第9話 人間
日曜日の午後三時少し前、見えてきた待ち合わせのバス停には、真っ黒な傘が一つ。ピークは過ぎたと思うが、この日差しの中歩いてきたから、少し汗をかいたかもしれない。……念のため、制汗シートで体を拭いてから行こう。
「おっすー、暑いね」
「お待たせしました、あ、バスも来ましたね」
十五時ちょうど発エタナモール行きがやってくる。日傘をたたむあやめ先輩を見て、眼鏡をしていることに気づいた。それに、服装もいつもと違う。
いつもの黒いキャップはしているけれど、黒い長袖に黒のデニムパンツ、そして黒いスニーカーで肌の露出はほとんどない。日のある時間での「変装」はこんな感じなのかな。
二人席に座った。僕がもちろん窓側だ。前後は空いていたから、三列分の窓のカーテンを閉めた。
「ごめんねー、ありがと」
いえ、と返事すると、ちょうどバスのドアも閉まった。エタナモールまでは十五分ほどだ。運転手さんは……おお、結構長生きするな。
今日何するんですかと聞こうとしたが、先輩が目を閉じているのが見えたのでやめておいた。まあ、なんでもいいか。映画でもショッピングでも、僕の方にNGはない。
二分ほどであやめ先輩は寝てしまった。目を閉じているだけで寝ていると判断するのはやや早計だが、僕の方にもたれかかってきた。多分、寝ている。やはり汗を拭いておいてよかった。……先輩は不思議な、いい香りがする。
流石に緊張してきた。面積的には少ないが、ここまで女性と密着した経験はない。クーラーの効いたバスの中では、より一層、先輩の体温を感じる。この時間が続けば、なんて思う余裕はなかった。早く着いてくれ。
エタナモールに到着するアナウンスで、先輩は起きて体を戻した。何事もなかったかのようないつもの笑顔で、着いたね、と言った。恐ろしいものだ、並の男子高校生では、好きになってしまってもおかしくないと思う。
先輩はバスから降りると日陰まで走って行った。この距離で折り畳みの日傘を使うのは面倒なのだろう。僕も小走りで後を追った。
「今日何するんですか?」
「新しい眼鏡で世界を見るんだー」
「あれ、あのー、眼鏡やコンタクトだと、視力の矯正はできないってこの前……」
「そ!これはサングラス、新しい眼鏡はこっちです!」
そう言うと、先輩は僕の方を両手で指差した。なるほど、と言えるほど理解はできていなかったが、新しい眼鏡は、僕らしい。
「あはは、冗談だよ。本命はこれ、『出張水族館 オクトパスガーデン かしこいタコのひみつ』。十七時までだって」
先輩は携帯を見ながら読み上げた後、画面を見せてきた。最近はなんだか、タコに縁があるな。まあ、動物は好きな方だ。
「今日最終日だから!いそげー!!」
建物に入った瞬間に、磯の香り?潮の匂い?……違いが分からないが、海の匂いがした。それもそのはずで、僕らが入った入口のすぐ前の広場で、お目当ての展示がなされている。日曜だからか、子連れが多い。写真撮影用の大きなタコのパネルがあって、そこにそこそこの行列ができている。
「おー、水族館の外の匂いがする」
……的確な表現だ。確かにウニとかヒトデとか、そういうのが展示されている場所が目に浮かぶ。
「あ、てか詞くん見て!」
先輩の指差す先は、出張水族館を挟んだ向こう側、たこ焼きチェーンの「金だこ」だった。そういえばここにあったな。
「あはは、たこ焼き屋の前でタコの展示かあ、最高に『人間』だねー」
皮肉っぽく言うものの、先輩は本気で批判するような感じではなかった。僕もそうだ。水槽のあるお寿司屋さんみたいなものだ。
「うん。タコ見たあとたこ焼き食べよう!」
「え、まあいいですけど」
さて、タコについて勉強させていただこう、そしてそのあとは、おいしく――