誘い出された聖女姫
国境近く、森を背にした古い石造りの邸宅。
外観は静かに佇んでいるが、門の外にはベルヴァインの兵士たちが無言で立ち並び、来客をじっと見つめていた。
セシリアは、緊張を隠すように微笑みを浮かべ、レオナルトの出迎えを受けた。
「お久しぶりです、セシリア姫」
彼は前よりもさらに整った笑顔を見せ、軽やかに手を取る――だが、その笑みの奥に妙な熱がある。
やがて二人は応接間に通された。
白いクロスのかかった机の上に、金色の封書が置かれている。
「これは、あなたのご両親の署名入りです。――あなたと私の婚姻を承諾する旨の」
セシリアは一瞬だけ目を見開き、封書を手に取る。
けれど、封蝋の刻印は見慣れたものと僅かに異なっていた。
「こんなもの、見たこともありません」
「しかし、確かに王と王妃の印章が……」
「偽物よ」
冷たく切り捨てる声に、レオナルトの笑顔がわずかに崩れた。
「残念です。……ならば、別の手段を取らせてもらうだけ」
その瞬間、部屋の扉が開き、武装した兵士たちが雪崩れ込む。
セシリアの腕が荒々しく掴まれ、椅子から引きずり上げられた。
「放してっ!」
暴れる彼女を、兵士は容赦なく外へ連れ出そうとする。
その時――。
「……その手を離せ」
低い声が廊下に響いた。
扉の外から飛び込んできたのは、宮廷の道化師――カイル。
だが、その顔はいつもの飄々とした笑みではなく、鋭い眼差しをしていた。
「なんだ、ただの道化ではないか」と兵士の一人が鼻で笑う。
次の瞬間、その兵士の腕が捻られ、剣が床に転がった。
「俺の姫を奪おうなんて……笑えない冗談だな」
廊下は混乱に包まれた。
カイルは手際よく敵をいなし、セシリアの手を引く。
「走れ、セリィ!」
その声に反射的に駆け出すセシリア。
二人は裏口から森へと飛び込み、馬が繋がれている場所まで一気に駆けた。
背後から兵士たちの怒声が追いかけてくる。
森を抜け、全速力で国境の橋を越え、ようやく自国の城門が見えた時、セシリアは初めて息を吐いた。
城門が閉ざされた後、カイルは短く告げた。
「……あいつの狙いはお前じゃない。俺だ」
セシリアはその言葉の意味を理解できず、ただカイルの横顔を見つめた。
その表情には、もう道化の仮面はなかった。