノ島まで足を伸ばす小さな遠征にも挑んだ。
汗をかいて、波に揉まれて、風と戯れて──
ふざけ合いながらも、しっかりと練習に励んだ一日だった。
夕方になり、空の色が少しずつ柔らかなオレンジに染まり始めた頃。
海面にキラキラと揺れる光が、だんだんと影の色に変わっていく。
そんなときだった。
浜辺に腰を下ろし、濡れたTシャツの裾を絞っていた智也が、ふと口を開いた。
「──でさ、どうする? 昼間話した、お化け屋敷。
せっかくだし、行ってみる?」
冗談混じりのような、でもどこか本気めいた口調。
それにすぐさま反応したのは、サークルのムードメーカー・アキラだった。
「はぁ〜、仕方ないなあ……
でもまあ、ちょっとだけな? “ちょっとだけ”だぞ?」
そう言いつつも、口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。
実は内心、一番乗り気なのは彼なのかもしれない。
「マジで!? やったー!」
「怖いの苦手って言ってたくせに!」
「え、場所どこなの? 本当に出るの?」
わいわいと盛り上がり始めるメンバーたち。
先ほどまでのサーフィンとはまた違うテンションで、まるで子どもみたいにはしゃいでいる。
修はというと──その場の空気に完全には乗りきれずにいた。
「……ほんとに行くのかよ……」
声には出さなかったが、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
楽しい流れに見せかけて、何かが“少しズレた”ような、妙な違和感。
けれど、他の全員が楽しみにしている様子を見れば、
断るという選択肢はもう、自然と消えていた。
「ま、いいか。どうせ帰り道だし……」
そうつぶやくと、修は立ち上がり、
濡れたボードやセイルを手早く片付け始めた。
車に荷物を積み込み、エンジンがかかる。
すっかり日が落ちて、空はすでに濃紺へと変わっていた。
窓の外に広がる闇と、車内の浮かれた笑い声。
怖いような、でもちょっと楽しみなような──
そんな、夏の夜の“もうひとつの冒険”が、静かに始まろうとしていた。