16 手のひら
その女性は、まるで大切なものを扱うように、そっと俺の手を取り上げた。
指先から掌の線にかけて、じっと見つめる様子は、まるで手相を読むかのようだった。
しばらく右手を観察したあと、今度は反対の手を手に取り、同じように食い入るように視線を落とす。
無言のまま、1分、2分が過ぎた。
その静けさが逆に場の空気を引き締め、周りの常連たちまでもが息を潜めて見守っているのがわかった。
やがてその女性は顔を上げ、真っ直ぐ俺を見つめると、小さく微笑んで言った。
「シュウくん、今まで見たことがあるでしょう?」
「……何をですか?」
俺が戸惑いながら問い返すと、彼女はさらに口元を緩め、あたりまえのように言葉を続けた。
「幽霊に決まってるでしょ。だって今、みんなその話で盛り上がってるじゃない」
その場に笑い声はなかった。
確かに「盛り上がっている」というより、張り詰めた緊張感の中で、ひとりひとりが好奇心と不安を入り混ぜて俺を見つめている。
視線を向ければ、カウンターの奥からもテーブル席からも、常連たちが小声でささやきながら、まるで息を詰めるようにこちらを覗き込んでいた。
俺は唾を飲み込んで答える。
「……見たこと、ないんです。さっきのが……初めてで」
その答えを聞いた女性は、すべてを理解しているような穏やかな表情を浮かべた。
「シュウくんの守護霊さんは、きっととても立派な方なのね。だから、いつもあなたを守ってくれているんだと思うわ」
そして俺の手を返しながら、指先を指し示す。
「ほら、手の指の関節のところを見てごらん」
言われるまま自分の手に目を落とすと、普段は意識したことのない細かな線や模様が、妙にはっきりと浮かんでいるのに気づいた。
女性は感嘆の吐息をもらす。
「ここまでくっきり見えるのは、私は初めてだわ」
俺にはその意味がよくわからず、ただ黙って手を見つめていた。
すると彼女はさらに続ける。
「ほら、ここの関節全部に目のような模様が出ているでしょう? こういう人は霊感がとても強いのよ」
その言葉に、カウンターの奥でグラスを拭いていたママさんが慌てたように身を乗り出してきた。
「ちょっと見せて、シュウくん!」
彼女は俺の手を引っ張り、じっくり覗き込むと、驚きと興奮を隠せない声で言った。
「やだぁ〜、ほんとに目みたいじゃない! シュウくん、今まで気が付かなかったの?」
「はぁ……」
思わず曖昧な返事しかできない俺の周りに、次々と常連たちが集まってきた。
「ほんとだ、指全部に目があるみたいだ」
「これは守護霊が強いって証拠なんじゃない?」
「だからあの夜も無事だったんだよ、きっと」
みんなが声をひそめながらも、まるで神秘的な儀式に立ち会っているかのように目を輝かせていた。
笑い声も大きな声もなく、ただざわざわとした小さなささやきだけが、店の中を静かに満たしていた。
俺はその視線に包まれながら、得体の知れない何かが、確かに自分の中に存在しているのかもしれない――
そんな気持ちを抑えられなかった。




