第5話 応答願う
「首吊りは苦しそうだよね……。飛び込みは昔見ちゃったことあって、ちょっとやだなあ。運転手さん、泣いてたもん」
先輩は止まらない。
「飛び降りも、もし下に人いたらって思うと最悪だよね。私目悪いしさ。やっぱり睡眠薬とかのほうがいいかなあ」
ね、と言いながらこっちを見た。先輩は笑顔だった。
なぜ死にたいのか、と聞く勇気までは持ち合わせていない。普通の世界で生きるために、僕が想像できる苦しみの、きっと何倍も悩んできたはずだ。先輩の浮かべる本物の笑顔が、仮に嘘だとしても僕には見抜けない笑顔が、それを物語っている。
「なんで死にたいんですかって、聞かないの?」
保健室で一瞬見た、あのいたずらっぽい笑顔に変わっていた。心を読まれているような気分だ。
「巌佐先輩、結構いじわるなこと言いますね」
ふふ、と先輩は笑って続けた。
「あれ?《《あやめ先輩》》、じゃないの?いいよ、あやめで。巌佐って漢字で見るとちょっと怖いんだよ?」
なんというか、完全に手玉に取られている。まあ、聞く勇気のある質問はこれだ。
「なんで、一年後なんですか?」
「お、それはいい質問ですね~」
先輩は手すりに背を向け、寄りかかるようにして腰を落とした。
「私四月生まれなんだ。四月四日。18歳になったら、もう自分の人生じゃん?自分で決めて進んでく。私の選んだ道は、これ」
先輩は目を閉じて、頭の上に両手で輪を作った。多分、マンガとかで表現されがちな、死んだら頭に付くやつのつもりなんだと思う。僕が言うのもなんだが、死に対しての感覚というか、距離感が普通の人と大分違うみたいだ。
とりあえず、先輩の『生限時間』が残り一年ほどである理由は分かった。
「僕に話してよかったんですか?その……えっと、自殺すること」
「あれ?意外だなあ、信じてる?」
――確かに。僕目線だと、先輩が一年後亡くなることは確定していたから、その死因の判明に気をとられていた。普通、疑うか。
「え、嘘だったんですか?」
「ん-、まあ志望先ってとこかな。私も進路考え出す時期だからねー。あ、ダジャレじゃないよ!あはは」
志望と死亡か。僕が返す言葉に迷っていると、先輩が続けた。
「でも、迷ってる。生きる理由も探してる」
こういうとき、自殺を止めるべきなのだろうか。『生限時間』が時間経過以外で変化したことはない。自然死と事故やその類で、『生限時間』に差はないはずだ。
それとも先輩が自殺を辞めれば、『生限時間』は変わるのか?
――もしかしてそれが、鏡文字の理由なのか?
「ねえ、死なない方がいいと思う?」
また難しい質問だ。正直言って、止める理由はない。今日出会ったばかりの人で、親密というわけでもない。でも、これは言ってもいいと思った。
「死んだ方がいいとは思いません」
先輩はゆっくりと立ち上がって、街の方を眺めた。
「……いいね、それ」
僕も失礼には慣れてきた。
「止めた方がよかったですか?」
「お、言うねえ。どうだろう。……私って変われるのかなあ」
黒く長い髪が風で揺れる。しばらくの静寂は、ナイフのような一言に切り裂かれた。
「ねえ、ストーカーって大罪じゃない?」
うっ、と言葉にならない声が出る。先輩はいたずらっぽく笑いながら、手で銃の形を作った。銃口は僕に向いている。
「詞くん、一年間、私のために生きてよ。それで許してあげる。……懲役一年!」
真意を理解するのに時間がかかった。でも、そうか、これは救難信号だ。踏み込んできた僕に与える罰という形で、ようやく言える、先輩の精一杯の、最後の――。
鏡文字で浮かぶ『生限時間』が街の明かりと重なって、光っているように見えた。